牧野富太郎と尾瀬、そして沼田 生方家との関わり ― 2026年11月02日
最近『利根沼田歴史散歩』創刊号を見直していて生方記念文庫学芸員の手塚恵美子氏が「牧野富太郎と生方家」との一文を載せているのを拝見した(①)。牧野富太郎に関しては何故か若い頃から心に留めていた方(自分の蔵書にもある図鑑がある㋐)なので「長蔵の一喝」を紹介していたのが気になっていた。その時に生方誠(セイ)氏も同席していて本当だと証言していたとのことであった。それは下記②の記述によるものであるが、息子の長英さんの記憶の思い込みがあるのか著者の後藤充氏の思い込みがあるのか何か変だと感じた。なぜなら2回目の尾瀬の時に長蔵小屋に泊まらなかったのは長蔵に一喝されて気まずくなったからではなく新聞記事のためと既に長蔵が亡くなっていたことを知っていたためではないかともとれるからである(㋑)。群馬県側から尾瀬に入るルートは3つある(鳩待峠・富士見峠・三平峠)。2回目は富士見峠ルートで尾瀬ガ原に入っているので(③)三平峠・尾瀬沼の長蔵小屋ルートではない。
調べてみるとそれぞれの言い分が食い違っていて牧野富太郎本人の言うことも記憶違いで一部食い違っている点があるのにも気が付いた。
「長蔵の一喝」記事は確かに読売新聞昭和5年9月9日付の朝刊7頁に「尾瀬沼の秘境を護って父子二代 一生を沼の自然保護に捧げた平野老人 一喝を喰って逃げた牧野博士」との題で新聞ダネになっていた(㋑)。ネットのWikipediaも『平野長蔵』の項で「研究するだけでなく保護を考えろと叱ったというエピソードがある」と控えめに紹介していた。
1回目(昭和4年)の尾瀬入山の翌年の読売新聞の一喝の記事を牧野富太郎が知っているということは2回目(昭和6年)の尾瀬入山の時には長蔵が既に亡くなっていたことを知っていることであり、その時(三平峠から尾瀬沼ではなく富士見峠から尾瀬ヶ原に入った)長蔵小屋に泊まらなかったのは長蔵への気兼ねではなく新聞ダネへの気兼ねだったと捉えた方がリーズナブルのような気がしたのが違和感の一つである。しかし息子の長英さんは長蔵小屋に気兼ねしたかのような捉え方をしている(あるいは著者の後藤充の思い込みでそう表現したか)ように見える。 亡くなる前年に出版した『草木と共に』昭和31年発行の中では長蔵に焚きつけたのは某氏と決めつけているので具体名が牧野の頭には浮かんでいるのであろう。同じような事は軽井沢でもあったというから採集行動の一面にはつきものの通常批判でもあり牧野にとって気にする必要も無かったであろう。気にしていたら採集活動など出来ない。
牧野富太郎本人の寄稿文「尾瀬の思い出」昭和18年(下記②、牧野氏は既に81歳になっていた時の思い出の寄稿文である)がありその中では群馬県諸学校の先生たちを指導するために行った2回目(昭和6年8月)の時と勘違いしている。「読売新聞が長蔵の一喝に逢いホウホウの体で逃げ帰ったとかいてあったが、それは途方もないウソでそんな事実は全然なかったことは一行の人々が能く知って居り・・・」と書いてあった。大げさな表現で本人が言うように「誰かの入知恵で尾ひれを付けた新聞記事になったものでこれはつまり長蔵氏の徳を傷つけるもんだ」等とも書いてあった。長蔵自身への敬意は持っていたようなので、気兼ねが有ったとすれば新聞ニュース故への気兼ねと捉えた方がよさそうである。
「長蔵の一喝」というワンフレーム劇場が人々の耳目を引き付けて、勝手に独り歩きしてしまったというのが事実のようだ。
事実は以上述べたように次の通りである。
牧野富太郎が最初に尾瀬に行ったのは昭和4年8月で計4泊した。そのうち長蔵小屋には2泊して長蔵とも親しく話をした(残り2泊は入山口の戸倉と東電小屋前身の小屋?か)。1泊目の翌日には長蔵も途中まで見送りに付いてきて、その道でナガバモウセンゴケを見つけたので、長蔵本人の許しを得て採取し、初めて実物を見たので大変嬉しかったと書いてある(ナガバノモウセンゴケは明治31年早田文蔵が尾瀬にて既に発見していたことを知識としてのみ知っていた?)。そして尾瀬沼から尾瀬ヶ原に至る道筋で「尾瀬笹(オゼザサ)」と「サジバモウセンゴケ」も発見して新名を付けた。その時の長蔵らと撮った写真が手元にあるとも書いてあった。2回目の尾瀬入山の時のルートは③に富士見峠から入った等の簡単な記載がある。
下記⑤によれば、牧野富太郎と田中久吉(尾瀬の父とも言われる⑥)との書簡のやり取りは少なからず残されており牧野から田中宛の書簡は横浜開港資料館に19通あるという。その中で尾瀬行きについての田中宛書簡(昭和4年8月30日付)に、長蔵翁が大変に歓迎してくれて嬉しかったこと等が書かれていたという。そして同じ日付の別の書簡に同年に武田の父アーネスト・サトウが逝去したことへの哀悼文があったという(⑤)。長蔵翁はこの1年後の読売新聞の一喝記事(昭和5年9月9日付)が出る20日前に亡くなっていて、その一喝記事の中に長蔵翁死去も記載されている。2回目の尾瀬入山は馬に乗って入山したと言うが、2回目は一喝記事の翌年の昭和6年8月であった。牧野富太郎は一喝記事がこの2回目の時と勘違いしていた。だから長蔵には会っていない等と抗弁気味の文章になっている。
1回目の尾瀬入山の時に同道したという生方誠とどうかかわっていたのかの記載は見つからなかった。尾瀬の概要を知るには⑦が役立った。
文献:
① 「牧野富太郎と生方家」生方記念文庫学芸員手塚恵美子12頁、『利根沼田歴史散歩』創刊号令和6年3月 利根沼田歴史散歩の会発行。
② 「牧野博士を一喝」38-39頁『尾瀬―山小屋三代の記』後藤充著、昭和59年岩波新書 発行。
