ビジョン・フィロソフィー・ミッション・理念等の違いについて2023年12月14日

ビジョン・フィロソフィー・ミッション・理念等の違いについて
ビジョン・フィロソフィー・ミッション・理念等の違いについて

何らかの企業等集団の運営に当たっては理念を掲げることが大事とされている。自分でも小規模ながら病院運営に携わり退職後は小さな介護施設の運営にも携わった。そしていかにそれが大事であるかは身をもって実感してきた。更に現役の時は悉く上手くいかなかったことから学び退職後は少し効果が出たことも実感してきた(図1)。
しかし最近、理念だけでは足りないと思う何かの違和感があるので改めて調べてみた。
抑々トランプもプーチンも習主席も立派な理念は持ち合わせているはずである。でも何かがずれている。かつて原理研と言われた統一教会に係る政治家も気づいていながら気づかないふりして係わっていた筈なのはなぜか、50年前から自分でも違和感を感じていた。それぞれの政治家も立派な理念を持っているはずである。理念を導く何かが、社会と調和させる何かが、理念を制御する何かが、その上位にあればそれらへの違和感は生じないはずである。道徳感ともちがう、倫理感とも違う何かがあるような気がする。道徳感と倫理観との違いは後者が批判的吟味を必須とされていることであるともいう。
調べてみたらフィロソフィー・ミッション・理念等それらの言葉の定義や考え方は使う人によってバラバラであるようだ。バラバラであってもそれによってその企業の目指すベクトル(方向性と思いの強さ)の職員の意識統一できるのであれば何の問題もないとは思う。しかしながら理念だけではどうも足りないのではないかと最近感ずるようになったのは何故なのか。理念は企業の数だけ異なるものがあって良いものであるが、それを導く何かモラルのような指針がなければいわゆる反社会的なものも許されてしまいかねないと思うようになった。現に今ウクライナでもイスラエルでも戦争をしている。
改めてこれまで自分が四苦八苦して考えて実践してきたことをもとに纏めてみる。

・理念とは企業等のいわば家訓と言えるものである。家訓とはそれぞれの家の決まり事であり正邪善悪の枠は有っても無くても良い。その家族の意識の共有・アイデンティティを醸成するものである。家族の数だけ、企業の数だけそれぞれの理念があってしかるべきものである。戦国時代の毛利家の三矢の教えは良い例である。どうも国家も同様に考えた方がよさそうだ。
・ミッションがビジョンの上に位置するとの考えもあるようであるが自分はそうは思わない(⑤)。
・法体系では憲法がピラミッド体系のトップであるように、企業等組織運営のビジョンや理念等の捉え方もピラミッド体系であるべきである。多職種協働の捉え方がフラット体系であることと比べるとピラミッド体系は次元が全く異なる体系である。多職種協働がフラット体系でやっと機能するのとは対照的である。
a. いわゆる戦術(Tactics)は当面する目先の対応であり戦略(Strategy )はそれより大局的な視点での対応であるのは誰も異論はないものと思う。
b. 使命(Mission)と理念(Credo,idea)を同列に扱うことには大きな問題があるかもしれない。けれども使命が客観的な役割で、理念は主観的な役割であるとの捉え方には異論がないものと思う。使命から外れた理念を掲げれば抑々土台から崩れる。外れなければどちらが上位でも良いので自分は同列とした。この場合の使命は具現化された社会的な役割という捉え方であり、抽象性はない。
c. 哲学(Philosophy)とビジョン(Vision)を同列に捉えるかどうかの位置づけも大いに問題になる所である。使命(Mission)を具現化するための考え方と行動指針が哲学(Philosophy)であるという捉え方もあるようであるがこの捉え方では哲学は上位概念からは少し引き下がる。
d. ビジョンの定義は難しいがミッションやフィロソフィーだけでは何か足りない。それを埋めるものがビジョンであるという捉え方である。ビジョン(展望)という語彙が適切であるかどうかはわからない。もっと適切な言葉があるかもしれない。こう在りたいと思う未来の姿・はるか先を見通したあるべき姿、を一言で表す言葉はあるだろうか。
e. 抑々宗教やイデオロギーは善悪正邪を超えたもので犯さざるべきものとの前提で捉えていたが、このピラミッド体系から見ればフィロソフィーにもビジョンにも相当しないことになる。理念や使命と同列に捉えた方がすっきりする。その方が戦争も起きないのではないだろうか。
f. クオリアとの関係はよくわからない。人文科学(人文学)も良く分からない。哲学の位置付けも分かったつもりであったが良く解らなくなった。

資料:
①日本の展望―学術からの提言 2010 平成22年(2010年)4月5日 日 本 学 術 会 議 哲学委員会 哲学の展望分科会 https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-h-1-2.pdf 。
②哲学的ゾンビ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93 。
③クオリア 土谷 尚嗣 脳科学辞典 DOI:10.14931/bsd.7155 2016年6月9日編集担当 定藤規弘(自然科学研究機構生理学研究所) https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2 。
④クオリア 心の哲学まとめWiki https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/67.html 。
⑤ミッション・ビジョン・バリューとは、それぞれの違い 日本の人事部2023/08/30 HR vision kk https://jinjibu.jp/keyword/detl/1480/ 。
⑥【雑想】「社会科学」は「人文科学」ではない?そもそも「人文学」は「科学」?HatenaBlog https://ochimusha01.hatenablog.com/entry/2022/02/07/104703 。

図について:
 企業運営視点では、理念や使命よりも上位の観念があるはずであり、それをビジョン(展望)と表現した。モラルをも包含しイデオロギーや宗教に近い、正邪善悪を超えた何かがあるはずでありそれをビジョンと表現した。
・哲学はビジョンを達成するための行動指針であり、生の根本命題としての哲学を意味しない。ミッションを上位に置きフィロソフィーはミッションを具現化するための考え方と行動指針 であるとする捉え方はここではしていない。
・使命は社会から期待される客観的役割に相当し、理念は自ら定める主観的役割に相当するという違いがあるが同列とも言える。使命は社会環境で短期で変わり得るが理念は抽象的で短期的に変更するものではないという違いもある。理念はその為の具体的羅針盤としての行動指針が必須である。理念を共有することと職員であるということはイコールである。理念を共有できなければその職員ではないとも言える。
・戦略は長期計画や長期目標に相当する。
・戦術は短期計画・年度計画・年度目標等の目先対応に相当する。

(様々な表現が存在するので一部挙げてみる。ビジョン・フィロソフィー・バリュー・ミッション・ミッションステートメント・理念・信条・クレド・プリンシプル・パーパス・スローガン等。)

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