ワクチン注射は皮下注か筋注か、で気になったのでちょっと一言2020年11月11日

ワクチン注射は皮下注か筋注か、で気になったのでちょっと一言。

 今、日本ではワクチン注射ルートは原則筋肉注射にすべきという論調が殆どである。介護施設で仕事をしている者にとって少し違和感があるのでちょっと一言云いたくなった。(様々なワクチンがある中でここではアジュバント無・チメロサール有の通常のインフルエンザワクチンを念頭に置く)。 また、高齢者と言っても一人ひとり体格は様々である。ここではるい痩著明で殆ど筋肉がなく皮下脂肪も少なくなった方を念頭に置く。 実際、日本の高齢者施設ではそのような方が少なからずいる。 
 一方、日本においても世界においてもワクチン注射の効果・副反応の違いの臨床治験はほぼ全例体格良好の健康な方々についてである。西欧においては肥満で皮下脂肪が厚いために筋肉まで注射針が届くかどうかを気にすることが多いのに対して、日本ではやせ形では皮下注だからこそ安心してできるが筋注となるとどこに行えば安全確実かと、途端に問題に突き当たりかねない。
 我が国は超高齢社会に既に入っていてそのトップランナーである。その日本の高齢者介護施設の現場では皮下注射と言っても皮下脂肪織注射と言った方が良い場合が多い。ましてや筋肉注射など薄くなってしまって筋肉内にしたという実感を持てる筋肉注射は現場では至難の業であることも多い。エコーで深さを確認して行えば不可能ではないが現実的ではない。一般には皮下注射部位は上腕伸側下1/3が多いであろうと思う(1)(2)(3)。
 BMI18.5以下のるい痩者の三角筋部位への筋注は避けた方が良いとの意見もある中で(4)、介護施設ではそれをはるかに下廻るるい痩者がゴロゴロいる。
 高齢化して食べられなくなれば延命処置の経管栄養は行うことなく人生の末路として受け止める西洋と違い、日本ではまだまだ経管栄養による延命処置が現実に多く行われている。高齢者介護施設に紹介入所して来る高齢者の中には、経鼻経管栄養や胃瘻栄養にて入所してくる方も現実に少なからずいる。それでもいずれは逆流性の反復性誤嚥性肺炎等から呼吸不全や衰弱に陥る。
  私たち介護者は、人生の最終段階のさらにその末期に入れば基本的には余分なことをせずにかつご家族ご本人の希望通りに対応して、できれば枯れるように静かに見守ることを基本としている。この考え方は日本においても現在ではほぼコンセンサスを得ているのではないだろうか。その上で現実との狭間の中で、現実的には胃瘻・経鼻経管の栄養が選択されて開始され、その後に介護施設に入所される方も沢山いるのが現状である。
 人生の最終段階に於いては、観念的にはピンピンコロリか穏やかに眠るように逝くのが理想ということについては誰でも異論がないように思う。しかし理想通り自然に逝けるかどうかは神のみぞ知るで誰にも分からないという現実との狭間でご本人も介護者も対応に迷いながらそれでも正解を探しながら常に歩んでいる現実がある。
 痰がゴロゴロしながらも食べる意欲があれば食べてやがて呼吸不全で逝くのがよいのか、無理に食べることなく痩せて枯れるように逝くのがよいのか、個々で違い、その正解はないと思っている。 

