日本のワクチン医療行政は言っていることとやっていることが違う(日本のワクチン医療行政の矛盾の所在について) ― 2026年01月17日
つい最近、高齢者の肺炎球菌ワクチンは「筋注限定」のプレベナー20のみが補助対象に替わった。従来の「筋注ないし皮下注」と添付文書がなっていたPPSV23(ニューモバックスNP)は補助対象から外れた。抑々日本のワクチン行政はこの十数年ワクチン行政は有識者の大声に倣って西欧標準の筋注限定に変わってきていた。
これは新型コロナウイルス感染症のワクチン接種の時にもいやっというほど感じていたことだけれども、何も米国CDCの言うことをそのまま鵜呑みにすることはない。日本は日本の実情を踏まえた上でワクチン医療行政を行うべきだと思う。新型コロナワクチン開始の頃は筋注限定で皮下注ではダメだとの大合唱の中、実体験で高齢者施設入所者をエコー検査で調べた時は約1/3が筋委縮のために皮下注しか医学的には不適応だった。
高齢者こそワクチンをすべきだと宣伝する一方で筋注限定を強調することは言っていることとやっていることが矛盾しているではないか、と当時は困惑した。その後見做し筋注も可と公知しているようだとの判断でいたが、新型コロナ発生して7年経った今でも筋注限定のワクチン行政には拍車がかかってきている。ワクチン診療専門家もワクチン行政担当者も日本の後期高齢者相の現場を知らないのである。これ以上は長くなるので後で別記したいと思う(なお小児の場合は筋注又は皮下注可でむしろ逆である)。
<〇高齢者の肺炎球菌ワクチン、65歳超への経過措置は設けず2025/12/22日経メディカル https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/hotnews/int/202512/591525.html 。
〇第71回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会予防接種基本方針部会 議事録|厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_66358.html 。>
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2026/1/17 アサブロ
日本のワクチン医療行政の矛盾の所在について
良い悪いはさておいて、後期高齢者医療をどこまで行うべきかは西欧と日本とは少なくとも現実は違っている。日本の後期高齢者の実相は暦年齢に関係なく様々で、所謂終末期(人生の最終段階)で片足棺桶に入っている方もあれば90歳過ぎてもピンピン中年と変わりないように見える方もいる。そのピンからキリまでの間は光のスペクトラム様で、一律な線は引きがたい連続性の所謂グラデーション状態である。そして介護が必要になった後期高齢者の所謂るい痩者でもそれなりに元気な方もいるし、更に食べられなくなったから人生の終末期と一律に判断し難い方もいる。ここではそのキリに当たる方々を念頭に置いて述べるがそれもグラデーション状態である。日本は超高齢者社会のトップランナーのためか、そのキリへの対応が西欧とは異なっているのである。
要介護者の実相もグラデーション状態で、キリのキリへの対応でも実際の現場感覚として言うと、脱水を避けるためのdry-side管理を行えば極端なことを言えば半年も1年も長生きする場合もあるし、1ケ月点滴だけで過ごしていてもある時突然再び食べ始めるようになることさえある後期高齢者を、どこまで治療管理を行えばよいのかを常に自問自答しながら行っているのが日本の医療介護の現場である。要するに人生の最終段階になりかつ逆戻りしなくなる時点(誰でも必ずある時点)がどの時点なのかの判定を慮ることの大事さに苦労するのである。
そういう現実の中で穏やかに亡くなっていく高齢者は痩せて枯れ木のようになっていく方もいるので、当然ながら全身筋肉も萎縮していく。それ故決して終末期ではなくてもワクチン筋注の不適応の方も出てくるのである。
実際日本のインフルエンザワクチン(Adjuvant非含有)は添付文書上で用法が皮下注になっているので、本人や家族の希望があれば行えているが問題は生じていないし、ワクチン注自体が医学的に不適応と判断する場合は特殊な場合に限られている。これが新型コロナワクチンのように筋注に限定されると医学的に不適応と判断せざるを得ない場合が更に少なからず出てくる。
表記に述べた通り肺炎球菌ワクチンの補助対象がプレベナー20に変更になった。このワクチンはAdjuvant含有で高齢者は筋注限定であるし、補助対象は小児と高齢者限定である。添付文書の用法が小児と高齢者が逆になり高齢者の用法は「皮下注又は筋注」となれば問題ないのだがその逆故に物申すなのである。
ワクチン注射を筋注に限定したら出来ない高齢者が少なからずいることを有識者は御存知なのだろうか、それとも元気高齢者だけで良いと考えているのだろうか。ワクチン行政で高齢者こそワクチンすべきと一方で勧めながら高齢者を筋注限定にするのはそう考えない限り矛盾しているのである。
以下は抑々新型コロナウイルスワクチン始まりの頃からの困惑の経過を述べる。
新型コロナウイルス感染症では高齢者こそワクチンをとのキャッチフレーズで当時ワクチン注射が始まったが、有識者が筋注限定をあまりにも強調するがために、現実と矛盾しているではないかとの疑問と共に、筋注できなければ皮下注でも良いではないかと気楽に捉えられる雰囲気が当時全く失せてしまった。副反応がどこまで心配すべきかが不詳だったためである。新型コロナウイルス感染症発生期には日本の現状を見ずにWHOやCDCの言うことを鵜呑みにすることの愚かさを暗中模索の中で嫌っというほど味わった。
ワクチンは新型コロナウイルスワクチンに限らず、インフルエンザワクチン等従来の不活化抗原ワクチンについても高齢者こそワクチンをとの合唱は今もなおある、いやむしろ強調されてきている。私は反ワクチン派ではないが、感染症医をはじめとした有識者(学会や日本医師会等)があまりにも欧米に倣えと筋注にすべきと強調していることに違和感を感じてきた。欧米とは違い、日本には筋注できない程に(皮下注になって仕舞う)るい痩高齢者が高齢者施設には少なからずいるのである。
皮下注は免疫効果もなく副反応も強いからダメだとの思わせぶりな論調も目立つ。そんなに皮下注ではダメなのか、筋注から差別すべきなのか、と医療界の風潮に対して逆らって、改めて纏めてみる。
そもそもワクチン効果は「皮内注射>皮下注射≒筋肉注射」であるとの考え方は50年前からあり、それは今でも変わってはいないと思っている。当時は抗原提示細胞(APC)という概念はなかったが今ではAPCは最も皮内に多く次に皮下・筋注と言うのは医学会の誰も異論のないことと思われる。事実、⑪⑫の論文のように皮内注射の有用性の論文へのコメントに50年前に既に行っているよとするコメントが出ても来るのである。
