NHK歴史テレビ番組の ‘奇想天外な策略で戦国を生き抜いた伊達政宗”の意外な側面’2025年04月25日

NHK歴史テレビ番組の ‘奇想天外な策略で戦国を生き抜いた伊達政宗”の意外な側面’ 

伊達政宗のドラマは少なからず見たが、このような視点からの解釈は初めて聞いた。面白く、策略の天才とも思えた。地元の人たちにとっては知る人ぞ知るで当たり前のことだったのかもしれないが、それにしても摺上原の戦い前後の分析にはそうだったのかと大いに勉強した。

 会津黒川城主の蘆名義広は、明治の足尾銅山鉱毒事件で名を馳せた左部彦次郎の先祖でもある。
 蘆名義広は佐竹家から蘆名家へ養子に入り蘆名を名乗った人物だが常陸国の佐竹義重は蘆名義広の実父でその佐竹氏を継いだ義宣は実兄である。その佐竹義宣も1600年関ヶ原の戦い後に徳川家康から秋田城(正確には湊城/久保田城)への減転封を命じられたので、摺上原の戦いで政宗に敗走して佐竹に身を寄せていた義広も同行し、のちに支藩の角館城主になった(義広→盛重→義勝と改名を繰り返した)。
 摺上原の戦いで伊達政宗は黒川城を手に入れたものの小田原合戦遅参を責められて豊臣秀吉は黒川城を蒲生氏郷に与えたため、伊達政宗は米沢城に戻ったものの同年中の奥州仕置(1590年)で米沢城も蒲生氏に与えられかつ翌年の領地没収で岩出山城に移った。その後の会津黒川城は1598年上杉景勝の手に渡ったが関ヶ原で西軍に付いたために米沢城へ減封(1600年)となり、転封して来た蒲生氏が再び黒川城に入城、その後は江戸時代になって(1643年)会津松平家にとって代わってからは戊辰戦争の松平容保まで続いた。
 このような経過を辿った黒川城であったが秀吉は蘆名に返さず蒲生氏郷に渡してしまったために、蘆名義広の妾腹蘆名又十郎盛近は行き場を失い暫く常陸国田島村等に潜伏し殺害を恐れて家臣の勧めで佐部姓に改姓しのち上野国奈良村に移住した。これが家史の記録である。
 蘆名盛近から19代目?の左部寿一郎は『躍進群馬県誌』昭和15年発行45頁で「天正年間会津城主蘆名氏滅亡に当り次男雅樂池田村奈良に逃れ郎党と共にこの地に住し、・・・左部と改め現在に及んで19代なり」と述べている。左部寿一郎は東京帝国大学を卒業後北九州市の合併等に尽力し俳諧にも通じ(俳号赤城子)、先祖代々と同様に俳諧にも造詣が深かったが早逝した。
 江戸高輪泉岳寺に歌碑がある蘇和も父の三岳(江戸時代後期の14代目?左部善兵衛寛信の俳号)に連れられて江戸に遊んだという。寿一郎の弟左部千馬(俳号人日居)も旧制中学時代に “千円もあれば日本詩壇を掻きまわして見せる” などと豪語していたと友人の児童文学者で詩人の小野忠孝に語る程に自負を持っていた(『詩集 若き日の歌』の跋文)。芝高輪泉岳寺の蘇和の『楓樹の碑』に「春風や空に消えゆく舟のみち」。
 左部彦次郎の娘で歌人の大場美夜子は詩集『かく生きて』の中で左部千馬と会っていて「自分の俳句好きも家系によるらしい」と書いている。

〇NHK歴史探偵「伊達政宗の策略」初回放送日:2025年4月23日再放送予定4月29日(火) 午後11:50〜午前0:35 https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/episode/te/BR4KVL1RJ2/ 。
〇YAHOO!Japanニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/a02df6e22797a9df8177dbc45cec72f3cf795446 。

NHK BS「・・政党政治に懸ける 最後の元老 西園寺公望」2025年04月13日

NHK BS「・・政党政治に懸ける 最後の元老 西園寺公望」

NHKテレビBS「英雄たちの選択」シリーズ 昭和のあけぼの (1)政党政治に懸ける 最後の元老 西園寺公望(再放送2025/4/16(水) 午後5:00〜午後6:00) https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/episode/te/BM1R2WRGM3/ 。

何となくビデオ録画しておいたものを見て予想外に大変勉強になった。
足尾鉱毒事件について左部彦次郎は世間では誤解されていると感じて以来調べ始めた歴史の素人が、田中正造やガンジーや牧野伸顕や黒澤酉蔵など様々な関係を知り、その歴史のダイナミックさに興味をそそられて以来、歴史に興味を持つようになった。
 しかし多くが断片的であるが今回、田中儀一首相が天皇に激怒されたこと、天皇機関説の意味、政党政治・藩閥政治の意味、元老院の意味、教育勅語の意味、天皇は君臨すれども統治せずの意味、それぞれバラバラに記憶に残っていたものを鮮やかに整理してくれた。そして歴史オタクの磯田 道史氏の知識には改めて敬服した。
 今、第二次大戦後の反省から築かれてきた世界の秩序から武力政治に逆行しつつある、その理由の一端を教えてくれた。

