今は見つからない「そわ女の歌碑『風樹碑』」(高輪泉岳寺)の碑文の表と裏2025年10月14日

そわ女の風樹碑の模写
今は見つからない「そわ女の歌碑『風樹碑』」(高輪泉岳寺)の碑文の表と裏

 左部そわ(1830-1891、蘇和、蘇和子、楚和とも。16才で嫁して今井そわ。)の風樹碑はかつて泉岳寺山門の手前の右奥にあったという。今は大石内蔵助の大きな像が建っている。義士300年祭(2003年)のための境内整備で撤去され一般檀家墓地に移されたという。 
 左部そわは江戸後期に父の三岳(左部善兵衛寛信の俳号)に連れられて上州奈良村より江戸に遊び俳諧の素養を身に着けていて、江戸にて幼き頃に詠んだ歌の碑といい、江戸時代は泉岳寺の前には品川の海が拡がっていたという。
「春風や空に消えゆく舟のみち」
 その石碑の裏には次のような碑文が残されていた。
碑陰(石碑の裏面)

 今井善治郎兼保(善平・七次郎とも)はそわの次男であり父の反対を押して出奔し慶応大学等に学んだが母の陰の助力に終生感謝していたという。老いた母を東京岩佐病院にて孝養に務めたが亡くなり、そわの侍医が岩佐純である。岩佐純は皇室の侍医でもあり、明治16年には皇室の一等侍医で宮中顧問官なども歴任して、明治45年宮中豊明殿で病に倒れ死去した。
 股野琢は内大臣や宮中顧問官など歴任して詩文や書道で名声が高かったという。大正10年死去した。
(参考)
a:「今井そわ女句碑を尋ねて」丸山知良著『群馬歴史散歩』102号20-22頁1990年9月。
b:「泉岳寺と上州」編集部著『季刊群馬風土記』特集ふるさと歴訪(通巻106号2011年7月)。
c:左部蘇和(今井蘇和)の泉岳寺の歌碑について https://ku-wab.asablo.jp/blog/2025/09/11/9802319 。
d:泉岳寺の今井そわ女の句碑はどこへ?2024年04月23日七代目蔵元日記 https://blog.goo.ne.jp/denchan1630/e/94a983c4a6913152111bfa7afce2c1ec 。

追記:
 蘇和子の父左部善兵衛寛信(俳号三岳、幼名豊三良)の兄の左部斧次良(俳号蓼化)は27才歿で早逝したが左部彦次郎の曾祖父である。

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