勿論抗原により筋注の方が免疫効果に有意差がある場合も多々ある事は否定しないがそれは皮下注という手技を否定して捨て去ることにはつながらない。臨床現場に社会実装できるかどうかの要因の方が圧倒的に大事だ。それは皮内注射が最も免疫効果が高いにもかかわらず手技上の難点ゆえに社会実装できないことを見れば分かると思う(と言うより今後新たなデバイスで皮内投与ワクチンが出来てくるかもしれない①~⑩)。
感染症専門家等が一律に挙げる引用表現があるが、一例として
「Q20. ワクチンは筋肉注射でないと意味がないのでしょうか。筋肉が萎縮している人にはどのように接種したらいいでしょうか。
回答
A:COVID-19ワクチンが筋肉注射となっているのは、皮下と比較して筋肉内に血流が豊富で免疫細胞も多く分布しているため、注射されたワクチン成分を免疫細胞が捉えてSARS-CoV-2特異タンパクが生成されやすいからです1)。ワクチンの筋肉注射は、上腕の三角筋に接種することを推奨されていますが、何らかの理由で三角筋に接種が困難な場合は、下腿の外側広筋(大腿部の外側の筋肉)に注射することが勧められています2)。
1)Zeng C, et al. Formulation and Delivery Technologies for mRNA Vaccines. Curr Top Microbiol Immunol 2020. doi: 10.1007/82_2020_217. PMID: 32483657
2) Vaccine administration: needle gauge and length (Centers for Disease Control and Prevention)
https://www.cdc.gov/vaccines/hcp/admin/downloads/vaccine-administration-needle-length.pdf
(回答日:2021/3/16)。」
というのがある(資料⑭)。
根拠の1)を調べてみるとこれは総説で、あらゆる投与経路についての概説であり、皮下注を一方的に否定しているものではなく効果も副反応も投与経路ごとの特徴がありそうだと述べているだけとしか自分には捉えられない。2)はCDCの米国向けといって良いようなもので、彼らは肥満で皮下脂肪が厚いので筋肉まで達するように注射針の長さを考慮しなさいと実務指導書のようなものとしか自分には捉えられない。日本ではむしろ骨に当たったり滑液のう胞に入ったりするのを気を付けましょうとした方が適切なもので視点が抑々違うのである。
従来の蛋白抗原ワクチンと違い、新型コロナウイルスワクチンはmRNAを抗原とする新規のワクチンであり未知の点が多い故に様々な憶測の中で社会導入された。
海外由来の不活化ワクチンは従来より筋肉注射が普通であり、この新型コロナワクチンも海外産なのでその添付文書が筋注限定であるのは仕方ないとしても、問題は日本国内の日本医師会をはじめ医療専門家たちがこぞって皮下注と筋注とは天と地ほどに違うとの大合唱には大変驚いた。これは間違って皮下注になって酷い副反応が出た場合には医師の責任問題になりかねない。医学的には「筋注できなければ皮下注でも良いではないか」とのsilent majorityの考え方で良いであろうとのそれまでの捉え方では医療行政上からは犯罪に結びつけられかねないと、思うようになった。新型コロナワクチン導入の初期の頃は副反応の程度について不祥な点が多々あったからである。
なぜ大勢を占める上記意見が多いのかについては、主に欧米のワクチンが筋注になっているという単純な理由のためだったとしか自分には捉えられない(但し欧米でも生ワクチンは皮下注)。そして一部の感染症専門医の大きな声に大勢が流されていったためとも思っている。
皮下注/筋注のどちらがより効果的であるかはワクチン抗原の種類によっても多少異なるとの前提は勿論あるとしても大同小異で大ざっぱにいって従来の蛋白抗原の場合の免疫効果は「皮内注射>皮下注射≒筋肉注射」であると今でも思っている。これは50年前に既に日本アレルギー学会等で討論になって決着がついていると認識していたからである(但しmRNAワクチンは新規のため不明な点が多い)。そしてAdjuvant含有にすれば免疫効果はあがるが副反応も強くなるということも当時から常識とされていて、これは今でも変わらない。
なぜ上記意見を気に懸けるかについては、法的責任問題が出た時にはワクチン添付文書記載に従わない場合は医学的に正当であっても添付文書に反したということで医療行政上冤罪に繋がりかねないからである。
(これはワクチン添付文書の用法が「皮下注ないし筋注」と記載されれば直ちに問題解決するのであるが、現在の日本の医療行政の流れが逆に筋注限定方向に流れてきているのが残念なのである。)
医療は社会の常識から外れてはならないという原則があるが、その社会の常識がずれていた場合は無視できない。インターネットのAIは間違っていることも多いが社会の世相認識や常識を反映する目安にはなり得る。
試しに検索で<ワクチン注射 筋注・皮下注 効果・副反応の違い>と入れてみると、いわゆる有識者が言っていることと同じようなことがずらりと出てくる。当り障りのない表現になってはいるが何か変なのである。直接責任が背負いかかる医療者にはそんな認識のズレがあっては困るのである。抑々免疫原性を高めることと血流に乗って全身に行き渡ることはイコールではない。血管に針が当たる心配がないと言いながら血流豊富と言うのも間違いではないが変である。
新型コロナワクチンの初期の頃に戻ると、
新型コロナワクチン注射が世界で初めて2020年末頃に導入され、日本でも2021年4月頃より高齢者優先でワクチン注射が始められた。しかしワクチン添付文書上では筋注に限定されており更に皮下注ではダメで筋注でなけれなならないとの意見が日本国内で圧倒的に流布されて感染症専門医や日本医師会でさえもそれも強調していた。そんなことを言っても日本の高齢者施設では筋肉が萎縮していて医学的には筋注不可の入所者がかなりいると思い、高齢者優先の考え方と矛盾しているではないかと考えて、当時入所施設で実際に筋委縮程度をエコー検査で確認した。入所者約100人の約1/3が医学的には筋注不可の結果が出たのには驚いた(施設毎の差も勿論大きいが)。従来の蛋白抗原ワクチンとは違うmRNAワクチンなので不詳な点が更に多かったが、従来の50年前からの医学的常識であったはずのワクチン効果は「皮内注射>皮下注射≒筋肉注射」であるとの考え方で対応すれば筋注できなければ皮下注でも良いとも受け取れたが、あまりにも感染症専門家を含む医療界全体?が筋注と皮下注は天と地ほどに免疫効果が違うと喧伝したので、“そんなことを言っても筋肉萎縮で筋注できない高齢者がいると自分なりに周りに情報発信したが力不足で反応がなかった。ある医療専門家団体の全国指導者レベルにこの件を話題に取り上げて頂いたが”どこかに筋注できる筋肉があるのではないか“との全体意見で相手にしてくれなかったと仲介者から申し訳ないとの返事を当時頂いた。有識者たちは何んと日本の現状を知らないのである。「心ここにあらざれば見れども見えず・・」なのである。ワクチン副反応で万万が一の訴訟になっても国を巻き込めるように、最終的には官邸にメールまでして「見做し筋注」を認めてくれなければワクチン注射できない高齢者がいると断っておいて、高齢者のご家族がワクチン希望しても医学的にできないとワクチン注射を初回はお断りした。その後、世間では「見做し筋注」しているのが明らかになってきたので2回目以降は厳密に捉えることを止めて見做し筋注も高齢者個々の状況で判断して受容するようにした(世間では高齢者のワクチン実施率90%などと言っていたからである)。
