朝ドラ「ブギウギ」 ― 2024年04月03日
「ブギウギ」最終回 「おわり」表記なし「機会があればスピンオフも」2024/3/29 YAHOO!Japanニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/2b9ee820310bcc3021a7346081e88bd2ab7bbeb4
朝ドラ「ブギウギ」。楽しかった、わくわくした、嬉しかった、毎回待ち遠しかった。
2024/4/7 追加:
笠置シヅ子について知りたくて下記を観た。そしたら江利チエミも淡谷のり子の人生もおまけに垣間見られた。皆それぞれの生きざまに感動させられた。もう一度見たいと思って調べたが再放送はないらしい。
<BS朝日4K(ザ・偉人伝 江利チエミ・笠置シヅ子・淡谷のり子 ~人生を変えた歌~【再放送】2024年4月6日(土)よる9:00~10:54) https://www.bs-asahi.co.jp/the_ijinden/ 。>
朝ドラ「ブギウギ」。楽しかった、わくわくした、嬉しかった、毎回待ち遠しかった。
2024/4/7 追加:
笠置シヅ子について知りたくて下記を観た。そしたら江利チエミも淡谷のり子の人生もおまけに垣間見られた。皆それぞれの生きざまに感動させられた。もう一度見たいと思って調べたが再放送はないらしい。
<BS朝日4K(ザ・偉人伝 江利チエミ・笠置シヅ子・淡谷のり子 ~人生を変えた歌~【再放送】2024年4月6日(土)よる9:00~10:54) https://www.bs-asahi.co.jp/the_ijinden/ 。>
NHK+で「旧約聖書 滅亡の街の真実」を見た。 ― 2024年04月15日
隕石の空中爆発で古代の街が一瞬で消滅し、その威力は核爆発以上だったという。
気になった番組「旧約聖書 滅亡の街の真実」の録画しておいたものをNHK+で見た。
世界各地で戦争や憎しみの連鎖が頻発する中で、それを忘れさせる素晴らしいドキュメンタリーだった。
紀元前1650年頃、エジプトではピラミッド築造が終焉を迎えて異民族王朝が出来た頃に、隕石爆発で瞬時に滅んだヨルダンの古代遺跡についてだった。
考古学者・退職エンジニア・地球物理学者・宇宙物理学者等のコラボレーションにより明らかになったことは、旧約聖書にあるソドムの街の突然の消滅は隕石の空中爆発によって生じたもので神話ではなく歴史記録の最古のものではないかという。
追記(訂正):この頃のエジプトはピラミッド築造も終焉を迎えて中王国が滅びておりアジア遊牧民の異民族王朝ができた頃である。約100年後に再統一されて新王国時代に入ったがツタンカーメン王より約300年前に遡る頃である。この隕石の空中爆発のエジプト側から見た記録もいずれ出て来て史実がより確認されてくると思われる。
①nature >scientific reports >articles >article > >Open access Published: 20 September 2021. A Tunguska sized airburst destroyed Tall el-Hammam a Middle Bronze Age city in the Jordan Valley near the Dead Sea https://www.nature.com/articles/s41598-021-97778-3 。
②NHKテレビ総合 FRONTIERSその先に見える世界「旧約聖書 滅亡の街の真実」 初回放送日: 2024年4月4日 https://www.nhk.jp/p/frontiers/ts/PM34JL2L14/episode/te/7KLZZVGMRM/ 。
気になった番組「旧約聖書 滅亡の街の真実」の録画しておいたものをNHK+で見た。
世界各地で戦争や憎しみの連鎖が頻発する中で、それを忘れさせる素晴らしいドキュメンタリーだった。
紀元前1650年頃、エジプトではピラミッド築造が終焉を迎えて異民族王朝が出来た頃に、隕石爆発で瞬時に滅んだヨルダンの古代遺跡についてだった。
考古学者・退職エンジニア・地球物理学者・宇宙物理学者等のコラボレーションにより明らかになったことは、旧約聖書にあるソドムの街の突然の消滅は隕石の空中爆発によって生じたもので神話ではなく歴史記録の最古のものではないかという。
追記(訂正):この頃のエジプトはピラミッド築造も終焉を迎えて中王国が滅びておりアジア遊牧民の異民族王朝ができた頃である。約100年後に再統一されて新王国時代に入ったがツタンカーメン王より約300年前に遡る頃である。この隕石の空中爆発のエジプト側から見た記録もいずれ出て来て史実がより確認されてくると思われる。