③ 尾瀬の思い出」牧野富太郎137-141頁、695頁、『尾瀬と桧枝岐』川崎隆章編著、昭和18年 木耳社発行。この時牧野富太郎は81歳。高齢になってからの記憶のためか、この時の文では読売新聞社の記事は2回目の尾瀬の時と勘違いしている。1回目の尾瀬の翌年には長蔵が亡くなり読売新聞の記事はそれに関連して書かれたものであり、2回目の尾瀬は更にその翌年の昭和6年だったからである。
④ 『草木とともに』牧野富太郎著、昭和31年ダヴィッド社発行。牧野富太郎死去前年の著作である。③の内容と大差ないが「こういう悪い先入観を長蔵にたきつけたのは某氏」と具体的な個人のイメージの指摘をしている。軽井沢でも同じ目に遇ったらしく尾崎行雄(咢堂)が植物採集をきらっていたと書いている。しかし仲が悪かったわけではなく尾崎行雄が東京市長時代は東京の植物調査に協力しており、政治家尾崎行雄がワシントンDCポトマック河畔へ桜の苗木を明治45年に贈った時も(ハナミズキはその返礼)、その桜の木のメインテナンスに牧野富太郎らも学術面から協力している。
⑤ 「武田久吉と牧野富太郎」田中純子著、『北方山草』(43):41-46頁、2026年。
⑥ 「―尾瀬の父、武田久吉博士の生涯―武田久吉博士の年譜(作成中)」https://yanenonaihakubutukan.net/1/takedahisayosi.html 。武田久吉は幕末のイギリス外交官アーネスト・サトウの次男で「尾瀬の父」とも言われている。武田久吉は日本山岳会を明治38年に創設し、日本自然保護協会の始まりである尾瀬保存期成同盟を昭和24年に立ち上げた人物である。そして札幌農学校(北海道帝国大学)教授で「北海道植物学の父」とも言われる宮部金吾とも交流があり日本の植物学草創期を共に支えた人物でもある。従って宮部金吾の部下であり北海道帝国大学付属植物園や札幌大通公園設計等に尽力した石田文三郎とも共同調査を行っており、大正時代の樺太での植物調査には武田久吉と石田文三郎は共同調査をした。
⑦ 「尾瀬歴史文化圏を考える① ~山小屋の足跡をたどる~」note『尾瀬日和』運営 https://note.com/oze_biyori/n/n9913aabc66ba 。尾瀬の現地ガイドツアーを行っている八巻さんと言う方のBlogらしい。こういう現地の生情報は嬉しい。会津沼田街道は江戸時代からと書いてあるけれど、自分の認識では平安時代からあったと思っている。奥州からの落人部落もあるし、その落人であることを心に秘める家系もあるし、奥州征伐ルートの伝説も多いからである。
未解決事件file19「北関東連続幼女誘拐・殺人事件 DNA型鑑定の闇」を視て ― 2026年10月30日
気になって録画しておいたものを見直してみた。既に死刑執行してしまった冤罪事件、しかも真犯人の糸口にまで言及していた、恐るべき取材能力だ。それにしても裁判官・検察官・科警研技官等国家公務員は守られ過ぎなのではないか。しかしこのように明らかに出来るのは自由主義社会の恩恵でもある。
⑦によれば今回3回目の再申請が行われた。死刑執行後に再審が認められた例は過去にないと言うが、相変わらず判決の整合性やシステム保持を考慮するようなら法治国家とは言えなくなるであろう。
① Amplification of a variable number of tandem repeats (VNTR) locus (pMCT118) by the polymerase chain reaction (PCR) and its application to forensic science. by K Kasai, Y Nakamura, R White. J Forensic Sci. 1990 Sep;35(5):1196-200. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/2230693/ 。冤罪事件の元となった科警研技官のMCT118法のDNA鑑定の闇の論文である。
② 警察庁長官「信頼回復急ぐ」DNA鑑定不正 時事通信 社会部2026年06月04日 時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2026060400551&g=soc 。
③ シリーズ日本の冤罪㉛ 飯塚事件:冤罪処刑疑惑が広まるもなお知られざる闇の奥 片岡健2022.12.02 ISF(独立言論フォーラム) https://isfweb.org/post-10839/ 。具体的に事件概況が書かれている。
④ MCT118型検査法. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/MCT118%E5%9E%8B%E6%A4%9C%E6%9F%BB%E6%B3%95 。
⑤ (飯塚事件)福岡地方裁判所刑事部平6(わ)1050号、1157号 平成11年9月29日判決 判例時報1697号124頁。 https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%E5%B9%B36_(%E3%82%8F)_%E7%AC%AC1050%E5%8F%B7%E3%80%81%E5%B9%B36_(%E3%82%8F)_%E7%AC%AC1157%E5%8F%B7 。
⑥ (飯塚事件)福岡高等裁判所平成26年(く)第56号 平成30年2月6日第2刑事部決定 https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E9%AB%98%E7%AD%89%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%E5%B9%B3%E6%88%9026%E5%B9%B4_(%E3%81%8F)_%E7%AC%AC56%E5%8F%B7 。