(※見做し筋注とは、医学的には皮下注になって仕舞うが医療面では問題ないと公知されていて筋注と見なしてワクチン注射を行うこと。そもそも欧米人にとって皮下脂肪が厚く筋肉まで注射針が届かないことは心配するが枯れ木のように痩せ細ろえて亡くなっていく高齢者が少なからずいるという日本の今の現状認識が有識者さえ出来ていないのである。)
手技上の違いの意味するもの
a:皮内注射
抗原提示細胞(APC)のうち最も強力なものは樹状細胞でありそれは真皮内に多く、皮下や筋肉内には少ないとされている。勿論皮下でも筋注でもワクチン抗原が注射されればその部位にAPC(樹状細胞・マクロファージ・単球・リンパ球等)が遊走して集まってくる。だから局所反応が出るのである。
事実皮内・皮下・筋肉を比べた場合は圧倒的に皮内注射が免疫効果が高いとされていてそれは50年前でも今でも変わらないのは前述のとおりである。問題は皮内注射が技術的に難しく広く社会に流布出来るものではないことである。そのために現実的な方法として皮下注や筋注が選択されているのである。例えば、皮内テストでは通常前腕屈側で行われ、PK反応テストは背部皮膚で行われる(今は行われない)。部位によって真皮の厚さは異なり前腕屈側では1mmに満たない。そこに皮内テストでは0.02ml、ツ反では0.1ml注入なので余程慣れなければ皮下に入ってしまう。皮下に入るのは注入液が拡散するのですぐ分かる。正確に皮内に薬液が入れば0.02mlでは約5mm径の膨疹、0.1mlでは工夫しながらでも10mm径が目安になる。それ以上の薬液注入は場所を変えなければ無理である。それゆえ巾広い普及は無理である。但し現在でも一部は特殊器具で皮内にBCGやサル痘等一部のみで行われている。
b:皮下注射
この手技は社会実装するには最も簡単で成人だけでなく超高齢者にも簡単に出来る主義である。皮膚をつまめば簡単に筋肉と分離区別出来るので慣れなくても出来る手技である。
c:筋肉注射
皮下注と比べれば配慮すべき点が多い。これは簡単とするDrもいるが、決してそうではないと思っている。今回の新型コロナワクチンでもSARVAや橈骨神経麻痺等のリスクが実際一部で生じている。血管に当たる心配はないとする専門家が多いがゼロではない。薬液注入前に陰圧で確認する必要がないというのはCDCの意見であるが、その新型コロナワクチンでは日本医師会も学会も陰圧不要が陰圧禁止に日本では刷りかえてしまった。自分では軽い陰圧をかけて念のために確認した方が良いと思って逆流確認をしていたが、何と何十回と行った新型コロナワクチン注射うち1回だけだがスムーズな血液逆流を経験して稀で驚くとともにその意を新たにしたことがあった。肩峰下滑液包に入ればスポーツ選手には致命的な副反応SARVAが出るが滑液包は肩峰下だけでなくあらゆる筋肉の下にもあるものである。日本人では肥満で注射針が筋肉まで届かないことを心配するよりも骨に当たってしまうことに要配慮であり、痛覚神経は骨にはなく表面の骨膜にはあるのみなので骨に当たったら2-3mm引けば良いのであるが骨膜に注入したら当然副反応は強いはずである。
(抑々、陰圧をかけない方が痛みが少ないとよく引用される根拠論文 https://doi.org/10.1136/adc.2007.118695 .
を読むとこれは乳児対象の論文で乳児の様子やVAS score等で比較した所、ゆっくり刺してゆっくり陰圧をかけてゆっくり抜くよりも、さっと刺してさっと抜いた方が実用的だと言っているだけであり、他要素の方が多く、陰圧をかけること自体には言及していない)。
d:皮内注射・皮下注射・筋肉注射の投与経路の違いによる各ワクチン免疫効果・副反応の異同
筋肉注射の方が圧倒的に副反応は少ないとする意見が多いが、皮下注・筋注の異同については資料⑱のデータを見れば、副反応の違いはドングリの背比べであることが一目瞭然である。筋注の方が副反応が少ないと論文考察で述べる例が多いことも欧米に阿ねているとしか捉えられない。海外はともかく日本発論文でも皮下注は時代遅れとさえ言い切る論文さえ出て来ているのは何をか言わんやである(⑯⑰)。免疫効果の違いは使用抗原により、Adjuvant有無の違い等で大きく異なる場合もあるので個別判断を無視できないのは確かである。
資料⑲はその新型コロナワクチン注射で困惑していた頃のブログである。随分控えめに書いてあった。
5、参考資料
① 【医療コラム】ワクチンの革新的投与経路「皮内投与」の知られざる魅力 -薬剤皮内投与の積もる話 2023.12.12 https://lab-brains.as-1.co.jp/for-biz/2023/12/57207/ 。
② 接種実技 2022年度予防接種基礎講座 @国立国際医療研究センター https://www.hosp.jihs.go.jp/isc/080/FY2022/11-1.pdf 。
③ WAM NET(福祉医療機構):皮内投与ワクチン。非常に薄い真皮に投与して免疫応答をさせることにより抗原量を減らすことができる。2008年1月にヨーロッパで承認。2009年米国申請予定・・2008/04/16 https://www.wam.go.jp/gyoseiShiryou-files/documents/2008/16933/20080416_1shiryouA_2.pdf 。
④ 皮内投与による局所および全身への薬物送達に関する研究(城西大学吉田大介平成20年9月30日) https://libir.josai.ac.jp/il/user_contents/02/G0000284repository/pdf/JOS-PhDZ52.pdf 。
⑤ 無針で皮内投与の新型コロナワクチンによる発症予防効果は7割弱 インドで開発されたワクチンの第3相臨床試験の中間解析の結果 2022/04/27 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t344/202204/574746.html 。
⑥ 感染症予防対策に貢献する新規経皮ワクチン製剤の臨床研究 廣部祥子 大阪大学 2018 https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/69675/29918_Abstract.pdf 。
⑦ 「裸の mRNA」からなる安全な新型コロナウイルスワクチンの開発に成功 東京医科歯科大学他2024年3月28日 https://www.tmd.ac.jp/files/topics/61965_ext_04_29.pdf 。