選択的夫婦別姓に反対する候補には「投票しない」と女たちの会2025年04月11日

選択的夫婦別姓に反対する候補には「投票しない」と女たちの会

行き過ぎた固定観念に異を唱える勇気ある人たちが行動に出てきた。
古い伝統と勘違いして明治になって初めて創られ、あるいは明治になって根付いてしまった習慣や観念は伝統と称して沢山ある。それにしがみつき過ぎるのはどうかと思う。
<選択的夫婦別姓に反対する候補には「投票しない」その明確な理由 「女たちの会」が参院選を前に声明公表2025年4月4日東京新聞 https://www.tokyo-np.co.jp/article/396377?fbclid=IwY2xjawJlokVleHRuA2FlbQIxMQABHu1FDh7lzn3vSuvCfTnLUJ8210Ljo178q7eGKqiqd4grVmRMa7jrMdklFLpL_aem_bzylg_GtiX1yXLhYnhb0QQ 。>

 男尊女卑という考えは紀元前の中国より有ったとはいえ、日本は鎌倉時代以降戦国時代までは実力社会で男女同権でもあったというのが事実であるようだ。聖徳太子の冠位十二階も始まりは身分に関係なく有能な人材の登用が目的であったという。しかし既得権益にしがみ付く人間の性ゆえに歪められて逆効果になることが古から今日に至る迄も繰り返されてきた。
 鎌倉時代は女の地頭職や御家人も居たし、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉にも謁見して多くの記録も残したと言われるルイス・フロイスも「日本の女性が男性と対等の権利を持っている」と記録に残しているという。それより前でも熊谷氏の娘で発知二郎(沼田氏分家)に嫁し夫の死で後家になった尼明法乗信は熊谷郷の熊谷彦次郎に対して領地争いで1300年に訴訟を起こしている。
 靖国神社は明治になって国策で初めて創建され戦争に利用され第二次世界大戦まで続いた。そして大戦後に民間の宗教法人になった。しかし何故か今でも得体のしれない恐ろしい程に一部の日本人の心を掴んでいる。明治から昭和にかけて多くの日本人が戦争で死に英霊として祀られているので、それを金科玉条に掲げられて反論できる日本人は誰もいないであろう。日本人の中には身内や親戚の誰も祀られてはいないという人はいないであろうが、身の回りには靖国神社に特別の感情を持っている人は居なかった(自分の母の弟も祀られているがその母に靖国神社への拘りは全くなかった)。一般国民に紛れて誰かが利用しているのは間違いない。そうでなければ福田康夫首相が千鳥ヶ淵を日本人の心にしようと決めて検討に入り間も無く立ち消えてしまったことを説明できない。

最近、某感染症専門医に送った資料のメモ2025年03月15日

2025/2/■
■■■■■■■ ■■■■
■■■■先生 御机下

■■先生へ最近のワクチン行政への助言のお願い、

 突然のメールで失礼します。お願いがあってメールさせて頂きました。■■先生が不活化ワクチンは世界標準の筋注にすべきとのご意見は承知の上でのお願いです。先生のご指摘の通りに実際のワクチン行政が筋注に動いていることに対して一部危惧を感じている者ですが、御高名で発信力の強い先生故に是非高齢者施設の実態(医学的には筋注不可で医学的には皮下注になって仕舞う方「見做し筋注」が少なからずいるという実態)を知っておいて欲しいという思いからメール致します。(私は定年退職後に老健に勤務し、その最中にCOVID-19パンデミックを経験し、その老健も退職して今はアドバイザーとして週2日のみ関わっている78才内科医です。)

 SARS-CoV-2ワクチンの導入初期の当時は副反応がどの程度出るのか不明であったために私の職場(■■:入所者100名)で筋注の可否をエコー検査でチェックした所入所者の約3割が医学的に筋注不可(エコー検査で明瞭に判定可能です。医療上は「見做し筋注」とも言える?)という結果でした。
免疫学で高名な専門家(■■■■教授)に当時お聞きした所では免疫効果は同じなので筋注できなければ皮下注すれば良いのではないかと気楽におっしゃっていましたが、私達現場の医師は添付文書に違反していないかどうかは診療上大事なポイントです。万が一ワクチン注射が原因で死亡して訴訟になれば裁判官や検事はその違反をつきかねないことは明白なので、施設での初回のSARS-CoV-2ワクチン注射の時はその3割の方は医学的に非適応との理由でワクチン注射を私はしませんでした。このことは全国老人保健施設協会(全老健)の■■■■■会議にも議題として取り上げて頂きましたが(幸い知人がその一人であったため)、出席者全員が “何処かに筋注できる筋肉があるのではないか“ との一同の意見でその知人からはお役に立てず申し訳ありませんでしたとのご返事でした。■■の指導者達さえ認識していないという現実がその時にはありました。
当時私は万が一を考えて「見做し筋注を認めてくれなければワクチン筋注できない高齢者がいると官邸にもメールした上で医学的に筋注不可の約3割の方には初回の新型コロナワクチン注射はしませんでした。勿論官邸からの返事はありませんでしたが最悪の場合を考えての行動でした。2回目3回目と高齢者のワクチン実施率が上がって90%位迄きたのを知り世間では皆、見做し筋注を行っているという実態を確信してそれからは実質医学的には皮下注であっても私も見做し筋注という名目でワクチン接種を行うようにしました(勿論衰弱しきった方は別の意味で非適応。なお日本製のインフルエンザワクチンは皮下注でかつアジュバント非含有で副反応も弱いので希望があれば気に病むことなく衰弱高齢者にも行えております)。