 ワクチン注射は筋注にすべしとの意見は殆どがWHOや米国CDCあるいはACIPの意見を丸のみ(失礼)で説明されているような印象を受ける。筋肉注射はいくら痩せていても可能だという方もいる。 そういう方は高齢者介護施設の、代謝が極端に低下した寝たきりの方々がいるのを御存じなのであろうか(5)。
入所者の中には胃腸内に流動食等いくら入っても消化吸収されない方もいるし、600kcal/日の経管栄養でも太る方もいる(正確には皮下脂肪織が増えるだけで代謝と筋肉量はほぼ並行すると考えれば筋肉量が極めて少ない事の傍証とも思う)。
そんな中で、人生の終末段階のその末期を迎えた方でも、インフルエンザワクチン注射をご家族が希望すれば当施設でも当然行っている(ご本人は衰弱しきって希望表出できないことが多くご家族の希望が次に優先される)。
日本国内においては今、ワクチン注射は筋注にすべきという論調が大多数を占めているようだ(6)(7)(8)(9)(10)。
 日本ではプレベナー13が高齢者でも適応追加で2020年5月に適応追加許可され、小児は皮下注・高齢者は筋注で許可された。許可自体は結構なことだが高齢者は筋注、小児は皮下注としたのは世論に負けて筋注になったのではないかと疑心も生じる。今まではA型肝炎ワクチン、B型肝炎ワクチン等は皮下注又は筋注と選択の幅があったが、プレベナー13は筋注に限定された。国の政策もブレ始めたとすればいずれインフルエンザワクチンも筋注に限定される可能性も出てくるのではないかと心配になる。もっともそのような衰弱高齢者はしなくてもよいとするのであれば問題は出ない訳であるが?日本の行政にその決断はできないであろう。その時には国も尤もらしい説明をするであろうが何か変だ。
副反応は筋注の方が少ないから筋注にすべきだという論調が多いようであるが、データによってばらつきがあるようで、https://doi.org/10.1111/j.1348-0421.2009.00191.x(新型トリインフルエンザワクチンの第一相試験、日本人健康成人120人、Alumアジュバント含有)によれば、日本人の若い健常者の局所疼痛頻度は(筋注35%、皮下注37%)、局所発赤(筋注25%、皮下注67%)、局所腫脹(筋注7%、皮下注23%)、局所硬結(筋注2%、皮下注3%)、全身症状発熱(筋注8%、皮下注8%)、全身倦怠(筋注20%、皮下注30%)、頭痛(筋注18%、皮下注17%)、である。疼痛の頻度は文献によって皮下注が多いともいうがこの文献では同じようである。全身症状も両者で変わらない。腫脹や発赤が皮下注の方が多いのは、筋注か皮下注の違いなのか、深さの違いなのか、については必ずしも明らかではないようである。
また、免疫効果については1970年代にアジュバントを含めて盛んに研究されたと記憶しており、皮内注>皮下注≒筋注の順で弱くなると記憶している。最近のデータでは皮下注よりも筋注の方が少し良いようである。しかしこれは抗原の質・量やアジュバント等混合物によっても大きく変わるので単純に言えるものではないとも思う。

ただ、肥満者やるい痩者等心身共に様々な方々がいる高齢者介護施設の現場で、人生の最終段階に至っているるい痩衰弱してきた方に対応する場合に感ずることは、慢性誤嚥性肺炎や反復性誤嚥性肺炎に陥っている場合には迷いながらも次の事実は受け入れざるを得ない。
栄養注入せずに静脈点滴注射にて脱水を防ぐのみの対応の方が延命という意味では呼吸不全等から逃れて長生きする。その時の栄養状態にもよるが、脱水を防ぐ点滴のみでも3か月、6か月、9か月と長生きされる方もいる(極めて荒っぽい計算をすれば体重50kg体脂肪30%消費カロリー600kcalでは60日あるいはそれ以上延命でき得る)。勿論あっという間に亡くなられる方もいる。
 点滴注射量もわずかの代謝水のおかげもあり200~500ml/日で足りる。人によっては心機能予備能が小さいために500ml/日でも顕性心不全に陥ってしまう方もいるので多くの場合500ml以内に抑えておいた方が高齢者医療の基本のdry-side管理の目的にかなっていることが多い。腎不全になることもない。私たちの施設ではたとえ明日逝くようなことがあっても前向きに普段の対応を変えることなく、並走型自立支援の姿勢を失わないように心がけている。世界の中で良いかどうかは分からないが、日本の中で私たちにできることはそのような対応ではないかということについてはスタッフ同士互いに自信を持って日々従事している。我が国は我が国の考え方で行けばよいのであって、ワクチン注射も米国ACIPの推奨にそのまま従う必要は必ずしもないと思っている。

