歴史とは何か?2020年11月25日

「歴史とは何か? こんにちは。左大臣光永です。」
https://sirdaizine.com/CD/rekishitowa.html
 この方は歴史オタクと思われる方で、古典については極めて幅広い知識を身に着けている。歴史の天才ではないかとも思っている。そしてそのホームページを時々見に行って勉強させて頂いている。
 このご意見、誠にごもっともと思う。
 明治維新しかり、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康しかり、成功させたものはみな偉人でもあり生き方の天才でもありそして紙一重の狂人でもある。そこには善悪はない。数の力・物理的な力・社会的な権力、信仰の力、何らかの力で成就させればそれが歴史の土台となっていく。
 最後は正義が勝つ、なんて若い頃は信じて疑わなかったが、現実はそんなことはない。社会を動かしているものが正しいとは限らない。でもそれを土台に社会が成り立っていく。そしてそれが歴史になる。2000年前史記を書いた司馬遷も伯夷列伝で、正しくても報われず悪人も栄える、といって嘆いたという。明治維新も正義だから勝ったのではなく勝ったから正義になり官軍になった。「勝てば官軍負ければ賊軍」である。無理が通れば道理引っ込むとも悪貨は良貨を駆逐するとも言う。今のトランプ大統領をみても判る。正義か不正義か、そんなことは大海の中のコップの水の中でのことであり、自分が正しいと思うこと自体がはかなく空しいことだ。諸行無常である。大きな自然の流れから見れば長くても100年ちょっとしか生きられない人間個々人など吹けば飛んで消えるような有っても無くても良いようなものだ。
 しかし所詮そのようなものであるからこそ、生まれた以上人はみな皆それぞれに生きる価値があり、生きる意味もあり、その軽重はない。科学は進歩するが心は進歩しない。心は何千年と行きつ戻りつして進歩せず、大部分の人は歴史の中に元々無かったかのように消えていく。哲学者ヴィトゲンシュタインはジャストローの絵「アヒルに見える?ウサギに見える?」等の「絵」を使って、「人は一人ひとりみな違う」ということを説明したが人間一人ひとりみな見ているものは違う。網膜に映る像は同じでもその解釈は大脳後頭葉の視覚野で行うので同じものを見ているというのは単なる錯覚である。事実を見たと思っても同じ事実を見ていない。地球上の70億人全てが同じものを見ても脳の解釈は夫々別のものを見ていることになる。

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 即ち、人間は見るもの聞くもの考えるもの、相互に偏っている。偏っていることを相互に自覚しないことが対立を生み、戦争を生む。その違いを受け入れない限り共存は出来ない。その典型が宗教とイデオロギーである。そこには善悪も正義不正義もない。思い込みあるいはそれぞれの信念があるのみである。そしてしばしば衝突する。
 数日前にジョンレノンのドキュメンタリーをNHKテレビBSで「イマジンは生きている ジョンとヨーコからのメッセージ」を放映していた。「イマジン」の歌詞でジョンレノンを赤で危険人物とその時の米国FBIが断定していたそうだ。no religionの言葉尻をとらえて宗教を侮辱していると保守派の攻撃も受けたという。どこでケチを付けられるか分かったものではない。不動の心をもって、どこまで協調しどこから服従するかは難しいし、その判断は一人ひとり違う。それでも共存するためにひとつ言えることは、論語にもあるように「和して同ぜず」ということだ。そしてそこに善かろうが悪かろうがすべての存在意義がある。
 昨夜、やはりNHK BSでアナザーストーリー「三島由紀夫 最後の叫び」を放映していた。ちょうど50年前の出来事だ。自分は学生時代でどう生きるべきかで悩んでインドを無銭旅行したりしていた頃だった。この頃は自分のことを考えることが精いっぱいで、色々な人がいるなという程度の受け取り方だった。強い印象は残っていない。あの頃は学生運動が真っ盛りの頃で集団でのリンチ殺人や早稲田大学構内で殺人事件があっても罪にならなかった変な時代だった。ノンポリで何もしないのは悪いことをしているのと同じだと責められて辛い思いもした。それでも「これは俺の性分だ」と自らに言い聞かせた。でも悩みながらインドにも行った。静岡三島の沖ヨガ道場にも行った。四国多度津の少林寺拳法道場にも行った。そんな時代に三島由紀夫事件は起きた。今初めてその真相を知った。自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室で真一文字に横に10cm以上、腸が飛び出るほどの見事な切腹だったという。その介錯をした森田も並んで切腹した。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
)。その時朝日・毎日等大手の新聞は示し合わせたように狂気の暴走、反民主主義的な行動と簡単に断罪し、警察当局も事件を単なる暴徒乱入事件で処理する方針であったという。国内においては横並びの評価なのに対して、海外からは「私は佐藤首相が三島の行動を狂気と言ったのが間違いであることを知っている。三島の行動は論理的に構成された不可避のものであった。・・・世界は大作家を失ったのである」(ドナルド・キーン)、「三島は高度の知性に恵まれていた。その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識していなかったのだろうか。・・かつて大衆の意識変革に成功した人はひとりもいない。アレキサンドロス大王も、ナポレオンも、仏陀も、イエスも、ソクラテスも、マルキオンも、その他ぼくの知るかぎりだれひとりとして、それには成功しなかった。人類の大多数は惰眠を貪っている。あらゆる歴史を通じて眠ってきたし、おそらく原子爆弾が人類を全滅させるときにもまだ眠ったままだろう。・・・彼らを目ざめさせることはできない。大衆にむかって、知的に、平和的に、美しく生きよと命じても、無駄に終るだけだ。」(ヘンリー・ミラー)等との評価もあったという。益田兼利総監はなぜこんなことをするんだと聞いたが三島はこうするしか仕方なかったと言ったという。用意周到に計画されて三島にとっては死を覚悟した上での行動だったという。
 これを聞いた時に、明治時代の田中正造が思い浮かんだ。
 権力に逆らい自分の行動が効を奏しないのは承知の上で消えゆく谷中村に最後まで残留し続けそしてその途上亡くなった。一方、同じく権力に逆らい続けた同志の左部彦次郎は土壇場で現実的な次善の策を選んで袂を分かち田中正造からは今悪魔と言われ、世間からは裏切り者のレッテルを貼られ寂しく亡くなった。どちらも自らの信条に基づき行動せざるを得なかった選択であったと思う、互いが互いの信念に従って「こうするしか仕方なかった」と。田中正造はガンジーに47年先駆けて ”非暴力不服従” を貫いた人である。約120年前の足尾鉱毒事件の評価は今でも田中正造は神で左部彦次郎は裏切り者という世間のレッテルは変わらない。いかに理不尽で世間の断罪が軽薄なものか、あてにできないか、この三島事件の放映を見ても分かる。世間の評価がどうであろうと、自分は自分で生きて行って良いのである。

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