 ■■入所者と言っても施設毎にその廃用症候群のレベルは様々で、私たちは他の■■では受け入れられない方こそご家族のためには受け入れるべきだという方針で受け入れてきましたので普通の風邪合併でも死に直結するような方も少なからず入所しておりました。■■を運営しているDr達でさえも廃用症候群の筋委縮の実態と筋注・皮下注の法令上の違いは認識していないことの証左でした。
 一方SARS-CoV-2ワクチンだけでなく、ここ数年の高齢者のワクチン行政は筋注限定に傾いていて昨年もPCV20が日本でも認可されましたがその添付文書には、小児は「皮下注ないし筋注/成人には筋注に限定」となっています。その状況については以前のPCV7から最新のPCV20に至るまで行政上の対応は同様でした。ワクチンの臨床試験自体が筋注のみで行っていますので添付文書記載の仕方も止むを得ないとも言えますが、それでは益々高齢化して医学的筋注ができなくなる高齢者が増えてくるという超高齢社会の現実から矛盾した行政対応になって仕舞うことは間違いありません。
 免疫力の衰えた高齢者こそワクチン接種すべきだという一方で、高齢者のワクチンを筋注に限定するのは、超高齢社会のフロントランナーである日本の在り方としては矛盾している医療行政と言えます。
ワクチン認可のための治験が外国ではすべて筋注で、日本においては小児で少しの皮下注・筋注の比較試験があるのみで皮下注を許可していますので、ワクチン行政は実態の逆を走っているとも言えます。このままいけば超高齢射会のフロントランナーの日本の役割が世界に向けて果たせなくなるのではないでしょうか。高齢者にも適応になるワクチンの場合は試験の段階での皮下注・筋注の比較試験も併せて行い、ひいてはワクチンの添付文書の用法を高齢者も「皮下注ないし筋注」との融通ある表現に改めて頂けるようにワクチン行政を預かる方々にアドバイスして頂きたくお願い申し上げる次第です。

 なお皮下注より筋注の方が副反応が少ないという筋注誘導への思惑が見え隠れする表現が専門家の間でもありますが、これも科学的な根拠に乏しい気がします。いくつかの治験データを見る限り有意差を認める副反応の違いはないようです。むしろアジュバントの違いや有無、そして筋注の方が深いので発赤や腫脹は目立ちにくいのが当たり前で局所疼痛という炎症効果の点では差がないということから見ても大きな差がないと取るのが順当ではないでしょうか(皮下注筋注の副反応比較資料は下記①②③)。
 (長文で申し上げ失礼しました。)

①2022年6月23日Hidemasa Kuwabara免疫学の専門家が初めて、筋注・皮下注とで免疫効果は違わない・・・ https://www.facebook.com/hidemasa.kuwabara/posts/pfbid025WQuzhedNw96r7YAx4gKEAAcF18LYjVozfsiLfTc2Q8rhdNsvErG8M9peYsfyLWgl?__cft__[0]=AZWmHUwiYlqH1-EZowhecj4HcLYUOwLKJeku-cEFCN-MG36R995QWvu3HQSUY77NrAdsdKpMIOxqtYOZPQoDz8IYeldmk7fdOHSQnRUOOB9xq1lGdm9-WXfqxIsHZStl6iI&__tn__=%2CO%2CP-R 。
②審査結果報告書平成21年9月8日医薬食品局審査管理課(沈降7価肺炎球菌結合型ワクチン)安全性について局所反応全身反応p51-53. https://www.pmda.go.jp/drugs/2009/P200900053/53039600_22100AMX02255_A100_1.pdf 。
③審議結果報告書 令和6年3月4日 医薬局医薬品審査管理課(沈降20価肺炎球菌結合型ワクチン)7.2 国内第Ⅲ相試験p16-20. https://www.pmda.go.jp/drugs/2024/P20240327001/672212000_30600AMX00115_A100_2.pdf 。

ーーーー以上です。
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COVID-19ワクチンによる極々稀なアナフィラキシー併発症等(ATAK-complex)について2025年02月28日

アサブロ(facebookメモ)