(1)https://www.jpeds.or.jp/modules/news/index.php?content_id=229 小児に対するワクチンの筋肉内接種法について(2019年7月改訂版/8月一部修正)、日本小児科学会予防接種・感染症対策委員会。
(2)http://www.hosp.ncgm.go.jp/isc/080/index.html  厚生労働省・国立国際医療研究センター「予防接種基礎講座」の資料公開2019年度開催資料(2019年12月21日~22日開催)13. 接種法、抑制法。演習・実技確認。
(3)http://kidskenkou.web.fc2.com/preventiveVaccination/preventiveVaccination3..html
予防接種皮下注射手技、公立七戸病院小児科 ★キッズ健康トラブル。
(4) https://www.jans.or.jp/uploads/files/committee/tamate_10_pp.pdf
日本看護科学会誌 34(1), 36-45, 2014. BMIからアセスメントする筋肉内注射時の適切な注射針刺入深度の検討 高橋 有里, 菊池 和子, 三浦 奈都子, 石田 陽子。
(5)https://doi.org/10.2974/kmj.65.283 Resting Energy Expenditure of the Unhealthy Elderly in the "Roken" in Japan. The Department of Internal Medicine, National Hospital Organization Numata National Hospital">Hidemasa Kuwabara, Noriko Yamaoka, Junko Oomaki, Mitsuo Suzuki.
(6)https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03162_02 週刊医学界新聞(第3162号 2016年02月15日) 不活化ワクチンの皮下注射を再考する. 矢野 晴美(筑波大学医学医療系教授/水戸協同病院グローバルヘルスセンター感染症科)。
(7)https://twitter.com/georgebest1969/status/796698908470562817?lang=ja インフルワクチンは皮下注より筋注で、岩田健太郎 神戸大学医学研究科感染症内科教授。
(8)http://hospitalist-gim.blogspot.com/2016/11/blog-post_9.html Hospitalist病院総合診療医。
(9)https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/kurahara/202001/563456.html インフルエンザワクチンは筋注で問題なし, 2020/01/13 倉原優(近畿中央呼吸器センター)。
(10)http://www.theidaten.jp/data/public_comment/pc7.pdf ワクチン筋注が行われていない現状の改善を、岸田直樹 手稲渓仁会病院総合内科・感染症科。
(11)https://ci.nii.ac.jp/naid/40002820308 堺春美.ワクチン接種のリスクマネージメント-ワクチンの安全性と皮下接種の手技-. 日本医師会雑誌. 2000, 123, 6, 837-848


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2021/5/30 追記。

新型コロナ(COVID-19)ワクチンが筋注に限定されていることについて、

 一般にワクチンが筋注されていることについては、CDCやWHOが筋注を推奨?しているので、インフルエンザ等のワクチンも日本は筋注にすべきだという専門家特に感染症専門家の声がインターネット上の世界では喧しい。

 日本はワクチンは「皮下注」又は「筋注ないし皮下注」とされていることがこれまでは多かったように思う。
 特にインフルエンザワクチンは皮下注である事・副反応が少ない事等から、寝たきりの高齢者でも希望があれば毎年行っていた。これまで何の問題もなかった。

 日本が特に小児の筋注を避ける理由は、その原因に歴史的問題(大腿四頭筋拘縮症)を理由として挙げる人が多い。しかし現実にはCDCやWHOの言うことをそのまま受け売りしているペーパードライバーのような人の声の方が目立つためのようにも見える。皮下注より筋注の方が副反応が少ないとか、免疫効果が高いとか、尤もらしい理由を並べて主張している。しかし自分で調べた限りでは副反応は大同小異であるし、免疫効果は遥か50年前にも同じような論点があったことがありその時は皮内注>皮下注≒筋注と決着したと思っていた。昔と今に違いがあるとすれば免疫源にmRNAやベクターにウイルスを使う新手法が出てきたことである。免疫効果の違いに関しては記憶があやふやなので念のため免疫の専門家に個人的に聞いた所エビデンスがないだけでほぼ同じだと思うと言っていた。副反応の差に関しては様々なFactorがあるので一概には言えないがやはりどちらも調べた限りドングリの背比べである。副反応については皮下注・筋注の違いよりも大きなFactorが沢山ある。アジュバント等の有無・成分・pH・注射の浅深・体質等挙げればきりがない。
 過去を引きずり皮下注に固執するのは世界の流れに遅れているというネットの主張は、超高齢社会を迎えた日本にはもう当てはまらないようである。高齢者ワクチンの運用についてはむしろこれから世界をリードすべきであると思う。
 日本の行政もこれらの専門家の意見を入れてかどうか分からないが、最近のワクチンの場合は実際、子宮頸がんワクチンや肺炎球菌プレベナーワクチンでは成人は筋注に限定された。この点は行政も多くのいわゆるペーパー専門家の意見に阿るようになったのではないかと疑心暗鬼にもなり却って心配になる。

