社会の多様性、という言葉から思い浮かべること。2020年12月10日

社会の多様性、という言葉から思い浮かべること。

 50年以上前の自分が高校生の頃のことである。当時は県営の木造学生寮が都内にあったが、そこでの冬の出来事である。
 一部屋4畳半くらいであったろうか、たしか2人ずつの相部屋で構成されていて、暖を取る石油ストーブが部屋の中央に置かれ両脇にはその寮生のベッドが置いてあった。
 その一室に他部屋の寮生たちも集まって雑談していた時のことである。
 何かの拍子にその石油ストーブが倒れ石油が漏れ出して炎が立ち上がり全員が一瞬驚いて逃げ出したという。その時に反応がちょっと遅れた一人が逃げ出す前に傍にあった布団を覆い被せたところ、炎が一瞬抑えられた。それを見て、いったん逃げ出した寮生たちが冷静になり戻った。そして布団をめくったら再び炎が上がったので皆が驚いたが、今度は布団をかぶせた本人が慌てて一人逃げ出したが、最初に逃げ出した寮生たちが冷静を取り戻し全員で協力して消火して事なきを得たという。
 自分もその寮には何度か行ったことがあり、その部屋のイメージも彷彿として今でも思い出されるが、ごく身近のその寮生に聞いた話である。
 世の中は、色々な人がいて一人では決して味わえない良さもあること、色々な人がいて初めてバランスの取れた良い社会が構築されているということ、これらを教えてくれたエピソードとして、今でも多様性という言葉を聞くと思い浮かべ、心が暖まる。

決断できる知事、できない知事、新型コロナ第3波で、2020年12月15日

決断できる知事、できない知事、新型コロナ第3波で、

 いつもは気にも留めなかったことが新型コロナ感染症パンデミック第3波を迎えて、図らずも明確になった。明らかに先手先手で主体的に動いている、あるいは動こうと努力している知事がいる一方、目先の圧力に抗うことなく或いは国のせいにして動こうとしない知事がいる。賢いというか狡いというか、本来はどちらが正しいのか考えてみた。

 前者は大阪の吉村知事、北海道の鈴木知事である。結果的にどうなるかは別としてリーダーとは本来はこうあるべきと考えるのが普通と思う。 知事だけでなく、県議会も、福岡県のように「感染経路調査、拒否なら罰金 福岡県議会が異例の条例案、https://www.asahi.com/articles/ASNCM71JHNCMTIPE02D.html 」と自主的に動いている県もある。

 しかし歴史的に見ると、結果的に経済がダメになるのであれば、知事のせいにするか新型コロナのせいにするかの違いだけであって後年に結果論の解釈遊びで終わることになる。

 だとすれば、敢えて決断して、GOTOトラベルGOTOイート推進派から等の圧力を跳ね返してまで敢えて決断する意義が果たしてあるのだろうかとも思ってしまう。決断しなくても、目先の圧力に負けてのらりくらりと決断を先延ばししていればいずれは必然的に国があるいは国民がコンセンサスの方向に動いてくれる。それまで待つのが賢いやり方なのかもしれない。
 
 リーダーとして決断できることは、直感的には良いことだと思う。目先の圧力に負けないで決断できることは立派と思う。しかし良く考えてみると本当に賢いやり方なのであろうか。歴史的にみると結果は悪い場合と良い場合とがあるような気がするのでちょっと調べてみた。

 新型コロナの「アベノマスク」と揶揄された安倍元首相の決断、あれも安倍さんの小さな決断だがあれが良いことだったのであろうか。あれは誰が見てもよくなかったが安倍首相の問題ではなく取り巻き助言者の問題であり、手作りマスクを皆で作りましょうと言えば200億以上もかけずに簡単に済んだ話である。しかしせっかくの好意であるので自分自身は今でも何回も洗いながらそのアベノマスクを使っている。
 緊急事態宣言の決断もしたがこれはどうだったのであろうか。結局お願いベースの対応しかできず何のために緊急事態宣言だったのかと振り返ってしまうが法律の立て付けが悪かったということだろうか。