⑧ “貼るワクチン”にマイクロニードルポンプを搭載~注射と同等以上の免疫効果を動物実験で確認~東北大学2022年9月6日 https://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press20220906_01web_vaccination.pdf 。
⑨ マイクロニードル技術による経皮ワクチンの開発Drug Delivery System 39-2,2024 https://www.jstage.jst.go.jp/article/dds/39/2/39_116/_pdf 。
⑩ 新規無針注入器によるDNA・蛋白質の皮内投与によるワクチン効果と遺伝子治療増強 東京医科大学2025-12-26 https://kaken.nii.ac.jp/ja/report/KAKENHI-PROJECT-22K12772/22K127722024jisseki/ 。
⑪ Dose sparing with intradermal injection of influenza vaccine. RT Kenney et al. N Engl J Med 2004 Nov 25;351(22):2295-2301. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/15525714/ 。
<インフルエンザワクチンの皮内注と筋注を比較している。免疫効果は少量抗原の皮内注と通常量抗原の筋注とでほぼ同じなので不足ワクチン量の有効活用ができるとしている>
⑫ Immunologic reactions following the intradermal inoculation of influenza A and B vaccine TH Weller et al, Proc Soc Exp Biol Med 1948 Jan;67(1):96-101 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/18902305/ 。
<⑪の論文に対して50年前に既に報告しているとコメント( https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJM200503103521019 )を入れて示したのがこの50年前の論文である。皮内注・皮下注の比較データ等を提示している。>
⑬ 新型インフルエンザワクチン「国内産・輸入ワクチンの有効性」(厚労省2010年2月10日版) https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/pdf/inful_100210a.pdf 。
<ここでは新型インフルエンザワクチン(2009年に発生したpdm09株)について説明している。この時は日本国内でもAdjuvant含有ワクチンも検討されたが上市されたのは非含有ワクチンだった。検討段階では皮下注・筋注の比較も行っている資料があるが副反応についての有意差は出ていない。毎年行われる国産の季節性インフルエンザワクチンはAdjuvant非含有である。>
⑭ 日本呼吸器学会Q&A:Q20. ワクチンは筋肉注射でないと意味がないのでしょうか。・・ https://www.jrs.or.jp/covid19/faq/vaccine/20210316104835.html 。
⑮ 新型コロナワクチンはなぜ筋肉注射なのか?紙谷聡 小児感染症専門医、ワクチン学研究者2021/2/21 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4fd0ad9a52f40ee6df22ebeb85177df4b271d9f5 。
⑯ Intramuscular vs. Subcutaneous: Rethinking Influenza Vaccination Strategy in Japan. Y Kaneda et al, JMA J 2023 Dec 11;7(1):111–113. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10834209/ 。
⑰ Subcutaneous vaccine administration – an outmoded practice. IF Cook, Hum Vaccin Immunother. 2020 Sep 29;17(5):1329–1341. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8086591/ 。
<米国では用法が筋注なのでそれをうっかり皮下注してしまった集団事例があり報告対象になり、CDCの見解は副反応・免疫効果共に問題はなかったとしているが(MMWR Morb Mortal Wkly Rep. 2006 Sep 22;55(37):1016-7 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/16988640/ )、この⑰の論文はそのうっかり事例を指してだから全部用法を筋注にすれば間違わないのだと言い張り更に飛躍して皮下注は時代遅れと表現している。こんな論調は殆どナラティブなものである。見方によっては筋注限定にするとこのようなとんでも発言も出てくるし、日本も鵜呑みにする者が出てくる。⑮⑯⑰いずれもCOVID-19発生後の論文であるが統計的な僅かの差を以てワクチン皮下注を否定している。筋注できない人への視野がないのである。>
⑱ Immunogenicity of an inactivated adjuvanted whole-virion influenza A (H5N1, NIBRG-14) vaccine administered by intramuscular or subcutaneous injection. D Ikeno et al. Microbiol Immunol 2010; 54: 81–88. https://onlinelibrary.wiley.com/doi/epdf/10.1111/j.1348-0421.2009.00191.x 。
<2009年に新型インフルエンザH1N1pdm09株が新規流行した時に日本で上市されたのはAdjuvant非含有のワクチン(⑬)であったが、治験段階では致死率の極めて高い新型鳥インフルエンザH5N1ワクチンのphase Ⅰ治験も行っていた。Adjuvant含有のH5N1ワクチンであり日本で作成し治験して結果も報告されていた。そのデータがこの⑱で報告されている。日本人の若い健常者の局所疼痛頻度は(筋注35%、皮下注37%)、局所発赤(筋注25%、皮下注67%)、局所腫脹(筋注7%、皮下注23%)、局所硬結(筋注2%、皮下注3%)、全身症状発熱(筋注8%、皮下注8%)、全身倦怠(筋注20%、皮下注30%)、頭痛(筋注18%、皮下注17%)、である。皮下注・筋注の副反応の違いが大同小異であることが分る。全身症状も両者で変わらない。腫脹や発赤が皮下注の方が多いのは、筋注か皮下注の違いなのか深さの違いなのか、の理由については不詳である。免疫原性については確かに筋注優位になっているが人によるバラツキが大きい。>