⑦ 飯塚事件 「DNA型不一致の新証拠」 3回目の再審請求へ NHK ONE 2026年9月24日 https://news.web.nhk/newsweb/na/nd-20260923de52068 。既に死刑執行されていたが、今度裁判所が拒否するようなら法治国家とは言えない。
⑧ 誤判防止のための科学者と法律家の協働―刑事手続における科学的証拠―木 村 祐 子『法学研究』(龍谷大学法学会)第19号2017年pp39-61. https://opac.ryukoku.ac.jp/iwjs0005opc/bdyview.do?bodyid=TD32043259&elmid=Body&fname=rd-ho-kn_19_004.pdf 。
⑨ 司法的同一性「完成」への期待と法科学―DNA 型鑑定の導入をめぐる科学と法の関係性の分析―木 村 祐 子著。Core Ethics(立命館大学大学院先端総合学術研究科紀要) Vol. 21 2025年pp101-112. https://www.r-gscefs.jp/wp-content/uploads/2025/04/09_%E6%9C%A8%E6%9D%91%E7%A5%90%E5%AD%90%E6%A7%98%EF%BC%88%E8%AB%96%E6%96%87%EF%BC%89.pdf 。
アナフィラキシー時のアドレナリン使用法について ― 2026年10月26日
アナフィラキシー時のアドレナリン使用法について
数日前に日本内科学会雑誌「特集アレルギー診療最前線」(2026.10月号)が届きパラパラと見ていたらアナフィラキシーの項で 「アドレナリン血中濃度は筋注後10分程度で最高になり40分程度で半減する」とあった。何こんなに遅いのか?と驚きGoogle AIモードでその根拠を検索したら、何と『アナフィラキシーガイドライン2022』とあった。それは手元にあったので確認した所P.21に同じ記載が確かにあった。過去に目を通していたはずなのに見過ごしていた。誤解されやすい表現である。そしてその又根拠は他文献でも相変わらず孫引き引用が多い(Simon FE et al. J Allergy Clin Immunol. 1998; 101: 33-7、以下文献①)だった。当該ガイドライン2022は学会でネット公開されているので誰でも見られる。
アナフィラキシーやワクチンの情報に関しては6年前の新型コロナ感染症パンデミックが契機になり、世間だけでなく医療従事者間・専門医間でも考え方や捉え方が全くバラバラなのに驚き世の中どうなっちゃったのかとの思いで調べるようになり今に至っている。‘アドレナリンは筋注でなければダメだ’ や ‘免疫効果は筋注が一番強い’ や ‘筋注の副作用が一番少ない’ や ‘筋注と皮下注は天と地ほど違う’ とかの易誤解性のたぐいである。これらは半世紀前に既に学会で議論されてきて、そうではないことは既に解決済みと思っていたからである。
伝言ゲームでは屡々結論逆転し遊び事として笑い話で済んで問題はないのだけれど、人命が懸かるような現場ではそうはいかない。アナフィラキシーは超重症では2-3分で心肺停止に陥りかねないし実際その経験もしている。また一方では、軽症例では念のためにアドレナリンを使っておく程度の軽いものまで様々有るのが臨床現場なのであり、それぞれに見合った対応が必要になるのが医療の現場である。
そもそも文献①ではそれまで行われていた皮下注よりも筋注の方が吸収が良いのではないかとの仮説を立ててそれに沿った結果だと言っているに過ぎないのであって、筋注でなければ駄目だとは言っていない。以前から行われた皮下注よりも筋注の方が好ましいのではと言っているのに過ぎないのである。一般論で言えば皮下注より筋注の方が吸収効率が良いのは元来から自明のことであり、バラツキも当然有り得ることでもある。この文献①は計17名の小児のデータであるが効果発現も血中濃度も早いものは筋注でも皮下注でも同じで5分以内に最高濃度に達してもいる者もいるデータである。
10分もかかっていたら死んでしまいかねないアナフィラキシーの実臨床では皮下注でも筋注でも効果の強弱は別として実際数分で効果は出る。筋注か皮下注かよりも速やかに注射することと必要時は繰り返すことの方が余程大事なのである。
アドレナリン感受性も個々で異なるために一律に0.5mlとするのもベテランとは言えない(但しmax0.5mlは厳守!)。実際若い頃には型どおりの0.5ml皮下注で患者さんから “先生心臓が口から飛び出るようだ” と訴えらえたこともある。勿論数分で落ち着いたが、軽症例には0.5mlでは多すぎることもある事を実臨床で学んだ。
今は余り使われないようだが年配の喘息専門外来を行っているDrであれば通常量のβ2刺激剤で動悸や手の震えを訴える患者さんがたまにいることは経験済みであるはずだ。バセドウ病の手の震えは多くのDrに良く知られていることと思うけれど喘息の内服等β2刺激剤で手の震えが出ることは専門医以外にはあまり知られていないと思う。β2刺激剤の気管支拡張作用も手の震えも同じ機序なのだから当たり前である。
この文献①は数少ない人体データなので大事な文献であることは間違いないが針小棒大の解釈はすべきでないと思っている。なお自分は既にアレルギー専門医は不要になり返上済でありアレルギー学会への貢献も少ないが、アナフィラキシーの臨床現場経験は充分あると自負しその点人後に落ちないと思っている。(尊大な言いぶりですみません)。