COVID-19ワクチンによる極々稀なアナフィラキシー併発症等(ATAK-complex)について

アナフィラキシー治療の第一選択はアドレナリンであることは誰も異論はないと思うけれども、アドレナリン自体がアナフィラキシーを誘発する場合も極々稀ながらあり得るという。
言われてみればアレルギー治療薬の副腎皮質ホルモン自体でアレルギー/アナフィラキシーを稀に起こし得ることは専門医であれば既知のことであるので驚くことではないかもしれない(主に含有安定剤として含まれるパラベンに依ることが多いがコハク酸塩自体が誘発する場合もある)。アドレナリン製剤の添付文書を見ると亜硫酸水素ナトリウム 0.5mg/ampleを含有と確かにある(⑦)。
 しかし、米国接触皮膚炎協会(学会)がアドレナリン製剤に含まれる亜硫酸塩をアレルゲン・オブ・ザ・イヤーに指定したとなると気にしない訳にはいかない。あらゆる日常品に含まれ無害とされている亜硫酸塩にも注意すべきとの注意喚起の意味と思う(①②③④)。ATAK-complexもあるよと言われても時間を争うアナフィラキシーならば対応に逡巡している余裕はないので取り敢えず迷わずアドレナリン注する以外に選択肢はない。そして単純に器械的にこうすれば完璧だなどというものはなく、担当Drの心の内は悩みながらも迅速対応して反応を見て次の一手に対処する以外にはないのである。
 COVID-19ワクチンによる急死例の原因も極めて稀ながら複数あり(それでもCOVID-19罹患よりは余程少ない)その原因の一つにアナフィラキシーがあるけれど、鑑別し難いいくつかが併発することにも注意すべきとATAK-complexとも表現されているようだ。通常のアナフィアキシーだけでなくアドレナリン誘発やたこつぼ心筋炎やKounis症候群が併発することも有り得ると言われては治療実践する立場としては益々悩まざるを得ないわけですが、推定死亡時体温46℃程の超高熱が出る死因もありその場合はAKAK-complexでも説明できないので更に別疾患と思われる(⑤⑥)。自分にはその超過換気症候群のような発熱原因現象を伴う場合は悪性症候群しか思い当たらない(⑧⑨)。今でも自分はそう思っている。
 (資料)
① Covid-19ワクチン接種後のATAK複合体・・(ATAK Complex (Adrenaline, Takotsubo, Anaphylaxis, and Kounis Hypersensitivity-Associated Coronary Syndrome) after COVID-19 Vaccination and Review of the Literature .  Vaccines 2023, 11(2), 322; https://doi.org/10.3390/vaccines11020322 ) https://bibgraph.hpcr.jp/abst/pubmed/36851200 。
② 亜硫酸塩に関するファクトシート(内閣府食品安全委員会資料2012年2月2日) https://www.fsc.go.jp/fsciis/foodSafetyMaterial/show/syu03520110208#:~:text=%E4%BA%9C%E7%A1%AB%E9%85%B8%E5%A1%A9%E3%81%AF%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%81%8B,%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E7%B5%90%E8%AB%96%E4%BB%98%E3%81%91%E3%81%9F%E3%80%82 。
③ 亜硫酸塩:2024年米国接触皮膚炎協会アレルゲン・オブ・ザ・イヤー(Sulfites: The 2024 American Contact Dermatitis Society Allergen of the Year) https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/39787305/ 。
④ アレルギー性心筋梗塞のジレンマ:それはアナフィラキシーかエピネフリンか?(The allergic myocardial infarction dilemma: is it the anaphylaxis or the epinephrine?) https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/33544285/ 。
⑤ Four cases of cytokine storm after COVID-19 vaccination: Case report Front Immunol. 2022 Aug 15:13:967226. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36045681/ .。
⑥ コロナワクチン接種後死亡剖検例報告 大学病院医療情報ネットワークセンター https://square.umin.ac.jp/~massie-tmd/nagao_masataka.html 。
<急死時の推定体温30~max46℃、これは通常のアナフィラキシーやKounis症候群では説明できない。>
⑦ 日本薬局方 アドレナリン注射液(ボスミン注1mgアンプル、第一三共kk)添付文書 https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00057227.pdf 。
<1アンプル中には亜硫酸水素ナトリウム 0.5mgを含有している。>
⑧ 愛西市ワクチン死亡の件 https://www.facebook.com/hidemasa.kuwabara/posts/pfbid031NzLc6LfbM2xpWSoMEG7KGmycCzeFkrGubosQDHv3AXQ4TqcHVWvHvfG7gxhJGnxl?__cft__[0]=AZX1HYN2kYpUlHUSD5_oP5tbaq7ARFoh_I2ZQBH7raJ5OCuGyH5QsdSk-jn5kXM0mOZXEqsBISO2V78kdm2wMLmhSr1IgPQn9SNMB8tBU__zMscw6NIJUFXY9JulmiDGaps0aHpS4xxTQFZk7jCa7uFYpUUdzQI_a3Alq0bLdN2nVw&__tn__=%2CO%2CP-R 。
⑨ オミクロン株BA.4/5ワクチン注射直後に急変した事例は悪性症候群? https://www.facebook.com/hidemasa.kuwabara/posts/pfbid02iE7SDPnmbH4RazBkpy2H1cYrDf61JtF3pU3GHd4quiJhmKxhhHBwcMxGhrM7P1tsl?__cft__[0]=AZWAgZ8D6zH4QErytUSC-JNldPj6pjPcDu7MBMo-mGYKEFFTrwjoCbr6jfD1wZ3uKnPO6Wtg079dYWI74is-oEKqh-uvpmcVa5cnVONix98y9pLU_ZDICuyGya3tLxgB4Ow&__tn__=%2CO%2CP-R 。