⑲ ワクチン注射は皮下注か筋注か、で気になったのでちょっと一言 2020年11月11日 https://ku-wab.asablo.jp/blog/2020/11/11/9315455 。
<Covid-19ワクチン初期の頃の暗中模索の中で、過去に言及していた⑱についてのブログである。>
群馬県庁32階から見た東西南北の山なみ ― 2026年01月13日
肺ラ音の命名ルールの共有について ― 2025年11月16日
肺の聴診音の表現について医師の相互共有が曖昧だった故に確認してみた。ラ音の分類と命名法、日本語・英語・ドイツ語の相互共有の統一は既に決まっていたと思っていた。
改めてその根拠をインターネットで調べてみたけれど見つからなかった。確か肺ラ音の命名については、過去に既に決まっていたはずであると思っていた。
私の頃は医療用語はドイツ語が中心であり英語等との語義同一性が混乱していた時期であり、英語等との共通理解が無かった。そのため肺音の相互理解の国際シンポジウムが当時開かれて日本からは当時三上理一郎先生が出席していた(1987年?)。その論文がどこかにある筈と思いインターネットで探してみた。しかし多くの論文がヒットするにも係らず肝心の国際的意志統一の根拠を示す論文を見つける事が出来なかった。記憶を辿って探したら手持ちの資料の中にあった論文の写しが添付の画像である。この論文は当時の国際シンポジウムの議事録をもとに書かれたものである(Am Rev Respir Dis 1987; 136:1016)。最近は医療用語がもっぱら英語か日本語であるが、この論文には日本語・英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語の語義共有が併記されてある。
〇DW Cugell. Lung sound nomenclature. Am Rev Respir Dis. 1987 Oct;136(4):1016. (doi: 10.1164/ajrccm/136.4.1016.) https://www.atsjournals.org/doi/epdf/10.1164/ajrccm/136.4.1016?role=tab 。
赤堀道元について ― 2025年11月10日
赤堀家・中島本家・中島分家を併せて赤堀道元三屋敷という。その三家の関係は、
<div class="msg-pict"><a href="https://ku-wab.asablo.jp/blog/imgview/2025/11/10/71d276.jpg.html"
target="_blank"
onClick="return asablo.expandimage(this,4032,2268,'https://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2025/11/10/71d276.jpg')"><img src="https://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2025/11/10/71d275.jpg" alt="赤堀城址" title="赤堀城址" width="300" height="168"></a></div>
赤堀家は藤原秀郷の末裔で治承4(1180)年赤堀郷の赤堀城を足利又太郎忠綱が居城としていてその子忠広が伊勢国へ移住した。戦国時代になり伊勢国4日市より赤堀上野介忠廣の次男良綱が上野国赤堀郷に移住した。24代綱歳が赤堀上野介赤堀入道で道完と言い現在地に館を定めて道完屋敷と言ったがウ冠が取れて道元屋敷になったとの赤堀家伝承があるという。中島家は戦国時代の川中島合戦で武田信玄配下で戦った中島筑後守盛信の子の信利が赤堀に土着した。その後各種事業に失敗するまではこの地の資産家であったという。赤堀家は養子を中島家から秀信源八を迎え家屋敷と赤堀姓の跡を継がせた。その源八が酒造業を延享元(1744)年に始めて200年続き繁盛したが酒造の衰退とともに昭和になり35代の時に落雷火災で廃業し道元三軒の一角が崩れたという。中島本家も事業に失敗してその後本間家に家屋敷を譲り東京に出て行った。中島分家は文化12(1812)年に本家より弟の祐八(初代祐八)が分家してこの時道元三軒になった。この中島分家は関根屋の屋号で第二代祐八の時に商売に成功して、道元の店と言われ大いに繁盛していた。第二代祐八は利根郡奈良村の石田家から養子に入った人である。第二代祐八(幼名逸作、後に量平と名乗る)の実父は石田良助忠超(初代良助)と言いその石田良助忠超も石田家に養子に入った人で、倉賀野城主金井淡路守の後胤金井源蔵賢敦の次男である。3代祐八は明治時代に衆議院議員として明治25年以来7回当選して活躍していたが病気で大正2年没し多大の借金を4代祐八に残した。足尾鉱毒事件で田中正造とともに戦っていた左部彦次郎もその3代祐八の援助を受けた一人である(左部彦次郎にとっては祖母とさの弟の子)。その中島分家も昭和に入り衰退して第二次大戦中にその関根屋を閉店した。現在は三家共になく中島分家跡に「道元三屋敷由来」の碑が建っていて「ほたるの里公園」になっている。
資料:
①伊勢崎市立赤堀図書館所蔵「ふるさとをたずねて 明治大正篇第一巻」赤堀町郷土研究会編集平成2年発行、(中島敏夫は3代祐八の孫)。
②群馬県立文書館石田侃家文書<石田家家史:文化十三(1816)子年 二月良助来ル栃久保村金井源蔵賢敦之次男也、先祖ハ倉賀野城主金井淡路守土岐澄政之後胤也、(石田良助初代、良助忠超タダオキ、通算14代?)
足尾銅山鉱毒事件に係った左部彦次郎の出自に関係のある手紙3通について ― 2025年11月09日
<足尾銅山鉱毒事件に係った左部彦次郎の出自に関係のある手紙3通について>
手紙①は、明治13年に中嶋量平から石田良助宛に出した手紙である。左部彦次郎の義父の第3代左部宇作の死を悼んだお悔やみ状でもある。関係者の名前が複数でて来ている。説明書きにある通り、中嶋量平は第2代中島祐八の事であり彦次郎の祖母とさの弟で赤堀村の中島家に養子に行った人である。この石田良助はとさの弟である2代良助の子の第4代良助であり、2代良助の弟である第2代中島祐八の甥でもある。
手紙②は、明治21年に左部彦次郎から石田良輔および祖母とさ・宗助宛に出した手紙である。この石田良輔は第4代良助で石田直太の父である。この宗助は初代左部宇作・とさ夫婦の間の四男と思われる(長男:左弥太(2代宇作)、次男:3代宇作、三男:湊)。彦次郎が東京専門学校政治科に合格したこと、同宿の直太も成城学校入学の試験で頑張っていること、無駄遣いしないよう心掛けるので費用補助と生活補助のお願い等の手紙である。これらのことは左部とさの実家の石田家からの援助も少なからずあったことを物語っている。