又アドレナリン代謝についても肝臓だけでなく全身臓器で数分以内に代謝されてしまうことは以前から言われており、実臨床でもそれに矛盾はない。そして、アドレナリン注射は1回量が問題なのであって、数分毎に少量づつ行う分割投与の場合は効果が全く違うことも先輩に教えられ実臨床でも学んだ。例えば数分毎に0.2mlづつ皮下注すれば4-5回皮下注しても動悸等副作用も出ないことは実臨床で学んだ。これは1回の投与量max0.5mlということに重大な意味が有ることを示している(勿論心停止例や高度acidosis例は別である)。またアドレナリン注射後10分で血中最高濃度に達し40分後に半減するという文献①の事実解釈にも影響する問題である。
この文献①は注射したアドレナリンを測定しているのかどうかも分からないのであり外因性アドレナリン刺激で内因性アドレナリンを測定しているのかどうかも分からないことは誰も否定し得ない事実と思う。アイソトープ標識のアドレナリン投与等の人体実験をすれば判るのかもしれないがそのような文献を知らない。
そもそも、アナフィラキシーの概念は半世紀以上前からあり基本的にはIgEを中心とした免疫学的機序で生じるとされていたが、非免疫学的機序でも同様の症状がありアナフィラキシーと言って良いのやら否なのか宙ぶらりんの状態でAnaphylactoidなどと言っていた時代がしばらく有ったが、2011年にWAOが非免疫学的機序で生じるものも含めてアナフィラキシーと定義してくれたので(②)、以後は堂々とアナフィラキシーと呼称できるようになったという経緯があった。そして新型コロナ感染症の初期にはBrighton分類が行政上出てきて、他の学会等とのずれを解消すべく動きも出てきて(③)、2023年にはBrighton分類も改訂されて(④)WAO等他学会とのすり合わせも成立して今に至っている。
新型コロナ感染症パンデミックでは多くの専門家や有識者が筋注と皮下注では効果が天と地ほどに違うというような大合唱が聞こえてきたので、そんなことはないと周りや関連上部機関に相談したけれど埒が明かず、最後は官邸に ‘ 見做し筋注を認めてくれなければワクチン注射出来ない ’ とメールまでして、初めてのコロナワクチン注射を行う時には訴えられても良いような配慮してから医学的筋注可の症例のみを選んで当時行った。
(見做し筋注とは医学的には皮下注になっても医療的に見做し筋注として行うこと。医学的筋注の可否はエコーチェックすれば簡単に判別できる。当時担当施設には1/3の方がるい痩関連筋委縮で見做し筋注としなければワクチン筋注できなかった。それ程ワクチンの添付文書には気を使った、世間・医療界の常識から外れてはいけないのが基本だから。なお2-3回目以降は医療界皆んなが見做し筋注しているのが状況から明らかとなったので以降はそれに従った)。
文献資料:
① Epinephrine absorption in children with a history of anaphylaxis. Simons FE et al. J Allergy Clin Immunol. 1998 Jan;101(1 Pt 1):33-7. https://www.jacionline.org/article/S0091-6749(98)70190-3/fulltext 。
② World Allergy Organization Guidelines for the Assessment and Management of Anaphylaxis. Simons FE et al. WAO Journal 2011; 4:13–37. https://doi.org/10.1097/WOX.0b013e318211496c 。この定義から初めてAnaphylactoidと濁す必要が無くなった。
③ POSITION PAPER World Allergy Organization Anaphylaxis Guidance 2020. Cardona V et al. World Allergy Organization Journal (2020) 13:100472. http://doi.org/10.1016/j.waojou.2020.100472 。WAO、EAACI、AAA、ASCIA、NIAID、WHOとの定義の比較、すり合わせが具体化してきた。
④ Anaphylaxis: Revision of the Brighton collaboration case definition. Gold MS et al. Vaccine 41 (2023) 2605–2614 http://doi.org/10.1016/j.vaccine.2022.11.027 。Brighton分類ともすり合わせが出来た。
①上州下沼田氏と若狭国下沼田氏が同族であること、②高野山清浄心院の累代住職の出自は上州下沼田氏であること、について ― 2026年10月02日
①上州下沼田氏と若狭国下沼田氏が同族であること、②高野山清浄心院の累代住職の出自は上州下沼田氏であること、について
① 上州の下沼田氏と若狭国小浜藩の下沼田氏(同族であること)について:
上州下沼田氏は第三代景盛(鎌倉末期の上州莊田城主第三代)がその子達を長男景継:第四代城主とし、次男景家を下沼田の地に、三男景宗を発知の地に分家させたのに始まる。景盛・景継父子は1333年の新田義貞挙兵の従軍している。その下沼田城旧跡は長廣寺境内周辺にある。