  小児へのインフルエンザワクチン注射はネットの話題では筋注にすべきとの意見が強いようであるが小児科学会の正式見解は筋注も許可してほしいとの国への提言があるのみで、皮下注から筋注へ変更しろとは言っていない。小児の場合は筋注でも皮下注でも効果はどちらも大同小異と思われるのでどちらでも良いと捉えているが、衰弱高齢者の場合は状況が異なってくる。もし、インフルエンザワクチンが筋注のみに限定されればワクチンの恩恵を受けられない方々が少なからず出てくる。
 そこでここでは、特に高齢者施設入所者等の衰弱高齢者を対象とした場合の実態をあげてみる。
 筋肉のエコー所見で見る限り高齢者の筋肉はそもそも若者とは違い脂肪化傾向が強い。フレイル状態(reversible)はまだ良いほうで、高齢者施設に入所しているフレイルを超えて衰弱をしてきて寝たきり状態になると、気持ちはしっかりしていてもサルコペニーは著明で筋肉委縮も甚だしい。自分の施設の一点で調べた結果を見る限り入所実働90人位のうち3割近くの入所者は殆ど筋肉をエコーで同定できなかった。寝たきりで極端な方は経管栄養600kcal/日の下でも肥ってくる方がいる。これらの実態を、感染症専門家の方々はどの程度ご存じなのであろうか。 筋注と言えば三角筋・大腿外側広筋・殿筋が主であり、三角筋が無理なら大腿部や臀部があるではないかというDrの意見も実際あった。しかし高齢者施設の現場で調べてみると三角筋がダメなら殿筋や大腿はもっと無理の場合が多い。衰弱していても三角筋は意外にも最後まで残っている頻度が高いように見える。

 教科書的な基礎代謝量といえば1200kcal/日が教科書的な数値である。でもこれを遥かに下回るエネルギー代謝量でもほぼ安定して生命を維持している方々が現実に日本の高齢者施設の入所者の中には少なからずいた。実際に測定したのは安静時代謝量(基礎代謝の1.1~1.2倍,resting energy expenditure,REE,)であるが、恐らくこれが未だ周知され得ない日本の超高齢社会の実態と思われる。このことはワクチンの皮下注か筋注かの議論にも係る問題であり、国の運営理念に係る問題でもある。欧米においては食べられなくなれば人生の終わりと捉えられているようであるが、実は脱水さえ防げば予想以上の長生きをする方々は少なくない。良い悪いは別として、日本には少なくともそのような高齢者を見放そうとする国の運営理念が議論の俎上に上がることはまずないはずである。かつての医療費亡国論も根底から否定されたはずで、今では経済成長のエンジンの一部とさえ捉えられていると思う。超高齢社会の世界のトップランナーであるが故の新しい問題なのであろう。
この点ではCDCやWHOを引っ張って行こうとする位の気概の方が必要なのではないだろうか。
 今後はワクチンは筋注一辺倒ではなく皮下注のエビデンスも日本は構築すべきである。

