中学生日記 ”いじめ” について ― 2024年11月13日
いじめ、について
いじめは無くならないだろうと、これまで何となく思っていたけれど、下記番組で改めて考えさせられた。自分が死んで相手に復讐するという。復讐の仕方にこんな考え方もあるのかとも思った。
やられたらやり返して良い、但し弱いものいじめは絶対ダメ、強い相手なら倍返しでもいいんだ、と冗談半分で学童に行きたがらないという孫に言ったばかりだった。
このドラマは実際の中学生の意見を取り入れて素人の中学生が演じて作ったものだという。
( NHK総合テレビ、時をかけるテレビ〜今こそ見たい!この1本〜中学生日記 最終回スペシャル“命”初回放送日:2024年11月1日 https://www.nhk.jp/p/tokikaketv/ts/WQGK99QWJZ/episode/te/9P6X47MYM8/ 。 )
自分の子供の頃もいじめられたりいじめたりはよくあったが、自分は気が強かったためかそれ以上にはならなかった。周りのたった一言で自分のいじめに気付いたり自分のささやかな歯向いでいじめられなくなったりは自分にもあった。数少ない尊敬している先生に遠くから誰に言うともなくただ一言低い声で“いじめるんじゃねえ”と笑っていた傍観者たちにいったことが自分に跳ね返り傷付いたことも未だに覚えている。大学時代も悪意を感じ、片腕はくれてやるがタダではやられないぞと必死の覚悟で対峙したこともあったが不思議なもので自分が痛いときは相手も痛いようで、わだかまりが却って消えた経験もした。
しかし子供の頃を思い返してみると、反抗しない子・何をされても歯向かわない子が確かにいた。少しでも歯向かえばいじめに陥らないのに、と思いながら傍観していても、歯向かう牙が全くない心優しすぎる子も確かにいた。そしていじめた側もいじめていることさえ気付かない。気付かないふりをしていると言った方が良いのかもしれない。諦めや無力感に陥りそれにさえ気付かない「カマス理論」というものがあるが、まさにそれである。
抑々、本当につらいことなど子供でも話さない、と大人は思っていた方が良い、それが子供の世界だ。子供には子供の世界があり、大人に言いつけるなど卑怯といじめの正当な理由に逆にさえなる、自分を振り返ってみてもそう思う。いじめ相手に迎合したり、阿ねたり、傍観者になったりしていたこともある、自分がいじめられないための自己防衛でもあったと思う。思い返せば恥ずかしいが自分にも子供の頃あった。自分の子供の頃のような人間は社会の中で7割を占める。それは大人も同じだ。その場の空気で右にも左にも行く。そしてその7割が社会の空気づくりをして社会の流れさえ決める。民主主義と言えどもその罠からは抜け出し難い。それは人間のさがだ。意識して自己コントロールしなければ当然流されてしまう。7:2:1の法則は社会の様々な場面で言われる経験則であるが、社会のあらゆる分類を説明する社会の摂理と言っても良い。言い換えれば日和見者である。(7が8になったり6になったりするが7:2:1も2:2:6も2:8も4:6も見掛けの違いはあっても基本理念は同じである)。そもそも自分の描くイメージは自分以外には分からないのであるが(L.Wittgenstein)、それを同じイメージであると他人が思い込むこと自体が間違いなのである。
ロミンガーの法則(人材育成の法則7:2:1)、カールロジャースの法則(好意の法則7:2:1)、学習の法則、パレートの法則(ばらつきの法則2:8)、働きアリの法則(2:2:6)、
(2021年11月01日高尾美穂、カール・ロジャースの2:7:1の法則について http://ku-wab.asablo.jp/blog/2021/11/01/9436660 。)など、みな同じ考え方である。
いじめは無くならないだろうと、これまで何となく思っていたけれど、下記番組で改めて考えさせられた。自分が死んで相手に復讐するという。復讐の仕方にこんな考え方もあるのかとも思った。
やられたらやり返して良い、但し弱いものいじめは絶対ダメ、強い相手なら倍返しでもいいんだ、と冗談半分で学童に行きたがらないという孫に言ったばかりだった。
このドラマは実際の中学生の意見を取り入れて素人の中学生が演じて作ったものだという。
( NHK総合テレビ、時をかけるテレビ〜今こそ見たい!この1本〜中学生日記 最終回スペシャル“命”初回放送日:2024年11月1日 https://www.nhk.jp/p/tokikaketv/ts/WQGK99QWJZ/episode/te/9P6X47MYM8/ 。 )
自分の子供の頃もいじめられたりいじめたりはよくあったが、自分は気が強かったためかそれ以上にはならなかった。周りのたった一言で自分のいじめに気付いたり自分のささやかな歯向いでいじめられなくなったりは自分にもあった。数少ない尊敬している先生に遠くから誰に言うともなくただ一言低い声で“いじめるんじゃねえ”と笑っていた傍観者たちにいったことが自分に跳ね返り傷付いたことも未だに覚えている。大学時代も悪意を感じ、片腕はくれてやるがタダではやられないぞと必死の覚悟で対峙したこともあったが不思議なもので自分が痛いときは相手も痛いようで、わだかまりが却って消えた経験もした。
しかし子供の頃を思い返してみると、反抗しない子・何をされても歯向かわない子が確かにいた。少しでも歯向かえばいじめに陥らないのに、と思いながら傍観していても、歯向かう牙が全くない心優しすぎる子も確かにいた。そしていじめた側もいじめていることさえ気付かない。気付かないふりをしていると言った方が良いのかもしれない。諦めや無力感に陥りそれにさえ気付かない「カマス理論」というものがあるが、まさにそれである。
抑々、本当につらいことなど子供でも話さない、と大人は思っていた方が良い、それが子供の世界だ。子供には子供の世界があり、大人に言いつけるなど卑怯といじめの正当な理由に逆にさえなる、自分を振り返ってみてもそう思う。いじめ相手に迎合したり、阿ねたり、傍観者になったりしていたこともある、自分がいじめられないための自己防衛でもあったと思う。思い返せば恥ずかしいが自分にも子供の頃あった。自分の子供の頃のような人間は社会の中で7割を占める。それは大人も同じだ。その場の空気で右にも左にも行く。そしてその7割が社会の空気づくりをして社会の流れさえ決める。民主主義と言えどもその罠からは抜け出し難い。それは人間のさがだ。意識して自己コントロールしなければ当然流されてしまう。7:2:1の法則は社会の様々な場面で言われる経験則であるが、社会のあらゆる分類を説明する社会の摂理と言っても良い。言い換えれば日和見者である。(7が8になったり6になったりするが7:2:1も2:2:6も2:8も4:6も見掛けの違いはあっても基本理念は同じである)。そもそも自分の描くイメージは自分以外には分からないのであるが(L.Wittgenstein)、それを同じイメージであると他人が思い込むこと自体が間違いなのである。
ロミンガーの法則(人材育成の法則7:2:1)、カールロジャースの法則(好意の法則7:2:1)、学習の法則、パレートの法則(ばらつきの法則2:8)、働きアリの法則(2:2:6)、
(2021年11月01日高尾美穂、カール・ロジャースの2:7:1の法則について http://ku-wab.asablo.jp/blog/2021/11/01/9436660 。)など、みな同じ考え方である。
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