その子孫が時代の下った戦国時代になり下沼田豊前守として記録に登場する。1563年岩櫃城の戦いでは真田幸隆に抵抗した岩櫃城主斎藤憲広に援軍を送った上杉方の中に下沼田豊前守がいること(落城して憲広は越後に敗走、その後1560年上杉謙信が再び取戻すまで真田支配)、1569年沼田朝憲を打ち取った父顕泰を川場に攻めた沼田城軍勢側に味方したこと(顕泰は会津に敗走)、このことを越後の上杉謙信に下沼田豊前守ら連判で報告していること、1578年上杉謙信死去した2年後の1580年5月真田昌幸が沼田入城の際には下沼田豊前守が出迎え沼田城二の丸守備を命じられたこと、真田昌幸による本領安堵の御礼名録の中に下沼田豊前守泰則の名もある事、1580年8月の北条との合戦に真田方に下沼田豊前守がいること、1585年徳川勢に真田氏上田城を攻められて勝利した時には沼田城在番の下沼田豊前守ら5名に当て真田昌幸から勝利の報告と沼田城防備堅持の書状を受け取っていること、1587年北条勢に沼田城を攻められた時には真田方の馬回り衆に下沼田豊前守がいること、1594年には真田氏に反抗して自殺したこと(理由不明)、等の記録が残っている。
そして、若狭国小浜藩家臣由緒記(1774年)の下沼田氏の項に、若狭下沼田氏の初代沼田織部介は上州沼田の下沼田豊前守の子であると記されている。そこには上州下沼田氏は上杉家に属し1552年憲政敗走で越後に同道し、1579年憲政卒去後上州に戻り、下沼田豊前守と共に子の織部介も真田信之に仕官し、真田信吉の代(1615-1634)に川越藩の酒井忠勝の家臣になった。酒井忠勝は1634年川越藩から小浜藩に転封になり織部介も同道しその12年後の1646年に亡くなった。小浜藩初代沼田織部介から第八代下沼田又市信行までの記録があるという。(以上、加沢記と『沼田万華鏡』第29号1992年・30号1993年「下沼田豊前守と若狭国小浜藩の下沼田氏について」赤見初夫著、等による)。
② 高野山の清浄心院の累代住職の出自は上州下沼田氏であったこと:
高野山清浄心院は高野山に散在する百余の別院の一つであり弘法大師空海自らが草創し朝廷からその名を授かったものでその本尊は空海が奥の院に入定する前日(835年3月20日)に自身の姿を刻んだ廿日大師だという。上杉謙信の祈願所・菩提所としても知られている。
鎌倉時代第九代執権の北条貞時(生1272~没1311年)の頃、大番役として沼田八騎もその役を勤めていた。(沼田八騎:沼田上野介・発知薩摩守・久屋三河守・下沼田豊前守・岡谷平内・石墨孫三郎・小川河内守・川田四郎幸清入道)。
その頃下沼田豊前守の子息に真言宗の僧がいて朝廷の綸旨を賜り末代までの住寺職を拝領したという。その後下って戦国時代になり、実際下沼田豊前守泰則の弟の快宣(淳音房)がいたことが分り、引き続いてその後の7代にわたって住寺職を勤めていたことが判明したという。加沢記等その風聞は以前からあったために真田信吉重臣の片山主膳(下沼田備前守の子)の子孫が江戸中期に清浄心院に問い合わせた記録があり、その時には焼失等で古来記録が残っておらず詳細不明との清浄心院寺住の返信が残っているという(『群馬文化』第343号2021年「下沼田氏と高野山清浄心院の関係について」赤見初夫著)。
天皇による田中義一首相の叱責の仕方、西園寺公望の「幻の教育勅語の草案」発見について ― 2026年09月10日
天皇による田中義一首相の叱責の仕方、西園寺公望の「幻の教育勅語の草案」発見について
① 田中義一首相と昭和天皇:「君臨すれども統治せず」が如何になされたか
「君臨すれども統治せず」とは明治以来の天皇の在り方で国民の認識及び国家の方針として、既に自他ともに芽生えていた 【勿論完全定着までには多くの葛藤と思惑が入り乱れていたが、日本では明治19(1886)年「機務六条」および明治22(1889)年大日本帝国憲法から、イギリス型立憲君主制では1689年に「権利章典」以降に既に概念が成立していた。名実ともに確立したのは日本では第二次大戦後。】 が、1928年6月4日の張作霖爆殺事件の処理に当たって、田中義一首相は元老の西園寺公望に同年11月に事件に関する上奏を促され、昭和天皇にたいし同年12月24日「矢張関東軍参謀河本大佐が単独の発意にて、其計画の下に少数の人員を使用して行いしもの」と河本大佐の犯行を認めたうえで、軍法会議を行う旨の上奏を行い、同年12月26日からの第56回帝国議会の貴族院委員会においても、事件の真相を明らかにする旨の答弁を行っていた。
その後に陸軍ならびに閣僚・重臣らの強い反対にあって、陸軍は軍法会議開廷を回避して行政処分で済ませようとして、1929年(昭和4年)5月14日付で河本高級参謀を内地へ異動させたので、河本をふくめた関係者の処分を断念した。
同年6月27日、田中首相は「陸相が奏上いたしましたように関東軍は爆殺には無関係と判明致しましたが、警備上の手落ちにより責任者を処分致します」と行政処分を上奏した。
これに対し天皇は「それでは前と話が違ふではないか」と田中を叱責した。田中首相が恐懼し弁解することを図ったが、天皇は鈴木貫太郎侍従長に「田中総理の言ふことはちつとも判らぬ。再びきくことは自分は厭だ。」と心情を語った、とされている。
以上の経過で、田中義一首相は天皇に叱責されたために同年7月2日に田中義一内閣は張作霖爆殺事件の責任を問われて総辞職をした。その約3か月後の9月29日に、65歳で狭心症にて急死した。
為政者は如何に覚悟を決めねば道を間違うかを示す例である。太平洋戦争開始に至る御前会議での東条英機首相の先送りもそうだった。
② 西園寺公望が「第二次教育勅語草案」を作っていた。それは排外主義ではなく国際協調を重視する理念を示すものだったという。
教育勅語は、1890年(明治23年)に明治天皇の名によって発布された、国民教育の基本方針や道徳の基準をしめした勅語(天皇の言葉)で(儒学者の元田永孚と法制局長官の井上毅が原案をまとめた)、戦前の帝国主義教育や天皇の神格化等に利用されてきて、負の面が大きいとして大戦後に完全に否定されたものである。