新型コロナの、空気感染・エアゾル感染・マイクロ飛沫感染? 言葉の定義を巡って2020年11月18日

新型コロナの、空気感染・エアゾル感染・マイクロ飛沫感染? 言葉の定義を巡って

 昨年末から新型コロナが流行してきて従来の「飛沫核感染(=空気感染)」という用語を避けるようにそれに代わって「エアゾル感染」や「マイクロ飛沫感染」という用語がマスコミ等で頻繁に使われるようになった。専門用語ではないが何となくそのイメージがし易く便利な言葉である。しかし専門用語である「飛沫核感染」の定義との比較から捉えると曖昧さの幅が異常に広すぎて無責任な用語でもある。
 皆が臆病になって敢えてこの問題を取り上げようとしない中で、とうとう言い出した専門家が出てきた。下記である。

新型コロナは"空気感染"です(仙台医療センター・西村秀一氏 第61回日本臨床ウイルス学会2020年10月)https://medical-tribune.co.jp/news/2020/1106533287/?utm_source=mail&utm_medium=recent&utm_campaign=mailmag201107&mkt_tok=eyJpIjoiTTJRek5qRXhOVGN4Wm1NNCIsInQiOiJIUWpvcmlOUEY2Q1BtbW9nMWVOWkdLN1UweGhveW85TjhTbUhkQlMxWWUyUnROZVpsQ21EUFQydTZtOVFGQVRsanBQZGEwUGVOdjdIV1wvbXIzMkpHZTRiVWFOalVkOURlYWZwK0d0dGRZVjdjYWVhdGNpSWdXdTIrTVhaSitkdEMifQ%3D%3D
 しかしこれは従来の飛沫核感染=空気感染(5μ径以下)と同じと捉えられるとこれまた迷惑な話でより混乱も引き起こしかねない新たな問題が出てくる。だからこそWHOもCDCも逡巡してきたものと思う、言い換えれば彼らも従来の既成概念から抜け出せなかったということでもある。この指摘は新型コロナ流行初期よりあった、オーストラリアより”世界は空気感染の事実に向き合うべきだ”と(https://doi.org/10.1016/j.envint.2020.105730 Airborne transmission of SARS-CoV-2: The world should face the reality(2020年6月))。
 この問題はかつてのSARSの時に既に俎上にあったが、なぜか世界の政策担当者は公言するのを逡巡した。そして未だに逡巡している実態を考えてみた。

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は従来の典型的な空気感染である結核とはその実態も対策も大きく違う。結核排菌患者は隔離病棟等の空間的な完全隔離を目指す。従来から空気感染するとされる結核・麻疹・水痘の3つは細菌かウイルスかの違い・対策の違いはあれども基本的には同室空気自体が回避され完全隔離がその対策の基本である。そしてその対策の個々の違いとは、水痘は殆どの人が既感染なので白血病治療中等の特殊な免疫不全状態の疾患相手以外は隔離されないし麻疹は有効なワクチンがありかつ世界は撲滅を目指している。結核は撲滅には程遠いが有効な治療薬があり細菌を完全にブロックするマスク(N95マスク等)もある。同じ空気感染力がありながら対策はそれぞれ異なるが「同室空気自体の回避を目指す」という点ではこの3つは同じである。
 そしてウイルスは完全に防ぐマスクがない。細菌とウイルスの違いである。勿論現実的にはウイルス減少効果はあるので使わないより使った方が良いのは言うまでもない。
 結核の場合は典型的空気感染でありその患者はサージカルマスクで十分とされる一方その介護医療者はN95マスクが必要とされている。細菌ゆえに理論上N95マスクで医療者を完全防御できる。
 一方、ウイルスは理論上はN95マスクでも完全防御は出来ない。しかしここで机上論と現場実態論の違いが出てきて、ウイルスは一匹や2匹で発病はしないという実態があるために、現実的な対応策が立てられる余地が生まれる。その余地をどこまで広げるかによって様々な議論が百家争鳴する。
 新型コロナウイルスの場合は患者がつける場合は布マスクでもサージカルマスクでもウイルス放出効果は違わないという結果が最近出た(https://doi.org/10.1128/MSPHERE.00637-20)。この論文では患者の場合は布マスクで十分という結果である。一方新型コロナウイルスを吸い込まないようにする目的で健康者が付ける場合は布マスク<サージカルマスク<N95マスクと防御効果が高くなるがN95マスクでも21%のウイルスはブロックできないという結果だ。このブロックする割合は論文によって異なるが防御機能の順は同じである(下記資料)。従って危険な暴露環境でのマスク使用なのか安全に近い暴露環境での使用なのかで有効なマスクの選定は違ってくる。
 新型コロナ感染症(COVID-19)が発生して以来、空気感染という言葉がタブーのように使われず代わりに「マイクロ飛沫」あるいは「エアゾル」という中途半端な言葉が当たり前のように使われてきていた。確かに従来の結核・麻疹・水痘の空気感染の概念とは上述の通り違う。この3者は患者部屋の空気の共有そのものを回避すべく完全隔離という従来の空気感染対策の概念である。このクラシカルな概念とは違うので社会が過剰反応でパニックを起こさないように、エアゾルやマイクロ飛沫という言葉が頻用されるようになったものと思われる。
 新型コロナにおいては条件が重なれば空気感染も起こり得るという前提のもとでの概念の「準空気感染」である。日本流にいえば3密下の空気感染、WHO流に言えば3C下での空気感染とでも言えようか。あるいは「エアゾル感染」を専門用語に転用して ’飛沫核から飛沫に至る大小のエアゾルによって3密等の一定条件下を前提として生ずる感染様式を言う’ 等の定義を新設したらどうだろうか。
 SARS以来、SARSやノロウイルスの時がそうであったが、空気感染するかもしれないとあいまいな表現が出ては消えていたが遂に上記のように明確に言った研究者が現れた。そろそろ、従来の「飛沫感染」と「飛沫核感染(=空気感染)」に第3の概念の「準空気感染又はエアゾル感染」等を専門用語に追加してもよい時期に来ていると思う。