スピリチュアルということ2025年02月16日

スピリチュアルということ

今や不治の病ではなくなった癌もかつては不治の病でその苦痛を表現するときに身体的・精神的・社会的苦痛の他にスピリチュアルな苦痛があるとされた。心の癒しだけではない、生きがいの本質を探るその解決策として 樋野興夫先生の始めた癌哲学外来や松本文男先生が始めた傾聴療法士養成等の試みがある。この両者共にヒトのこころを引きつけるのはその神髄にスピチュアリティの視点があるからだと思っている。
日本人は「こころ」という一語に幅広い意味を包含させてある時は浅くある時はとてつもなく深いスピリチュアルまでを含む意味をしのばせて使い、かつその使い方で深さの違いをかぎ分ける能力を備えていると思う。
しかし欧米では従来よりmentalとspiritualは分けて使っているという。石丸昌彦氏はかつてアメリカ留学時の1995年に長男の入園した幼稚園の園長先生が「皆さんはこれからお子さんたちが4つの面で日毎に成長していくのを楽しまれることでしょう。4つの面での成長、即ちphysical、mental、social and spiritual developmentです。」と挨拶していたと述べている(NHKテキストこころをよむ2024年7月-9月号,第12回9月22日放送)。WHOでも1999年にヒトの健康の定義にspiritualも含めることが話合われほぼ決定する寸前での総会で統一見解が得られずに頓挫してしまった。決まらなかった背景には捉え方が様々で特に宗教的背景が見え隠れすることを嫌ったり宗教と混同されたり代替医療が横行する危惧等への不審があったゆえに採決に至らなかったというのがその理由ではないかともいう。スピリチュアルの定義を限定しようとする論考はWHOも含めて少なからずあるようであるが未だに成功しているとは思えない。
Frailが適当な訳語が決まらずフレイルになったようにspiritualも適当な日本語訳が決まらずスピリチュアルに決まった経緯があったがもともとスピチチュアルは多義的がその本質かもしれない(frailの日本語訳が決まらなかった理由は別にある)。しかし高校保健体育の教科書には「生きがい」と表現されているというし、Spiritual painは生きがいの喪失と捉える方もいる。樋野興夫先生の癌哲学外来はまさにその生きがい喪失を取り戻すことに視点を置いた実演面接をしていた。その「生きがい」自体は個人ごとに異なっても良いし宗教色の有無も問わない。
前記の樋野興夫先生や松本文男先生の見定める先にはこの生きがいを見つける手助けがあり、樋野先生は「偉大なおせっかい」と表現していた。松本先生は全てのヒトが潜在能力を持っていると100%信頼していた。このご両人についてはかつて普及初期の頃に自分の病院でも講演を何回かお願いしたり定期的に実演開催したりしていた。そのスピリチュアルの捉え方はヒト毎に異なりその心象風景はヴィトゲンシュタイン(L.Wittgenstein,1889-1951)が言うようにヒトの数だけある。
上記の所謂通俗的なスピリチュアルとは別の側面であるのように見えるスピリチュアルの、その入口へのヒントを与えてくれるかもしれない著書に出会った。
そう言う自分も担癌生体のまま今10年になれども予想を超えて今尚元気である。癌もまた様々なのである。

(資料)
①がん哲学外来とは https://gantetsugaku.org/aboutus/ 。 https://www.yuumi.or.jp/wp-content/uploads/2022/06/booklet19.pdf 。 https://numata.hosp.go.jp/info/20160731.html 。
②傾聴療法士養成講座 NHK文化センター https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1245316.html 。
③WHO憲章における「健康」の定義の改正案のその後について(第52回WHO総会の結果)厚労省報道発表資料 https://www.mhlw.go.jp/www1/houdou/1110/h1026-1_6.html 。
④スピリチュアリティ『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3 。
⑤スピリチュアル『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB 。
⑥スピリチュアリティとQOLの関係に関する理論的検討.真鍋顕久他著,名古屋女子大学紀要56(人・社)41〜52.2010. https://researchmap.jp/read0084617/published_papers/24440906 。
⑦『あの世とこの世の仕組み』三上直子著2021年 https://booklive.jp/product/index/title_id/1315836/vol_no/001 。

4年前の心を打つ不思議な短文2025年02月11日

4年前の心を打つ不思議な短文

もう4年前になるけれど折に触れ思い出し、何故その奥様は小生にあの時あの短文を手紙に添付してきたのだろうかと、今でも少しいぶかしくも不安にもなる文章だった。それとも生前患者さんから頂いたものなのだろうか。亡くなったご主人の机の中にあったという。そのDrは小生より5年先輩だった。そして添え書きもなく唐突に送ってくれたその奥様もDrだった。以下に忘備録として載せておく。

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2021/3/11 facebook  ある介護老人の短文ー心の吐露
 長らく疎遠でありましたが最近足利でいとこが亡くなり、遺族からご報告のお手紙を頂き、下記の詠み人しらずの短文が同封されていましたが妙に胸に刺さりました。
 高齢者の医療介護業務に従事する者は、この様なお心を皆が奥に秘めているかもしれないことを忘れてはならないと訴えているような、自らを戒めてくれる言葉ではないかと思い紹介致します。以下がその短文
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君は老ひたる者の悲しみを知るまい。
歳老ひて生きつづけるとき
もはや 道化して過ごすしかないことを知るまい。
そして私も それを知らなかった。

思いもしないものによって
老人は 『老い』 という オリ につながれてゐる。
つなぐ側も つながれてゐる側も
つゆ それを知ることなく。
君は 老の悲しみを
知ってゐるか。
       72歳女性 老人ホーム入所中  S.60年
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ーー以上です。

忘備録: 『トヨタ中国の怪物(豊田章男を社長にした男)』児玉博著2024年文芸春秋発行、を読んで2025年02月07日

『トヨタ中国の怪物(豊田章男を社長にした男)』児玉博著2024年文芸春秋発行
忘備録:
『トヨタ中国の怪物(豊田章男を社長にした男)』児玉博著2024年文芸春秋発行、を読んで


 2009年8月に発生した米国のトヨタ車の高速走行中制御不能事故をきっかけに付随するリコール問題等も発生して様々な憶測も伴い、米国議会の公聴会での詰問等厳しいバッシングにもその豊田章男社長は晒されたが、丁寧に説明して見事その難局を乗り切ったその経過は見事、と心に残っていた人物であった。その豊田章男を社長にした男との副題に思わず目をとめて本を購入して読んだ。

 中国の文化大革命は計り知れない程の多くの大切な遺産を失ったであろうというのは世界の誰もが認める事実であるが、その最中だけでなくその前も中国に生まれ育ち中国にて想像を絶する環境の中で生きて来て現代中国の建設初期から昭和45年に日本に戻るまで中国で暮らし生き抜き、昭和45年待望の日本に戻ってからは偶然トヨタ自動車に勤務して、今に至るまでの「服部悦雄」(1943年伊春市生れ―)の生きざまの記録であった。人目を惹く本の章分けとは別に貴重な個人の沿革史を通して現代中国の裏面史が描かれていて一気に読めた。