この教育勅語に西園寺公望や伊藤博文は違和感を持っており、1898年発足の第3次伊藤博文内閣で文相を務めていた頃に執筆したとされる。立命館大が子孫から提供された史料の中から1995年に発見したという。
草案は明治天皇が教育の基本方針を示す形式をとり、主語を「朕」とし、巻紙に700字程度でつづられている。立命館大学によると1890年の教育勅語の発令後、明治天皇の内諾を得て執筆されたとされる。民間の一部の教育について「外国を蔑視し日本だけを尊大に誇るような悪しき習いを助長する」とし、教育勅語の理念に反していると指摘。日清戦争に勝利し、東洋が西洋に並び立とうとする時期だとして、「外国の人々に丁寧親切に接することで大国の国民として寛容の態度を示していかなければならない」と説いている。女子の教育を盛んにしてその地位を高めることも急務だとしていた。草案は西園寺が体調不良で文相を辞任したため、成案にはならなかったという。
資料:
A:西園寺公望の教育思想展示 「第二次教育勅語草案」初公開 2025年10月4日立命館大学新聞 https://ritsumeikanunivpress.com/10/04/18545/ 。
B:西園寺公望「第二次教育勅語草案」、立命館が初公開 他国への寛容説く2025年9月25日 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD253JQ0V20C25A9000000/ 。
C:西園寺公望(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%9C%92%E5%AF%BA%E5%85%AC%E6%9C%9B 。
D:英雄たちの選択 シリーズ 昭和のあけぼの (1)政党政治に懸ける最後の元老西園寺公望 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025146127SA000/?capid=nte001 。
NHKクローズアップ現代『なぜ真相は埋もれたのか 〜日航機墜落41年の新証言〜』 ― 2026年08月30日
NHKクローズアップ現代『なぜ真相は埋もれたのか 〜日航機墜落41年の新証言〜』
放送日総合8月26日(水) 午後7:30 配信期限9月2日(水) 午後7:57 https://www.web.nhk/tv/an/gendai/pl/series-tep-R7Y6NGLJ6G/ep/QJ5ZZ2Q3P3 。
上記番組を見ていて驚いた。航空機事故調査については責任追及ではなく再発防止の原因究明こそが大事であるとして国際条約で既に決められており、航空機事故事故調査制度は世界的にも成熟しているものと思っていた。
一般的にもそう思われていたし、似た対応が必要な医療事故調査制度もそれを模範的な先例として多くの議論の末に2014年に法制化されたのが今の日本の医療事故調査制度である。
現在その医療事故調査制度も相変わらず問題を抱えたままであるのはご承知の通りで、実態は責任追及にも使われるがゆえに報告制度の趣旨が歪められている実態が現在も継続している。マスコミや関係者も腫れ物に触るような扱いをしているのが現在である。
上記の日航機事故の新証言の番組は「航空機事故調査制度よお前もか」という驚きである。その時の航空局の事故調査官さえ事実を隠蔽せざるを得ず、一人の事故調査官が自殺までしていたという。
航空機事故調査制度自体は成熟していても運用の段階で責任追及と原因追及の分離が出来ない故に、事故報告書が責任追及にも使われてしまうという西洋とは違う日本の文化的背景があるためだと言う。この問題は日本の医療事故調査制度を構築する過程で多くの議論が既にあり報告は第3者機関にすることで納得されたはずである。でも現在もそうなっていないのは各都道府県の指導や厚労省の死亡診断書書式を見れば明らかである。
病死/自然死以外は警察に報告することになっているし、それ故医療側も「各院長の報告の3条件」を厳密に守っていないという双方の現状がある。新型コロナワクチンによるアナフィラキシー死亡事故に対して、原因追及を怠ったと逆に遺族から訴えられるという珍現象が起きたのもそれ故だった。院長に報告の判断を委ねるならば毎年定期的に新任院長にその講習を厚労省自体が執拗に行なわなければ、新任院長が厳密に守れるはずがない。それは厚労省の責任だと思う。
もちろん故意悪意があれば責任追及は当たり前であるが、原因追及と責任追及は運用面でも切り分けなければ、結局再発防止のための原因追及が出来ないことは誰でもわかることであるが、それが日本では今も出来ていない。日本の航空機事故調査制度と日本の医療事故調査制度は同じ問題を抱えていたことを上記の番組で初めて認識出来た。
① 航空機事故と医療事故2024/1/11
https://www.facebook.com/hidemasa.kuwabara/posts/pfbid0Uj58fQrBdxGK1HLgR4SwGGHFgxCxA62bXwZGMmH73rcTxKaqPtPDUWK4gjb58b2Ml?__cft__[0]=AZbQgDO48FS9tnELTAKvF4nyV3KwQJvt2T-u9rUqDmhrZQbrqqkuM73N5PblMIPR-1ME8-rMMAKRCGBdMerrJ6ujvLptvP0ankfg7X4PVgV4MQkC7on2xTKiskKh6IrbCrA&__tn__=%2CO%2CP-R 。
② 乳腺外科医によるわいせつ事件で逆転有罪判決2020/7/15