①nature >scientific reports >articles >article > >Open access Published: 20 September 2021. A Tunguska sized airburst destroyed Tall el-Hammam a Middle Bronze Age city in the Jordan Valley near the Dead Sea https://www.nature.com/articles/s41598-021-97778-3 。
②NHKテレビ総合 FRONTIERSその先に見える世界「旧約聖書 滅亡の街の真実」 初回放送日: 2024年4月4日 https://www.nhk.jp/p/frontiers/ts/PM34JL2L14/episode/te/7KLZZVGMRM/ 。
日本呼吸器学会WEB視聴してー ① ― 2024年04月20日
2024/4/19 アサブロ
日本呼吸器学会WEB視聴してー ①
<第64回日本呼吸器学会学術講演会2024/4/5-7。特別報告6 ダイバーシティ&インクルージョン:日本呼吸器学会と呼吸器科医の未来に向けて(将来計画委員会・DEI委員会)>をWEB参加で視聴した
最初の演者の多賀谷悦子教授(東京女子医大)の講演は面白かった。自分よりも20年以上若い世代であるが、日々行っていたことは似たようなものだったので親しみも持てた。
日々の多忙渦中では喜怒哀楽も辛さもその都度あったが、自分を見失わないように、溺れないように、がむしゃらに、一に勉強二に勉強、三・四が無くて五に勉強と何でも勉強勉強で知識欲はあったし体力もあった。夜に研究室の机の上で寝てそのまま出勤も平気だった。周りの仲間も同じように徹夜明けで目を赤くしながら外来診療するのも稀ではなかった。患者はいつ来るか分からず夜討ち朝駆けが当たり前だった。辛いなんという感情は捨てていた。目の前に出てくるものに制限を設けずあるがままに何でも受け入れたり聞いたり真似したりしていたせいか最も効率的な学習も遊びも周りからの耳学問・良くも悪くも他山の石であった。患者には感謝されるし充実感もあった。消化器検査はレントゲンも内視鏡もスクリーニング検査は内科の基本との当然の認識であったし、呼吸器内視鏡は当たり前で右心カテやペースメーカーも自分で入れていた。一時ペースメーカー留置でパーマネントへのつなぎであるが随分助かった患者もいたと自負している。肝臓や腎臓等同じ大事な臓器でも数分一休みしても大丈夫な臓器と違って心臓は数分止まれば永遠に止まることにつながるという違いがあるからである。診察は患者が診察室に入る様子観察から始まる、君たち専門馬鹿にはなるなよとは恩師の言葉で、目指すは富士山のような高い専門性と幅広い総合性であり小さな築山ではなかった。
次から次へと新しい疾患に出会うのでゆっくり振り返える余裕はなかったが気持ちは充実していた。おかげで家族には迷惑をかけた。我が幼子が脚に行かないでとまわりつき笑顔で突き放して出勤するのは当たり前で勲章とされた。後年、あの時はお父さんに捨てられたと本当に思った、とそれとなく言われた時はそうだったのかと内心愕然とした。でもその位やらないとやるべき役割は果たせなかったと今でも思う。おかげでこてんと何度か倒れても幸いまた復活して今まだ生きている。大戦前なら何度か死んでいると思っているので運が良かった。上記の演者も嫌だと思っても仕事にリミテーションを設けなかったのが後年役に立ったと言っていたのが印象的であった。
今回の呼吸器学会総会で男女共同参画委員会がDEI委員会に名称変更されたことが報告された。名称変更した理由・この名称になった理由について調べてみたが下記①の説明が理解しやすいようだ。
日本では1999年に「男女共同参画社会基本法」が公布・即施行されている。それを受けて多くの学会により男女共同参画委員会等が学会内に作られるようになっていた。そして今回DEI委員会に名称変更されたことになる。
人種差別や男女差別・障碍者差別等は良くない、多様性の受容は社会の存続に必須等と言われるようになって久しいが、現実社会では意識の奥に浸み込んだ無意識の差別は今でも相変わらず無くならない。男女共同参画→DI→DEI と言葉が変わってきているが、かつて医療事故防止委員会→医療安全委員会→医療安全管理委員会(平成10年代)に変わったのも同じような意識変遷の流れであろう。
DEI(DE&I, diversity equity and inclusion)とequity(公平・公正)が加わったのはアメリカが始まりといい、新自由主義やポピュリズムが受け入れられるようになりその後トランプ大統領も当選してあからさまな我田引水が抵抗もなく当たり前になり、Black-lives-Matter(黒人の命は大切だ)等の様々な事件・問題も社会に出てきた以降で、平等という概念の違和感に変わってequityが新規に追加されたのは最近で、未だ4-5年しか経っていないようだ(②)。