マスク関連の資料:
 1、Ability of fabric face mask materials to filter ultrafine particles at coughing velocity https://doi.org/doi:10.1136/bmjopen-2020-039424 (2020年10月)。マスクの素材による違いの文献は以前よりあるが最近、ウイルス粒子大の0.02~0.1μ粒子についてのデータも出た。布マスクでも一定の防御効果がある一方HEPAフィルターも完全ではないと疑問を投げかけているようだ。ウイルス感染を防御するためには種類の異なる方法の組み合わせが必要であることを示唆している。
 2、Professional and Home-Made Face Masks Reduce Exposure to Respiratory Infections among the General Population. (van der Sande M, Teunis P, Sabel R (2008) Professional and Home-Made Face Masks Reduce Exposure to Respiratory Infections among the General Population. PLoS ONE 3(7): e2618.
https://journals.plos.org/plosone/article/file?id=10.1371/journal.pone.0002618&type=printable(208年7月)。手作りマスク40%・サージカルマスク21%・N95マスク1%、までそれぞれウイルスが低下して防御するというオランダのデータ(粒子径20mμ~1μ)。
 3、Effectiveness of Face Masks in Preventing Airborne Transmission of SARS-CoV-2
https://doi.org/10.1128/mSphere.00637-20 (2020年9月)。日本の上記データ(粒子径5μ以下60%,5μ以上40%の粒子群)。
 4、COVID-19: WHY WE SHOULD ALL WEAR MASKS — THERE IS NEW SCIENTIFIC RATIONALE. 
 5、How far droplets can move in indoor environments--revisiting the Wells evaporation-falling curve https://doi.org/10.1111/j.1600-0668.2007.00469.x(2007年6月)。
 6、第10回 除染作業等に従事する労働者の放射線障害防止に関する専門家検討会資料 https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000028s6j.html(2012年4月20日)。
 7、http://ku-wab.asablo.jp/blog/2020/02/28/9218715 新型コロナウイルスでのマスク不足について。新型コロナウイルス生存期間。BSL-4。(本ブログ)。
 8、http://ku-wab.asablo.jp/blog/2020/03/19/9225922 検査方法の感度・特異度などの計算の仕方について(本ブログ)。