https://www.facebook.com/hidemasa.kuwabara/posts/pfbid04Fzh4iBaZZxMRxDnjuM9h48wEPLCvRiiSHi27EkzcWAGRH7mvveKGNNE1fehwX6Sl?__cft__[0]=AZa9hNSwZl0_qezaZowrhX7Gves0I-Bsl7MM2sOehEakj4nhbs65kZ45omXgcglEz0LA5oOKz_BZ4xNimgeeJltqPJeImK7cVdVdfqzJmdVucVkNGFXCoHF4dBlEuSehh20&__tn__=%2CO%2CP-R 。
③ NHK逆転人生「娘はなぜ死んだ?学校との対立の果てに」2020/7/27
https://www.facebook.com/hidemasa.kuwabara/posts/pfbid031HLFM5nfncc2vWNC9VZb77uFF1D37DuBBeNmg48qD2nqMBTuKtD2MxyADPRRdcaNl?__cft__[0]=AZaCI676elUeoLhPs2w8RXM3xAR1aiCEi0LRczeEkjLTcVEndgT3T4BD5Udxvh3m19Y1x8LXyFj6CltOIdrNnoMeip9IZ3jzY8wjpzmndQOMSsPn87x-z1XhtmXBa8yuh7Y&__tn__=%2CO%2CP-R 。
④ 犯罪者扱いされた前院長 遺族「事実知ってもらえた」2020/7/31
https://www.facebook.com/hidemasa.kuwabara/posts/pfbid0moHB7mPdKoxJRnVm2XzkTvsPDLaz1zxpzzvF26k35zk3kn9KdEg4tjstZhbqKTSrl?__cft__[0]=AZY4TTzm5aE6rhcgzcrZqFFsjg5d0G6WfetrD5HN0sFH0_J0GAWdbWxB9-oTeSrSXv_jW5v9NbPvqfoLrKtETrGMnZHRtN68zxxZzfEuLvR7Y7-qTyWLlJoLS1Ev7ToRQTc&__tn__=%2CO%2CP-R 。
⑤ 「真実が証明された」なんていうのは綺麗事にすぎません。佐藤 一樹へのコメント2020/7/31 https://www.facebook.com/hidemasa.kuwabara/posts/pfbid0DwSk4dGwK1aAR7Y3gaLk9gNtZvXQAikCk7xeshiNjR7TBSjdaUk4Mm63HD42BcrUl?__cft__[0]=AZY_s0q-w37LQBvDQzIR-TsoQl8jLYRdh-btPiHIY_BURkgZ4gLdxjUSyKHbOX0LdVcJltt2cOZF91nFMxVvXwemyGhrJhoZj9JFmPQAX0UnlQoUBRz2vCheKeRVGRYNisLe2EWerurQPpyP3MD8jPj6mT6bz6F6w1h50m55enlztX3lq9Tqf7RgMRnnZxGzJe4&__tn__=%2CO%2CP-R 。
⑥ 医療事故調査制度が責任追及に使われているという現実について2023/11/26 https://www.facebook.com/hidemasa.kuwabara/posts/pfbid0zGuVaeGJhXW7JHQu6jAryuPvVT8XqvsxMd4YnNxPK7fdqEbffLJKjZmrRhMHChWwl?__cft__[0]=AZZdzUBgdU0R60UmEmjckh1IRgxqG-LWIwfnpS-9RYahUhMw446TZ_HAdhktLbRTHflDrJlD8hA5bKO7-hS1xhPLWIjxR_rEd7pY0ZWXftpOIg489Zzn29LGBXIGZKWr6ps&__tn__=%2CO%2CP-R 。
⑦ 愛西市ワクチン死亡の件2024/6/3 https://www.facebook.com/hidemasa.kuwabara/posts/pfbid031GtupGma5EQMjJ5nzGWN3JW8yzpwQWuc4DCoiwiKzGcU5Z6y7jgZN6w8nBofzcial?__cft__[0]=AZbGV1viR8xB-n8ux527SXje17m8n25sHkAGwoHB8c0wP0PmerWLOKWAn7VUK4Foz9HSHdJxWdnLDLQcAVgKLmYeINVkA6Sp7zUTdmVuMjm1zGyImukUHA48JeOClI-ylFI&__tn__=%2CO%2CP-R 。
⑧ 2回目のアナフィラキシー事故の警鐘レポートが最近発表された。2025/4/13 https://www.facebook.com/hidemasa.kuwabara/posts/pfbid03UZhFdrSCdEJBeLkUzPG1QvEp4U7jsVsh1q6QD332p7Yc9Jm5zkGQ9B9N9GiEtoBl?__cft__[0]=AZa13FC_W8xbx8H03I8s2nC-pctlk4ud-z-nnLZkzIm0XuBrtqnW6OJfCJ2Z3xnbh48ekamL97cIR5TcVXFiraHyxV0F2xenAEkuBPP9-0_GxVR8SS8Cmmw4M2cmtNsDp1hxyq6VNsBZFQ1Q6cMOjt8S&__tn__=%2CO%2CP-R 。
美味しかった長崎の彼杵茶(そのぎ茶)そして箴言 ― 2026年08月15日
美味しかった長崎の彼杵茶(そのぎ茶)そして箴言