手紙③は、明治23年に第2代中島祐八から石田良助宛に出した、石田宗助死亡へのお悔やみ状である。この宗助は左部とさの四男の左部宗助(惣助)と思われ、石田家に養子に入っていたようだ。
(※以上の手紙は県立文書館の石田家家史の中にあるものの読み下しである。)
今は見つからない「そわ女の歌碑『風樹碑』」(高輪泉岳寺)の碑文の表と裏 ― 2025年10月14日
左部そわ(1830-1891、蘇和、蘇和子、楚和とも。16才で嫁して今井そわ。)の風樹碑はかつて泉岳寺山門の手前の右奥にあったという。今は大石内蔵助の大きな像が建っている。義士300年祭(2003年)のための境内整備で撤去され一般檀家墓地に移されたという。
左部そわは江戸後期に父の三岳(左部善兵衛寛信の俳号)に連れられて上州奈良村より江戸に遊び俳諧の素養を身に着けていて、江戸にて幼き頃に詠んだ歌の碑といい、江戸時代は泉岳寺の前には品川の海が拡がっていたという。
「春風や空に消えゆく舟のみち」
その石碑の裏には次のような碑文が残されていた。
今井善治郎兼保(善平・七次郎とも)はそわの次男であり父の反対を押して出奔し慶応大学等に学んだが母の陰の助力に終生感謝していたという。老いた母を東京岩佐病院にて孝養に務めたが亡くなり、そわの侍医が岩佐純である。岩佐純は皇室の侍医でもあり、明治16年には皇室の一等侍医で宮中顧問官なども歴任して、明治45年宮中豊明殿で病に倒れ死去した。
股野琢は内大臣や宮中顧問官など歴任して詩文や書道で名声が高かったという。大正10年死去した。
(参考)
a:「今井そわ女句碑を尋ねて」丸山知良著『群馬歴史散歩』102号20-22頁1990年9月。
b:「泉岳寺と上州」編集部著『季刊群馬風土記』特集ふるさと歴訪(通巻106号2011年7月)。
c:左部蘇和(今井蘇和)の泉岳寺の歌碑について https://ku-wab.asablo.jp/blog/2025/09/11/9802319 。
d:泉岳寺の今井そわ女の句碑はどこへ?2024年04月23日七代目蔵元日記 https://blog.goo.ne.jp/denchan1630/e/94a983c4a6913152111bfa7afce2c1ec 。
追記:
蘇和子の父左部善兵衛寛信(俳号三岳、幼名豊三良)の兄の左部斧次良(俳号蓼化)は27才歿で早逝したが左部彦次郎の曾祖父である。
10/3に保木間氷川神社と高輪泉岳寺に行ってきた。 ― 2025年10月13日
保木間氷川神社は足尾鉱毒事件で知る人ぞ知るの田中正造「保木間の誓い」の場所であり、泉岳寺は左部蘇和の歌碑「風樹碑」があった寺である。
〇保木間氷川神社について:
関東地方を中心に約1000社あるとされる氷川神社の一つ保木間氷川神社は現在東京都足立区保木間にある。日本神話に由来する神道信仰は地域により独特の信仰圏を形成して行き氷川信仰もその一つで氷川神社と言われその総本社は大宮氷川神社とされている。氷川という名は出雲国の斐伊川に由来するとされるが出雲や祇園信仰とは違う独自の氷川信仰が形成されてきて、出雲から勧進された須賀神社等や祇園信仰の八坂神社等とは系統が異なる。総本社の大宮氷川神社は勅祭社であり官幣大社であり神社本庁の定める別表神社であるという。
保木間氷川神社は江戸時代、保木間・竹塚・伊興三村の鎮守の伊興氷川社であったものを、明治五年分離して社名を氷川神社と改め保木間村の鎮守となったとされる。
足尾鉱毒事件で田中正造による明治31年の「保木間の誓い」が行われた場所として有名になった氷川神社である。保木間氷川神社は旧日光街道の東側に隣接しているので鉱毒事件第3回押し出しの通り道であったためのようだ。当時の淵江村は明治22年の町村合併で新設された村で現在の足立区に相当するという。
今は保木間氷川神社と真言宗寶積院寺院との間に昭和になって仕切りの塀が建てられているが明治の頃は仕切りがなく多くの人が集まれたと地元の清掃ボランティアの方が言っていた。
この保木間氷川神社で鉱毒被害民の3回目押し出しの約2500人を前にのちに「保木間の誓い」と言われる演説を田中正造がした。立ち会った聴衆だけでなく憲兵や警官も立ち会わせた上でのその演説は被害民だけでなく憲兵や警官等も含めて涙を流して聞いたという。
田中正造はこの時衆議院議員で大隈重信の憲政党内閣の与党に属し請願に答えてくれるはずであり新設された帝国憲法でも集団での示威行動は認められていないので10人に絞るように説得した(結局話し合いで50人に絞られた。又明治31年6月に出来たばかりの憲政党内閣はその正造演説の1か月後には、僅か4か月で崩壊してしまった)。
この田中正造の演説に対して左部彦次郎がそんな約束をして大丈夫かと正造に詰め寄ったことが、正造の日記に書いてある(「左部氏正造に言う、足下万一間違えば被害民に首を取られると。答、否間違いなしと。又曰く、やり損ね、否そこねぬと答ふ」(明治31年9月30日正造日記、現代ひらがな使いに変更))。いつの頃からかは不明だがこれが「保木間の誓い」と言われるようになった(足立区教育委員会設置の看板)。林竹二は『田中正造―その生涯と思想』1985年(林竹二著作集第3巻)の中で「保木間の誓い」の項を設けてその誓いについて深く洞察している。そこには深い同志として結ばれていた左部彦次郎にさえも窺い知れない田中正造の深奥の苦悩が描かれている。
注1.<※足尾鉱毒被害民の第3回目押し出しは明治31年9月26日に被害民1万人余が館林の雲竜寺を出発し警官隊等が進行を妨害したり利根川渡船を撤去する等妨害工作や虐待等受けたが9月28日には約2500人が氷川神社まで辿り着いた。
田中正造は9月27日の夕方7時に東京府芝区芝口の鉱毒事務所を左部彦次郎と共に人力車で出発して、28日朝6時頃被害民の一群に出会い、保木間氷川神社境内に約2500人の被害民を集合させて上記の演説をした。その前後には?正造の斡旋で氷川神社の他、神社北方400m弱の大乗院・淵江村村長坂田庄助方庭・同じく保木間の荒井忠之助宅に分かれて休憩場所?として炊き出しを行った。結局その後も事態は好転せず明治33年2月13日早朝出発した第4回目の押し出しに伴う正午頃の川俣事件発生に繋がる。>
注2.<※上記大隈内閣のエピソード追加:当時就任したばかりの慣れない大隈重信首相は1898年8月12日にアメリカのハワイ併合に対してマッキンリー米国大統領に対して極めて厳しい非難文書を送り外交危機に陥りそうになった。その少し前の1893年のハワイ事変ではリリウオカラニ女王の王党派から援助を求められて日本は邦人保護を理由に軍艦2隻を送りハワイ軍港に停泊した。艦長の東郷平八郎は欧米派に話し合いを求められても拒否して無言の圧力を加えた。更にその前の大王でリリウオカラニの実兄のクラカウア大王は1881年に日本訪問をしていて明治天皇に密会し5項目の援助や協力を依頼していた。その中には王室同士の婚姻やアジア連合等の対欧米構想の持ちかけもあった。残念ながら日本にも余力がなく欧米との不平等条約の改正等に四苦八苦している時であり、クラカウア大王の期待には応えられなかった。欧米列強と対峙していく過程でやがて日本も1894年日清戦争、1904年には日露戦争にも突入していくことになる。(ハワイ併合 Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E4%BD%B5%E5%90%88 )。ホノルルの公文書館に明治天皇のハワイ国王への返書が保管されているという(アメリカの侵略を受けたハワイ。国王のカラカウアは助けを求め日本へ https://naoemon.com/hawaiian-kingdom/ )。
