メトフォルミンマニアになって欲しいとの提案に対して ― 2021年07月22日
2021/7/21 アサブロ
メトフォルミンマニアになって欲しいとの提案に対して、
週刊日本医事新報に面白いテーマの記事が載っていた(下記)。
( 日本医事新報 トップ>特集>No.5074:メトホルミンマニア─多彩な作用機序を理解して実際の使用法を考える 2021-07-20 )。 メトフォルミンマニアになって欲しいとの提案である。
そう言えば、90才過ぎの高齢者にもこのメトフォルミンが処方されているのも最近時々見かけるようになった。これは乳酸アシドーシスのリスク故にかつて日本では製造中止になりその後外国でその有効性を見直されて逆輸入され再販されるようになった糖尿病薬である。今ではその効能が見直されて広く再使用されるようになってきている。
かつて医療保険の審査委員をしていた時にあまりにも安易に使われすぎていると感じてこの問題を提起したことがあった時に、それは医師個々の判断に委ねるべきことだと言われて素直に引き下がったことがあったが、そのとおりでもある。
この判断について、自分の思い込みが間違っているのかも知れないが、今でも自分はこの薬は75歳以上の高齢者には処方しない主義である。それによって患者に不利益を及ぼすこともないと思っているからでもある。
原因の異なる乳酸アシドーシスはこれまでの医者人生で2-3例経験しているが、念頭に無ければ診断が困難で適時適切な治療をしなければ命にも係る病態である。従って医学的或いは医療倫理上には認められていても性分として自分は行わないという医療手段は他にもあるがその一つである。喘息に対するケナコルトA、末期癌に対する睡眠剤自体による持続導入、等その他にもいくつかはある。
また、出血性腸炎とMRSAとの関係は相関関係があっても因果関係はなかったと今では受け取られているが、かつては出血性腸炎の原因としてのMRSAが当たり前のごとく多くの症例報告がなされ今では因果関係がほぼ否定されているものもある。エビデンスへの批判的吟味の必要性を示す例である。
自分が愛用しているものは他人にも良いと思い薦めたくなる気持ちは誰にもあると思われるがこの多様性の社会で対立を生まないためにはその気持ちを戒めた方が良いものが沢山ある。
たとえ家族や夫婦であってもその見極めは大事である。同じ事実に対してさえその心象風景は人間一人ひとり皆違う。理屈では分かっていても自分には出来ない・したくないということを、相手にも分かり易く表現するのに ’自分の性分だから’ と表現した人がいたが成程と思ったことがかつてあった。
イデオロギーや宗教がその典型であるし、医療も特に高齢者医療では常にぶつかる問題であり無視しては成り立たない程に沢山ある。
メトフォルミンマニアになって欲しいとの提案に対して、
週刊日本医事新報に面白いテーマの記事が載っていた(下記)。
( 日本医事新報 トップ>特集>No.5074:メトホルミンマニア─多彩な作用機序を理解して実際の使用法を考える 2021-07-20 )。 メトフォルミンマニアになって欲しいとの提案である。
そう言えば、90才過ぎの高齢者にもこのメトフォルミンが処方されているのも最近時々見かけるようになった。これは乳酸アシドーシスのリスク故にかつて日本では製造中止になりその後外国でその有効性を見直されて逆輸入され再販されるようになった糖尿病薬である。今ではその効能が見直されて広く再使用されるようになってきている。
かつて医療保険の審査委員をしていた時にあまりにも安易に使われすぎていると感じてこの問題を提起したことがあった時に、それは医師個々の判断に委ねるべきことだと言われて素直に引き下がったことがあったが、そのとおりでもある。
この判断について、自分の思い込みが間違っているのかも知れないが、今でも自分はこの薬は75歳以上の高齢者には処方しない主義である。それによって患者に不利益を及ぼすこともないと思っているからでもある。
原因の異なる乳酸アシドーシスはこれまでの医者人生で2-3例経験しているが、念頭に無ければ診断が困難で適時適切な治療をしなければ命にも係る病態である。従って医学的或いは医療倫理上には認められていても性分として自分は行わないという医療手段は他にもあるがその一つである。喘息に対するケナコルトA、末期癌に対する睡眠剤自体による持続導入、等その他にもいくつかはある。
また、出血性腸炎とMRSAとの関係は相関関係があっても因果関係はなかったと今では受け取られているが、かつては出血性腸炎の原因としてのMRSAが当たり前のごとく多くの症例報告がなされ今では因果関係がほぼ否定されているものもある。エビデンスへの批判的吟味の必要性を示す例である。
自分が愛用しているものは他人にも良いと思い薦めたくなる気持ちは誰にもあると思われるがこの多様性の社会で対立を生まないためにはその気持ちを戒めた方が良いものが沢山ある。
たとえ家族や夫婦であってもその見極めは大事である。同じ事実に対してさえその心象風景は人間一人ひとり皆違う。理屈では分かっていても自分には出来ない・したくないということを、相手にも分かり易く表現するのに ’自分の性分だから’ と表現した人がいたが成程と思ったことがかつてあった。
イデオロギーや宗教がその典型であるし、医療も特に高齢者医療では常にぶつかる問題であり無視しては成り立たない程に沢山ある。
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