 若い頃(20才台?)文革時代を描いた映画『芙蓉鎮』のビデオを友人の家で夜中に2人で見た。その時の印象は強烈で、中国人は何と忍耐強い人たちなのだろうと驚嘆した。そしてビデオが終わるまで互いに共に一言も発せず終わってから一言 “すげえ映画だったなー” と言い合って明け方近くに自分の家に帰って行ったことを今でも鮮明に覚えている。とてもまねできない程の忍耐強さという印象を持っていたが、この服部悦雄氏によれば、好死不如懶活(hǎosǐbùrúlàihuóきれいに死ぬよりも惨めに生きた方がましと言う意味と言う)が中国人の生きざまという。潔さを美徳とする日本人には到底まねできそうにないと感じていたが見方を変えれば好死不如懶活でもあるのかと妙に納得した。半世紀前にインド貧乏旅行をした頃は中国とインドは眠れる獅子と龍とも言われていたが今は両者ともに目覚めている。
 人肉を食らわっても場合に依ったら生きることを選ぶという中国人のしぶとさは忘れてはならない史実かもしれない。その本の中にある『大飢饉の時代1958~1962年中国』(原題: The Great Famine in China,1958-1962 Edited by Zhou Xun 周遜, Date: 2012, Yale University Press、Pages: 256、 https://www.jstor.org/stable/j.ctt1nq1qr まだ日本語訳本はないようだ。)はいつか読みたいと思っている。

ビジョン・ビジョナリー 違い2025年01月24日

アサブロ ビジョン・ビジョナリー違い
ビジョナリー力を調べていて、改めて考えてみた

今度の大阪大学総長は人徳のある方がなったらしいと聞きかじり調べてみたら、何とその選考会議の議長があの大波から生還した村木厚子氏だったと知り更に興味がわき、勉強のためと思い選考理由をチェックしてみた。15の共通評価指標が載っていたが、その一部にビジョナリー力と言うのがあり、ビジョンと言わずにビジョナリー力と表現した理由を知りたくて調べてみた。
 ビジョンは単純に将来構想又はあるべき姿、ビジョナリーは先見の明をもって先導することを意味して革新的な実行力も伴うというニュアンスを含むという。初めてその違いを知った。
 ビジョナリーの由来は『ビジョナリーカンパニー』ジム・コリンズ著山岡洋一訳1995年発行(原著「Built to Last: Successful Habits of Visionary Companies」1994年)、の中で定義付けられて以来定着した言葉であると言いその本は今では不朽のビジネス書になって続編も多く出ていると言う。ビジョナリー力とはこういうものかと勉強になった。Oxford dictionaryではvisionaryは意味が12種類あると書いてあった。Visionは更に曖昧模糊として幅が広すぎるようだ。しかし自分にとってビジョンは思い入れの深い言葉である。なぜなら使命や理念や運営哲学よりも上位概念としておいた方が分かり易いと自分なりにこれまで捕えてきたからである。
 組織のマネジメントではビジョン・哲学・使命・理念・基本方針・コンセプト・モットー・社是・信条・パーパス・クレド・ポリシー・スローガン・行動指針・行動姿勢・戦略・戦術等様々な言葉が使われていた。組織マネジメントに理念は必須と言われているが、ビジョンやミッション(使命)との関係をどう位置付けるかは使う人によって未だにバラバラのようだ。 自分の位置付けは下記であった。自分なりに七転八倒して得た考え方である。
  
  ・ビジョン(Vision) → 哲学を超えると思われる理性的な人間の道しるべ(但し広義過ぎて使い方で理念の一部とみる捉え方も含まれる。)
  ・哲学(Philosophy) → 理性的な人間としての生き方の道しるべ
  ・使命(ミッションMission) → その社会※から期待され求められるべき客観的役割
  ・理念(Management philosophy) → 家訓(family rules)と同じレベルで組織毎に異なるのが当たり前の組織の主観的役割 (善悪を超えた宗教やイデオロギーは理念の範疇に入ると最近は思っている)
  ・行動指針(Management philosophy) → 行動の向かう方向の道しるべ(結果の方向性を示すベクトル)
  ・行動姿勢(Policy) → 行動の道しるべ(経過のあるべき姿の行動ベクトル)
  ・戦略(Strategy) → 中長期目標
  ・戦術(Tactics) → 年度目標等短期目標
※拠って立つ座標が同じ(同じ土俵)でなければ咬み合わない。
※※理念が使命から外れていれば反社会的になるので理念は使命と調和していなければならない。簡略な理念(基本方針)の具体的説明として行動指針と行動姿勢を添え理念とする。離職する理由の大部分は仲間同士の不和なので、最近は「話し合いの3原則」も必要であると思っている。



参考:
① 大阪大学次期総長予定者の決定について2024.11.29 ※選考理由 https://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/topics/2024/11/29003 。
② 経営理念とは?実例から目的や作り方をわかりやすく解説(創業手帳)更新日:2024年3月29日 https://sogyotecho.jp/management-philosophy/ 。
③ ビジョン・戦略・戦術を理解することで成功へのステップが描ける2024 7/25(comodo) https://comodobiz.jp/2024/07/25/vision-strategy-2/ 。
④ 1000万部超の大ヒットは偶然の産物?『ビジョナリー・カンパニーZERO』(南龍太) https://www.flierinc.com/pickup/sp12 。
⑤1. ミッション基本編(事業計画情報) http://bplanhacks.com/mission/ 。