その他にも日本は、アメリカとは第二次大戦までは何かと利害関係が対立しやすく、第一次大戦後の講和会議等でも日英仏伊米の5大国に日本がいるのを米国は煙たがり日英同盟を廃止させてしまったこともあった。当時の英首相は「・・これを存続すればアメリカから誤解を受け、これを破棄すれば日本から誤解を受ける。この進退困難を切り抜けるには、太平洋に関係のある大国全てを含んだ協定に代えるしかなかった」と言ったという。この頃日本は、国際連盟規約起草で「人種的差別撤廃提案」も行ったが否決されてしまった。アメリカ国内では日本の「人種的差別撤廃提案」に対して、黒人が日本への感謝の意を表明して喜んだが、否決されてしまったことで、多くの都市で暴動が起きたという。この頃は世界的にも人種差別から政策的に脱することができていなかった。ただ、1893年の武力行使のハワイ事変は100年後の1993年にクリントン大統領によってハワイ併合は不正義であったと謝罪している。この点は米国の偉いところではある。 https://ku-wab.asablo.jp/blog/2023/04/15/9577324 。>
〇泉岳寺の左部蘇和の歌碑「風樹碑」の所在について:
以前より左部そわ(1830-1891、蘇和、蘇和子、楚和とも。16才で嫁して今井そわ。)の風樹碑の存在は知っていたが、実物を見ていないので気になっていた。
今井家の方に聞いた所では赤穂浪士の墓の大幅な工事で別の所に移されたがまだある?と聞いた気がしていた(聖酒造7代目当主)ので確かめるために今回尋ねた。
寺の受付で聞いた所では、今は当該場所にはないし碑の存在についても知らないが、以前有ったのであれば別の所にあるはずであるとのことであった。見たいと申し出ると、部外者には見せられない場所にあり、他にも多くの碑が片付けられていて山積みになっていることもあるので探すのにも探せないと言われた。結局風樹碑の実物は見つけられなかった。その代わり赤穂浪士の墓は境内の中に大きく整備されていて外国人も含めて多くの訪問者がいて観光場所化していた。尚大石内蔵助の像は東を睨んでいると説明書きにあるが南を向いていますねと余分なちゃちを入れてきた。
左部蘇和は父の三岳(左部善兵衛寛信の俳号)に連れられて上州奈良村より江戸に遊び俳諧の素養を身に着けていて江戸にて詠んだ歌の碑という。江戸時代は泉岳寺の前には品川の海が拡がっていたという「春風や空に消えゆく舟のみち」。
風樹碑はかつて泉岳寺の山門手前右奥にあったという。また別資料に依れば「義士300年祭のための境内整備で撤去して一般檀家墓地に移した・・・勝手に処分することなど絶対ありません・・・」とのことである。現在は大石内蔵助の巨大な像が経っていたがその奥の方に建ってあったという。
<a:「今井そわ女句碑を尋ねて」丸山知良著『群馬歴史散歩』102号1990年9月
b:左部蘇和(今井蘇和)の泉岳寺の歌碑について https://ku-wab.asablo.jp/blog/2025/09/11/9802319 。
c:泉岳寺の今井そわ女の句碑はどこへ?2024年04月23日七代目蔵元日記 https://blog.goo.ne.jp/denchan1630/e/94a983c4a6913152111bfa7afce2c1ec 。>
左部蘇和(今井蘇和)の泉岳寺の歌碑について ― 2025年09月11日
左部蘇和(今井蘇和)の泉岳寺の歌碑について
今井善一郎著『炉辺郷談』の復刻版が古本屋で手に入った。初版数が少なく再版希望が多かったための再発行と言う。発行は昭和50年で発行者は北橘村教育委員会(初版は昭和36年)。
左部蘇和(1830-1891)(左部善兵衛寛信俳号三岳の長女で下箱田村今井善兵衛兼明に嫁し今井蘇和となる)の歌碑「風樹碑」 が高輪の泉岳寺にある事を「そわ女三吟」として記している。ここでは善六郎と七次郎を生んだと書かれている。著者の善一郎は今井善兵衛兼明の曾孫と言っている。七次郎は父に無断で東京へ出奔して費用の工面に母の蘇和が父との間で苦労したというが、父も内心お金の心配をしていたことが後に手帳を見て分かったという。蘇和の三句が載っている。
手元の資料では、今井善兵衛兼明と蘇和の子は善六と善平となっているが善六は善六郎で後継の今井善兵衛兼直と思われるが七次郎については記録がないので善平の事か?不明。善兵衛兼直の次男今井恭次郎には館林正田文右衛門の娘が嫁している。左部彦次郎の妻堀越ゆわは正田家の縁戚と娘の大場美夜子は詩集の中で記している。左部善兵衛寛信の兄の佐部斧次良 は初代左部宇作の父でありその初代宇作は左部彦次郎の祖父である。巡り合わせの妙である。
<そわ女三吟>
・春風や空に消えゆく舟のみち(泉岳寺歌碑[風樹碑] ・・左部氏名蘇和子上野利根郡奈良村人左部善兵衛女也善兵衛名寛信号三岳・・)
・飛ぶ蛍 押へてやみのまさりけり
・朝顔や浮世の夢も花こヽろ (辞世の句という)
<div class="msg-pict"><a href="https://ku-wab.asablo.jp/blog/imgview/2025/09/11/7145b5.jpg.html"
target="_blank"
onClick="return asablo.expandimage(this,1622,1021,'https://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2025/09/11/7145b5.jpg')"><img src="https://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2025/09/11/7145b4.jpg" alt="『炉辺郷談』の表紙と奥付き" title="『炉辺郷談』の表紙と奥付き" width="300" height="188"></a></div>
(2025/9/17追加)
別資料に依れば兼明・蘇和の長男は兼直・幼名善六・大正5年3月歿、次男は兼保・別名七次郎・幼名善平・大正5年11月歿となっていた。
マイルド・サイコパスとはー(私たちの身近にいる人格障害) ― 2025年09月06日
(以前書いてもう少し掘り下げようと思って放置していたファイルに気が付いたので取り敢えず忘備録として載せておく。)
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(2025/6/30)マイルド・サイコパスとは