ささやかな長崎旅行に行ってきて、初めて見ることも多かったけれどそこで知った彼杵茶のおいしさ、そして彼杵を「そのぎ」と読むこと、どちらも知る人にとっては極く当たり前なのに、知らなかった私は知らなかった故にこんな知られざる銘茶があったのかと嬉しくなった。知らないということは幸せも呼ぶし災いも呼ぶが、今回は幸せだった。
それで思い出したのが「わからないことをわかっていないと、わからないことはわからない」との名セリフだった。つい最近のNHKの変わったドラマで『テミスの不確かな法廷』で発達障害のある裁判官役の主人公(松山ケンイチ)が発した名セリフである(ソクラテスの無知の知?)。ヒトは万能ではないという真理がある一方で「一芸は多芸に通ず」ともいう。ヒトは結局自分の経験値以上の理解はできないので、知らないこともあるという自覚がないと自分だけでなく知らずに他人までも間違いに巻き込んでしまうという、特に指導的立場の有識者には大切な箴言と思う。かつて新型コロナを「ただの風邪だ」とうそぶいた有識者、乳腺外科医事件ではせん妄を理解できない故に無罪を有罪にひっくり返した高裁の裁判官、つい最近でもアナフィラキシーショック治療のアドレナリン量を1編の論文を根拠に0.3ではなく0.5mlにすべきと主張しその意見をもとにこれからは0.5mlにしますとDr達に言わしめた有識者、これらの有識者にはその箴言を理解できない故である。たとえ有識者でも経験値には限界があるのであり理解不能の事もあるのである。極端に言えば互いに理解できなくても最低限互いに殺し合わないことがヒトの世界の最低限のルールであることは多くの戦争の歴史から学んでいる筈なのについ忘れてしまうのもヒトなのである。呉越同舟でも殺し合わないことこそが互いの生存の最低限の基本と思う。
(※上記アドレナリン量についてはM3にコメントを入れたが無視された。勿論重症ショックには0.5mlは正しいが現場での重症レベルは様々だしアドレナリン感受性もTPOで違うのである。だからエピペンの設定量はあらゆるレベルに対応できる抜群の量(大人0.3ml)なのであり、足りなければ追加する、これこそが大事なのである。たとえ有識者でも経験の中でノウハウを学んでいくことも多いので医師は一生勉強なのである。)
自宅の庭のヤマビル ― 2026年07月27日
自宅の庭のヤマビル
Video link
〇 20260706ヤマビル https://youtu.be/SLqRprMKu2U 。
〇 20260707ヤマビル2(庭の草取り中) https://youtube.com/shorts/kZEXsytkKIM?feature=share 。
熊もヒト生活圏への出没が日常茶飯事になったけれど、この1-2年ヤマビルも益々身近の生活圏に出てくるようになった。これまで子供の頃から家の周りでは見たことが無かったが、これは昨日しばらく放置していた実家の庭で草取り中に衣服に登ってきた吸血前のヤマビルの動画である。吸血中は吸い付いて取れ難いがライターの火を近づけると簡単に取れる。十分吸血するとナメクジのように丸々と大きくなって自然にポロリと落ちる。踏みつけると血を吐き出すけれど死なない。そして麻酔作用と抗凝固作用で吸い付かれても気付かず衣服の血染めで初めて気付き半日以上出血が止まらない。感染症の心配はまずないようだ。ヤマビルは1年に1回吸血すれば生きていけるのだという。抗凝固物質ヒルジンは製剤化されているようだけれど日本では認可されていないので未だ使ったことはない。HIT患者はヘパリンだけでなくワーファリンも禁忌なので、日本ではアルガトロバン(日本で発明)を使うが欧米ではヒルジン系も認可され使っているようだ。下記文献③の後藤信哉氏の解説は大変面白くて勉強になる。DOACは販売戦略のせいもあり高齢者に使われ過ぎていると日頃感じているので尚更面白い。梗塞リスクスコアのCHAD2スコアは良く知られているが、出血リスクスコアのHAS-BLEDスコアやDOACスコアは臨床現場であまり考慮されていないと日頃感じている。特に日本の高齢者施設入所者は殆どDOACスコアが中程度以上だけれどDOAC使用中の方が何故か頻繁に入所してきている現状がある。
参考:
① ヤマビル研究会 https://yamabiru.sakura.ne.jp/ 。
② 山と渓谷オンライン https://www.yamakei-online.com/yama-ya/group.php?gid=50 。
③ 循環器領域の抗血栓療法の研究 血栓止血誌 2023; 34(4):457-467 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsth/34/4/34_2023_JJTH_34_4_457-467/_pdf/-char/ja 。
輸入小麦ポストハーベストの実際の動画 ― 2026年07月26日
<YouTube·NPO法人食品と暮らしの安全基金·2010/09/09 https://www.youtube.com/watch?v=NscZzKTGBoc >
50数年前にNHKテレビで流され強烈なショックを受けた映像は見つからなかったが、似たようなことは今でも行われているという輸入小麦のポストハーベスト問題、実際の動画。これはオーストラリアの映像であるが米国でも同じであろう。
DE&Iについて(EqualtyとEquityの違い) ― 2026年07月22日
2026/5/15facebookのメモ
DE&Iについて、分り易く絵で表現している。https://note.com/takahitosasaki83/n/ndc81307fe2ed 。




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