※2020/12/9追記
Size distribution of virus laden droplets from expiratory ejecta of infected subjects. Sci Rep 10, 21174 (2020). Anand,S., Mayya,Y.S. Nature > scientific reports> articles. Published03 December 2020. https://doi.org/10.1038/s41598-020-78110-x
新型コロナウイルス感染症は特殊な状況以外は空気感染は起きないともいう? ーー空気感染論議はまだまだ保留のようだ。

いずれにしてもこれまでの知見からは、相対的なマスクの効果は布マスクでも効果絶大ということになる。患者自身が付けることにより7割減少効果が出て、防御側が着けて5割減少効果、それだけでも0.3x0.5=0.15、1.5割まで減少効果が発揮される。ウイルス排出量が少ない患者であれば発症リスクが1/7まで低下するともいえる。ウイルス排出量の多い重症患者を扱う現場でなければ、互いにマスクをしていれば感染の心配はかなり解消する。

歴史とは何か?2020年11月25日

「歴史とは何か? こんにちは。左大臣光永です。」
https://sirdaizine.com/CD/rekishitowa.html
 この方は歴史オタクと思われる方で、古典については極めて幅広い知識を身に着けている。歴史の天才ではないかとも思っている。そしてそのホームページを時々見に行って勉強させて頂いている。
 このご意見、誠にごもっともと思う。
 明治維新しかり、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康しかり、成功させたものはみな偉人でもあり生き方の天才でもありそして紙一重の狂人でもある。そこには善悪はない。数の力・物理的な力・社会的な権力、信仰の力、何らかの力で成就させればそれが歴史の土台となっていく。
 最後は正義が勝つ、なんて若い頃は信じて疑わなかったが、現実はそんなことはない。社会を動かしているものが正しいとは限らない。でもそれを土台に社会が成り立っていく。そしてそれが歴史になる。2000年前史記を書いた司馬遷も伯夷列伝で、正しくても報われず悪人も栄える、といって嘆いたという。明治維新も正義だから勝ったのではなく勝ったから正義になり官軍になった。「勝てば官軍負ければ賊軍」である。無理が通れば道理引っ込むとも悪貨は良貨を駆逐するとも言う。今のトランプ大統領をみても判る。正義か不正義か、そんなことは大海の中のコップの水の中でのことであり、自分が正しいと思うこと自体がはかなく空しいことだ。諸行無常である。大きな自然の流れから見れば長くても100年ちょっとしか生きられない人間個々人など吹けば飛んで消えるような有っても無くても良いようなものだ。
 しかし所詮そのようなものであるからこそ、生まれた以上人はみな皆それぞれに生きる価値があり、生きる意味もあり、その軽重はない。科学は進歩するが心は進歩しない。心は何千年と行きつ戻りつして進歩せず、大部分の人は歴史の中に元々無かったかのように消えていく。哲学者ヴィトゲンシュタインはジャストローの絵「アヒルに見える?ウサギに見える?」等の「絵」を使って、「人は一人ひとりみな違う」ということを説明したが人間一人ひとりみな見ているものは違う。網膜に映る像は同じでもその解釈は大脳後頭葉の視覚野で行うので同じものを見ているというのは単なる錯覚である。事実を見たと思っても同じ事実を見ていない。地球上の70億人全てが同じものを見ても脳の解釈は夫々別のものを見ていることになる。

<div class="msg-pict"><a href="http://ku-wab.asablo.jp/blog/imgview/2020/11/25/5c66a6.jpg.html"
target="_blank"
onClick="return asablo.expandimage&#40;this,384,453,'http://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2020/11/25/5c66a6.jpg')"><img src="http://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2020/11/25/5c66a5.jpg" alt="アヒルに見える?ウサギに見える?" title="アヒルに見える?ウサギに見える?" width="300" height="353"></a></div>