<私たちの身近にいる人格障害、「マイルド・サイコパス」水谷心療内科 水谷雅信 https://www.dr-mizutani.jp/dr_blog/psychopath/ 。>
このブログはサイコパスに係る診療現場での悩みを具体的に教えてくれている点で勉強になる(サイコパスPsychopathは精神病質者でサイコパシーpsychopathyは精神病質を表すという.。広義では精神病質は人格障害の他に統合失調症やうつ等も含むがここでは狭義の人格障害≒パーソナリティー障害を指しているようだ)。
“ ・・・「相手も人の子だからいつかはわかってもらえる」との切ない期待なのですが、サイコパスには全く伝わりません。サイコパスに対して自分の気持ちや考えを伝えても彼らの「認知的共感」だけが得られるだけで、それをかえって悪用されるばかりで、事態は悪化するばかりになります。ハラスメントやストーカー行為はより巧妙になり悪質化してしまいます。・・・ ” これはカールロジャース「2:7:1の法則」にも通ずることである。大部分のヒトは話せば相手も解るはずと思っているのではないだろうか。でも実際はいくら話しても徒労で理解してもらえないことはあり、その点で成程と思う。
でも待てよ、と思った。マイルドと付くと際限なくスペクトラムが広がってしまうリスクがあるし、単なるレッテル貼りに陥ってしまうリスクもあるし、特にステレオタイプの発想をし易いのがヒトなので、そのリスクは大丈夫なのかと逆に思ってしまうのは自分だけであろうか。
医療者としてはまず病気と正常は両極端で次元が異なるということをまず強調しておくべきである。その上での人格障害(サイコパス等)であり神経発達障害(ASD,ADHD,LD等)の捉え方である。特に若者がネガティブなレッテルを自らに貼ることがないように大人は気を配るべきである。
スペクトラムとは正常から極端な異常迄の連続的な捉え方なので、前向きに捉えて特徴を生かそうとポジティブに捉える分には問題ないがネガティブに捉えてしまうととんでもない方向にも行きかねないリスクもある。若者の自殺者が増えてきている現状と無関係ではないと思っている。
専門医視点なので単なるレッテル貼りや差別につながらないで欲しいとの前提でのご意見と思うので念のために調べてみた。このブログではそう言っているようにも思えるけれど、それでも注意しなさいと教えてくれている。医師にとってもそれを見極める能力は基本に備えるべきものなのについつい忘れてしまう。
同じものを見ていても心に映る心象世界は一人ひとり全て皆違うと言ったのは哲学者L.Wittgensteinであるが、「それでも話せば解る筈と思って切ない努力を重ねる」のが心ある普通のヒトである。
大部分はそうだとは思うけれど、そうでない場合も稀に例外があるので、それを見極めなさいと教えてくれている。かつての『他者の靴を履くーアナ―キック・エンパシーのすすめ』(ブレディみかこ著)や高尾美穂Drのカールロジャース「2:7:1の法則」を思い出した。
〇サイコパシー(Psychopathy、精神病質)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%B3%AA 。
〇「精神病質者(サイコパス)とは」 日本医事新報No.4758 (2015年07月04日発行) P.68 https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=3772 。
(広義のサイコパス=精神病質者は人格障害の他に統合失調症やうつ病、双極性障害も含むが、狭義では人格障害≒パーソナリティー障害に限定して使われ易いという。反社会的かどうかについても含む場合と含まない場合があるという。
<なお、神経発達障害(ICD-11及びDSM-5、ASD・ADHD・LDなど)が先天性の脳発達障害と捉えられているのに対して、精神病質は後天性にも生ずるもので、全く違うという。>
ヤブカンゾウ(八重のワスレグサ)が咲いていた。 ― 2025年07月27日
ヤブカンゾウ(八重のワスレグサ)が咲いていた。
遠くで見るとオニユリのような橙色の花が川原近くのママ(土手・叢)に咲いていた。
近寄って調べてみたらこれがヤブカンゾウ(藪萱草)で、別名ワスレグサ(忘れ草)とも言うという(一字違いだが勿忘草ワスレナグサとは全く別物である)。遠景ではニッコウキスゲやオニユリのような色をしていた。
このヤブカンゾウは食べるとおいしいという。離弁花のユリと違って合弁花である。咢はユリもヤブカンゾウもどちらにもないが咢は花弁様にどちらも変化しているという。ヤブカンゾウは一日花と言われ萎んで枯れた花と盛りの花が混在している。ヒガンバナが鱗茎で増えるようにヤブカンゾウも匍匐茎(地下茎)で増えていき種子を作れないので(3倍体のため)、周りの全ての個体はクローン体であるゆえ遺伝的に全て同じものであり、他地域に拡がっているのはヒトの手や洪水等による拡散のためという。
ヤブカンゾウの分類は「新エングラー体系」では旧ユリ科ススキノキ属→ススキノキ科→ツルボラン科ワスレグサ属と変遷し、「APG-Ⅳ体系/2016年」ではツルボラン科ワスレグサ属に分類されているという。新エンゲラー体系は従来からの形態に基づく分類体系で、APG体系はDNA遺伝情報に基づく分類でどちらも変遷してきているがAPG-Ⅳ(2016年)が最新と言う。
ワスレグサ属は一日花で種類が多く3万種以上あると言われ、分類体系も変化していて、ヤブカンゾウの仲間やニッコウキスゲの仲間もワスレグサ属にはいるという(ヤブカンゾウ・ノカンゾウ・ハマカンゾウ・トキワカンゾウ・ニシノハマカンゾウ・ヒメカンゾウ、および、ニッコウキスゲ・ユウスゲ・アサマキスゲ・エゾキスゲ・マンシュウキスゲなど)。 ヤブカンゾウなどのカンゾウ(萱草)はワスレグサとして万葉集にも既に謳われていて、中国原産とされている(定説ではない!)が有史以前より日本に既に帰化して生育していたという。
ワスレグサ属は合弁花で花筒が1-2cm長あるが、これは花冠筒だとされている(素人の自分には花冠筒/花托筒/咢筒の区別ができない)。ニッコウキスゲも同属で花冠筒とネットでは言われていたのでいつか確認してみたい。
各花茎と花との間の1-2cmの部分の所謂花筒は、花被弁との連続性からは花冠筒の特殊型と言えそうだ。合弁花との判断と整合性もある。つつじ等の花冠筒が中空であることから見れば充実性故の特殊型であるが、その特徴に言及したものはネット上では見つけられなかった。
また総状花序で下から上に順に咲いていく無限花序とされている(有限花序の散形花序という意見もある?)。自分がみた花も下方から萎んで行くので無限花序に見えた。蓮の花の托筒は定説のようだが一般的な托筒とは全く違うように見える。リンゴやイチゴの果実も花托が変化したものと言う。
落花は花筒と花茎の間で起こる。
参考にユリの花と比較してみた。































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