高度先進医療と社会インフラとしての医療の違い2024年12月25日

(facebookからのメモに追加した)
高度先進医療と社会インフラとしての医療の違い

新型コロナの惨事の時には早くから医療・介護が社会インフラとして途切れさせてはいけないものとしてその重要性を国が認識主導したのでその点では現場の我々当事者にとっては逃げる気持を払拭し背水の陣の覚悟を敷けたので良かったと思っている。そのうちの医療にはそもそも2種類ある。
一つは選択と集中の企業理念に通じる側面を持つ高度先進医療であり、もう一つは社会インフラとしての医療である。華やかな先端医療に比べて社会インフラの医療は地味である。しかしそれが無くなると社会自体が成り立たなくなるという点で大事な医療でもある。
 医師の働き方改革が唱えられてもう10年以上たった(①)が状況は変わらず、今でも下記のようなDrがいるからこそ、社会インフラとしての医療は成り立っている。エールを送り秘かにありがとうと言いたい。

< 地域情報(県別)地域ニュース 【群馬】みどり市唯一の分娩施設、年500件の分娩実施‐星野正道・岩宿クリニック院長に聞く◆Vol.1 周産期医療崩壊の危機に、実家の隣の土地が売りに出て開業決断 2024年12月20日 (金)配信m3.com地域版 https://www.m3.com/news/kisokoza/1247364?dcf_doctor=true&portalId=mailmag&mmp=MD241222&dcf_doctor=true&mc.l=1090921980 。>


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(以下は蛇足)
医師の働き方改革の始まりは梅村聡参議院議員が国会で医師も労働基準法を守るべきだと質問し、事もあろうに舛添要一厚労大臣が自分もそう思うと応答したのに始まったと思っている(②③)。たまたま当時それを見ていて “あーあ、とうとうパンドラの箱を開けてしまった” と居合わせた同僚と言ったのを覚えている。何と浅はかな(失礼)と思いながらも、もう後戻りはできないのは確かと複雑な感情に包まれたが現在に至るも未だに改革が成功したとはとても思えない。
企業も官も行政でさえも企業理念の選択と集中に浮かれていた頃でも、哲学者宇沢弘文氏は社会インフラとしての医療の大切さを理解できた数少ない有識者であった(④)。
(資料)
①厚生労働省ホーム > 政策について > 分野別の政策一覧 > 健康・医療 > 医療 > 医師の働き方改革  https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/ishi-hatarakikata_34355.html 。
②第171回国会 参議院 厚生労働委員会 第8号 平成21年4月14日(発言No095梅村聡質問、096 舛添要一答弁) https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=117114260X00820090414&spkNum=75&current=5 。
③パンドラの箱を開けるのは今―宿直問題は国民的議論の入口にすぎません!梅村聡(参議院議員)2009/05/11 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/mric/200905/510465.html 。
④日本医師会 日医NEWS 第1012号(平成15年11月5日)オピニオン―各界有識者からの提言―ヒポクラテスの誓いと,社会的共通資本としての医療 宇沢弘文(日本学士院会員,東京大学名誉教授) https://www.med.or.jp/nichinews/n151105i.html 。


(以下追加分、時系列で其の他の関連事象を思いつくまま下記に列記してみた)