 即ち、人間は見るもの聞くもの考えるもの、相互に偏っている。偏っていることを相互に自覚しないことが対立を生み、戦争を生む。その違いを受け入れない限り共存は出来ない。その典型が宗教とイデオロギーである。そこには善悪も正義不正義もない。思い込みあるいはそれぞれの信念があるのみである。そしてしばしば衝突する。
 数日前にジョンレノンのドキュメンタリーをNHKテレビBSで「イマジンは生きている ジョンとヨーコからのメッセージ」を放映していた。「イマジン」の歌詞でジョンレノンを赤で危険人物とその時の米国FBIが断定していたそうだ。no religionの言葉尻をとらえて宗教を侮辱していると保守派の攻撃も受けたという。どこでケチを付けられるか分かったものではない。不動の心をもって、どこまで協調しどこから服従するかは難しいし、その判断は一人ひとり違う。それでも共存するためにひとつ言えることは、論語にもあるように「和して同ぜず」ということだ。そしてそこに善かろうが悪かろうがすべての存在意義がある。
 昨夜、やはりNHK BSでアナザーストーリー「三島由紀夫 最後の叫び」を放映していた。ちょうど50年前の出来事だ。自分は学生時代でどう生きるべきかで悩んでインドを無銭旅行したりしていた頃だった。この頃は自分のことを考えることが精いっぱいで、色々な人がいるなという程度の受け取り方だった。強い印象は残っていない。あの頃は学生運動が真っ盛りの頃で集団でのリンチ殺人や早稲田大学構内で殺人事件があっても罪にならなかった変な時代だった。ノンポリで何もしないのは悪いことをしているのと同じだと責められて辛い思いもした。それでも「これは俺の性分だ」と自らに言い聞かせた。でも悩みながらインドにも行った。静岡三島の沖ヨガ道場にも行った。四国多度津の少林寺拳法道場にも行った。そんな時代に三島由紀夫事件は起きた。今初めてその真相を知った。自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室で真一文字に横に10cm以上、腸が飛び出るほどの見事な切腹だったという。その介錯をした森田も並んで切腹した。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
)。その時朝日・毎日等大手の新聞は示し合わせたように狂気の暴走、反民主主義的な行動と簡単に断罪し、警察当局も事件を単なる暴徒乱入事件で処理する方針であったという。国内においては横並びの評価なのに対して、海外からは「私は佐藤首相が三島の行動を狂気と言ったのが間違いであることを知っている。三島の行動は論理的に構成された不可避のものであった。・・・世界は大作家を失ったのである」(ドナルド・キーン)、「三島は高度の知性に恵まれていた。その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識していなかったのだろうか。・・かつて大衆の意識変革に成功した人はひとりもいない。アレキサンドロス大王も、ナポレオンも、仏陀も、イエスも、ソクラテスも、マルキオンも、その他ぼくの知るかぎりだれひとりとして、それには成功しなかった。人類の大多数は惰眠を貪っている。あらゆる歴史を通じて眠ってきたし、おそらく原子爆弾が人類を全滅させるときにもまだ眠ったままだろう。・・・彼らを目ざめさせることはできない。大衆にむかって、知的に、平和的に、美しく生きよと命じても、無駄に終るだけだ。」(ヘンリー・ミラー)等との評価もあったという。益田兼利総監はなぜこんなことをするんだと聞いたが三島はこうするしか仕方なかったと言ったという。用意周到に計画されて三島にとっては死を覚悟した上での行動だったという。
 これを聞いた時に、明治時代の田中正造が思い浮かんだ。
 権力に逆らい自分の行動が効を奏しないのは承知の上で消えゆく谷中村に最後まで残留し続けそしてその途上亡くなった。一方、同じく権力に逆らい続けた同志の左部彦次郎は土壇場で現実的な次善の策を選んで袂を分かち田中正造からは今悪魔と言われ、世間からは裏切り者のレッテルを貼られ寂しく亡くなった。どちらも自らの信条に基づき行動せざるを得なかった選択であったと思う、互いが互いの信念に従って「こうするしか仕方なかった」と。田中正造はガンジーに47年先駆けて ”非暴力不服従” を貫いた人である。約120年前の足尾鉱毒事件の評価は今でも田中正造は神で左部彦次郎は裏切り者という世間のレッテルは変わらない。いかに理不尽で世間の断罪が軽薄なものか、あてにできないか、この三島事件の放映を見ても分かる。世間の評価がどうであろうと、自分は自分で生きて行って良いのである。