 戊辰戦争で徳川慶喜は外国の力に頼らずに戦うことを決断せず大阪城から江戸へ密かに逃げ帰った。フランスの力を借りて徹底的に戦っていたら今の日本はなかった。内戦の混乱からインドや中国と同じ西洋列強の属国になっていたはずである。

 気になっていた『NHK BSプレミアム 昭和の選択「太平洋戦争 東条英機 開戦への煩悶」』をオンデマンドでもう一度見返してみた。首相になった東條は戦争回避を望む昭和天皇の意向を汲むべく国策再検討を指示した。開戦反対・賛成均衡し紛糾する中で開戦派の軍部や国民に有利な経済予想資料が提出されたことにより風向きが変わり議論は尽くされたとして東條は3点を選択肢に挙げて結論を求めたという。
第一案:戦争することなく臥薪嘗胆す、第2案:直ちに開戦を決意し戦争により解決す、第3案:戦争決意の下に作戦準備と外交を併行せしむ外交を成功せしむる様にやって見たい、この3点、これは当時の会議議事録に残っているという。 1か月の期限を切っての決定であれば天皇も軍統帥部も納得できるのではないかとのことで第3案を選択したという。
 この選択について他のコメンテイターは何を言っているか分からなかったが、磯田道史氏は前提の採り方への問題ではないかと言った。問題先送りの逃げの結論という。のちに東條は首相の責任の重さについて「近衛には悪いことをした、陸相として力が足りなかったのは反省している、首相になってみてそれが良く分かった」と言ったという。この時の東條首相は決断できなかったといえる。
 
 徳川慶喜も明治維新で大阪城にて決断をしなかった。目先の旧幕方の圧力に負けてフランスと組んで勝とうとすれば明治維新はなかった。
 決断をしないことが良い場合もあるし悪い場合もある。ポリシーや理念を超える「かくあるべきというビジョン・フィロソフィー」を持っているかどうか、それは何か、によって結果が異なるようだ。
 決断してもしなくてもなるようにしかならないという歴史の必然があると考えてはいけないのだろうか。決断できるということが歴史的に見て正しいのだろうかと思ったとき、はたと考えてしまう。

 後者は東京、神奈川、愛知等である。特に東京は国と互いに責任を擦り付け合っているようでみるに堪えない。愛知も県と名古屋市の確執は何なのかさっぱりわからない。我が群馬県の山本知事は今のところ期待も込めているが主体的に動いているし周りも協力しているように見える。

2020/12/18 追加
 民主主義の社会では、国民の半数、51%以上の支持を得られなければ選挙に当選できない。たとえ手遅れになっても、世論が熟すまで様子を見てから動くのが政治家として賢いのかもしれない。歴史はそうやって動いてきたのかもしれない。でも世論の圧力に負けて動いたのでは間違うことがあるのも歴史が証明している。

 GOTOトラベル推進派の圧力も実は大きかったことを知った。
「菅首相に二階派が激怒「もう次はないぞ!」自民党内で根回しせず、GoTo中止 〈週刊朝日〉 2020.12.15(火)   https://news.yahoo.co.jp/articles/8b24ac971cde3f781aa9df159e6941dc7437064a?page=2 」
 「感染拡大はGoToトラベルのせいじゃない? 菅政権はなぜ一時停止に踏み切ったのか 2020/12/17 17:00 (JST) ©株式会社全国新聞ネット 尾中香尚里 https://www.47news.jp/news/5616296.html 」
「#GoToトラベル #高橋洋一 #コロナ 最新12/16(水)長谷川幸洋と高橋洋一・・」 https://www.youtube.com/watch?v=3tygP25MjvA 」

 高橋洋一氏は菅義偉内閣において内閣官房参与(経済・財政政策担当)という。アベノマスクの時の助言者もそうだったが、アドバイザーの人選がいかに大事であるかを如実に示している。
それにしても日本はどうして経済学者は言うことがバラバラで、西浦博氏や尾身茂氏などの公衆衛生学者と共同で経済予測シミュレーションができないのだろうか。