・1998年川崎協同病院事件がおきた。(しかし裁判では、本来の筋と混同され、裁判官の理解の限界が見えた事件であった)。
・1999年横浜市大附属病院患者取り違え事件(この頃より医師バッシングが始まった。今では診療援助の表現になったが当時はバイトと表現して厳禁と厳しく扱われ、まず麻酔科医確保が困難になって民間麻酔科医プールを持つ開業医からの派遣に頼る以外方法が無くなった。医師不足は麻酔医不足から始まっていたが、更に悪化し手術料収入が麻酔医手当で消えてしまうという珍現象が出現した時期でもあった。社会の専門医信仰故に手術には麻酔医が必須とされるようになっていた。それ以前は外科医が麻酔の研修もして麻酔医不足は目立たなかったが世情がそれを許さなくなった、専門医信仰の一端である。)。
・1999年東京都立広尾病院事件(最高裁が、医師法第21条の検案を「死体の外表を検査すること」との限定解釈を出した。以後これが法律上の異状死体の医師届出義務の定義となったが、実際の自治体の指導では毎年更新している厚労省死亡診断書記入マニュアルに基づき病死自然死以外はすべて外因死として警察への届出は今尚変わらず、現在でも相変わらず義務付けている。要するにH27年の医療事故報告制度施行後も肝心の問題は何も解決していないのである)。
・2002年~、ナンバー講座制から臓器別講座制へ(一人の患者が臓器別診療科に受診して回る専門医信仰の始まりで複合疾患が当たり前の患者にとっては個人医療費も倍増しても不満は出ていないしむしろ複数科受診を希望さえしている。内科も内科と言う科は無くなったと一部で揶揄されるようになった。2018年新専門医制度で正式に総合診療科が基本領域として設置されたが2024年の現在もそれは未だに定着していない。抑々病気を見て病人を見ないとの悪弊はそれ以前より既に医療界では戒められていたが公認されてしまうようになった)。
・2003年横浜市堀病院事件(警察の横暴と医師側からの反発が起きて、大きな社会問題になったが警察の捜査課長も厚労省看護課長も看護協会もルール通りと嘯き木で鼻を括る応答をしたのみであり、その後通知で条件付き許可は出たが既に遅しで以後お産難民が各地で発生するようになった)。
・2004年福島県立大野病院事件。(社会的医療と純粋医学的医療の判断は分ける必要があると自覚の有無に係りなく医師が実感するようになる頃でもあった。その医師の無罪判決が出たのは4年後であった。亡くなった妊婦に対して良かれと思って書いた県による公費出費理由が警察介入逮捕のきっかけになったと記憶している。)
・2004年~この頃より企業理念の「選択と集中」が国の政策にも取り入れられてきた。これは企業にこそ必要な理念と思われたが、何故か官と行政が社会インフラの医療システムにまで取り入れるようになって医療界も大きな流れに飲み込まれていった。例えば行政と大学が産科医や小児科医を僻地から引き剥がし中央に集めたこともあった。当然周辺小病院には医師がいなくなる。医師を初め医療資源が限られる中で医師余り・看護師余りの共通概念が逆回転し始めて不足に転じた頃でもあり、引き続く2006年の7:1導入は一気に看護師不足に拍車をかけた。それまでの医師抑制策が増加策に逆転したのも2008年だった。
・2006年 射水市民病院事件。(この事件以後、救急蘇生の現場が変わった。個人的には一時的にでも人工呼吸器を取り付けるべきではないかと思われる症例でさえ一旦装着すれば外せなくなるとして救急現場等で躊躇するようになったのである)
・2006年『医療崩壊: 「立ち去り型サボタージュ」とは何か』小松秀樹著が発刊された。(これがベストセラーとなる。世の中には優秀な人がいるものだと上手い表現に感心する中で、でも話せば分かるはずと自分は苦闘している中でこんなことでは医療が成り立たないと本省の訟務専門官にも聞きに言ったが全く得るものが無かった頃である)
・2006年の診療報酬改定で7対1看護体制が導入された。(当時の本省の看護課長自身があまりにも大きい影響にたじろいだが、厚労省から取り消されることなく条件を厳しくしながら今もなお存続している(国は一旦決めると戻せないという無謬主義の典型例であった)。当時東大病院が全国看護学校行脚をして一気に300人看護師採用したのはあまりにも有名である。当然ながら地方の病院の看護師余りはその年に一気に著明不足に逆転した。診療報酬上の7:1看護の発想の原点を遡ると『にわか役人奮闘記』を書き看護師余りの将来予測を先取りした久常節子元本省看護課長だった。)
・2006年8月奈良県大淀病院事件(32才妊婦たらい回し事件、脳出血で死亡。)
・2007年8月同じく奈良県たらい回し事件(今度は38才妊婦で救急車からの救急要請16回の末に死産、奈良県立医大病院は空きベッドがあったのに断ったとマスコミによる医療バッシングが行われ、その過程で全国の産科救急の過酷な実態が明らかになった。この年には11月にも札幌未熟児たらい回し事件が報道された。
しかしこの頃より逆にたらい回しが当たり前になり社会も専門医がいないのだからと容認に逆転してきた頃でもある。たらい回しこそ避けるべきであるとのそれまでの医師(医療界)の常識が、世間の専門医信仰と相まって覆されるようになったのである。萎縮医療・小間切れ医療を患者側も医療側も容認するようになった頃でもある。以来今に至るまで救急たらい回しがあっても世間もマスコミも専門医がいないので当たり前と受け入れている珍現象の不思議が続いている。)
・2007年日本学術会議が「公開シンポジウム「医療を崩壊させないために:医療システムのゆくえ」」を開催。(既に医療崩壊は生じていたのであるが、日本の有識者は何を考えているのかと思いつめ清水の舞台から飛び降りる位の覚悟で六本木に行ったが有識者のレベルはこんな程度のものだったのかとがっかりして帰った。以来日本学術会議には不信を持っている。)
・2007年12月28日厚労省通知が出る<医師及び医療関係職と事務職員等との間等での役割分担の推進について(通知)医政発第1228001号平成19年12月28日>。(よし、これで明日からは世の中が良い方に変わると希望を抱いた通知であったが、変わる兆しはその後も全く見えなかった。世の動きとはこういうものなのかとがっかりした出来事だった)。
・2008年 それまで医療費亡国論から始まり引き続く小泉内閣等の医師数抑制策が一転、舛添厚労大臣主導で医師増加策に逆転した。
・2008年専門医信仰の始まり(日本専門医制評価・認定機構が出来る)。(臓器別講座制が導入される以前より医師の役割は専門馬鹿になってはいけないと自浄作用が働いていたが、臓器別講座制が始まり社会的にも専門医信仰が助長されるようになり、縦割り専門医の弊害も既に指摘されているにも係らず現実は逆行しており、その後2018年に正式に総合診療科も創設されたが6年経っても旧態依然のままで細切れ医療が当たり前の世情になり現在に至っている)
・2008年都立墨東病院事件。(36才妊婦が脳出血で死亡、赤ちゃん無事、たらい回しの末に死亡したとマスコミによる病院バッシングがあったが気丈にも夫は「病院にはお世話になった、誰も責めるつもりはない、担当医は辞めないでいて欲しい」といったという。現場医療者にはせめてもの慰めにはなったと思われる。)
・2009年3月東京の恩賜財団愛育病院が労基署の指導を受け、それでは病院運営が遂行できないとして総合周産期母子医療センターの認定を返上した。
・2009年4月14日、国会質問に対して舛添厚労大臣が医師働き方改革の必要性に同意して労働基準法を守るべきと答弁して自らパンドラの箱を開けた。前年の2008年に舛添大臣によって医師増員に急転するまでは長らく医師余り看護師余りが疑うことなく予測されていて医学部定員制限や看護学校統廃合が実際行われていたのである。このパンドラの箱が開けられてからは更に医師不足・看護師不足の世相は専門医信仰と相まって坂道を転げ落ちるように一変して行った。今もなお混沌の状況から抜け出せてはいない。