そして日本ではLGBT法の成立は昨年で、出来たばかりである。この法律は理念法でLGBTに限らず子供・障碍者・弱者も含むあらゆるマイノリティーの人権を守ることが目的という(③)。
貧困や格差は世代を超えて受け継がれる等と言われて既に久しいが貧困も格差も相変わらず無くならない。かつて1億総中流と言われ世界一安全な国と言われた日本も、今やあらゆる格差が拡がり犯罪多発国に陥っている。将に衣食足りて礼節を知る、である。
今や貧富格差等の格差は益々拡大しかつてノーベル賞も与えられた経済理論のtricle-downは起こらず、優位は自分の実力で勝ち取ったものと勘違いする人の心も変わらない。男女平等とも言いながら同権不平等の実態は変えようもない。そこで出てきたのがequityという言葉のようだ。確かにスタートが違えば比較できないしゴルフのハンディキャップは当たり前に皆受け入れられている。かつて先輩に院長の地位は本人の能力に与えられたものでなく自分の背中に背負う看板なので自分が偉くなったと勘違いしないようにとの心構えを送られたことがあったが、今思えば有難い先輩だった。
①【DE&I】DE&IのEとは何か?いつ頃から、なぜ加わったのか? Takahito Sasaki(佐々木孝仁) 2023年5月21日 https://note.com/takahitosasaki83/n/ndc81307fe2ed 。
②LGBT法(性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律)2023年6月23日公布即日施行 https://www8.cao.go.jp/rikaizoshin/law/pdf/jobun.pdf 。
③内閣府「性的指向・ジェンダーアイデンティティ理解増進」 https://www8.cao.go.jp/rikaizoshin/index.html#law 。
日本呼吸器学会WEB視聴してー ①
<第64回日本呼吸器学会学術講演会2024/4/5-7。特別報告6 ダイバーシティ&インクルージョン:日本呼吸器学会と呼吸器科医の未来に向けて(将来計画委員会・DEI委員会)>をWEB参加で視聴した
最初の演者の多賀谷悦子教授(東京女子医大)の講演は面白かった。自分よりも20年以上若い世代であるが、日々行っていたことは似たようなものだったので親しみも持てた。
日々の多忙渦中では喜怒哀楽も辛さもその都度あったが、自分を見失わないように、溺れないように、がむしゃらに、一に勉強二に勉強、三・四が無くて五に勉強と何でも勉強勉強で知識欲はあったし体力もあった。夜に研究室の机の上で寝てそのまま出勤も平気だった。周りの仲間も同じように徹夜明けで目を赤くしながら外来診療するのも稀ではなかった。患者はいつ来るか分からず夜討ち朝駆けが当たり前だった。辛いなんという感情は捨てていた。目の前に出てくるものに制限を設けずあるがままに何でも受け入れたり聞いたり真似したりしていたせいか最も効率的な学習も遊びも周りからの耳学問・良くも悪くも他山の石であった。患者には感謝されるし充実感もあった。消化器検査はレントゲンも内視鏡もスクリーニング検査は内科の基本との当然の認識であったし、呼吸器内視鏡は当たり前で右心カテやペースメーカーも自分で入れていた。一時ペースメーカー留置でパーマネントへのつなぎであるが随分助かった患者もいたと自負している。肝臓や腎臓等同じ大事な臓器でも数分一休みしても大丈夫な臓器と違って心臓は数分止まれば永遠に止まることにつながるという違いがあるからである。診察は患者が診察室に入る様子観察から始まる、君たち専門馬鹿にはなるなよとは恩師の言葉で、目指すは富士山のような高い専門性と幅広い総合性であり小さな築山ではなかった。
次から次へと新しい疾患に出会うのでゆっくり振り返える余裕はなかったが気持ちは充実していた。おかげで家族には迷惑をかけた。我が幼子が脚に行かないでとまわりつき笑顔で突き放して出勤するのは当たり前で勲章とされた。後年、あの時はお父さんに捨てられたと本当に思った、とそれとなく言われた時はそうだったのかと内心愕然とした。でもその位やらないとやるべき役割は果たせなかったと今でも思う。おかげでこてんと何度か倒れても幸いまた復活して今まだ生きている。大戦前なら何度か死んでいると思っているので運が良かった。上記の演者も嫌だと思っても仕事にリミテーションを設けなかったのが後年役に立ったと言っていたのが印象的であった。
今回の呼吸器学会総会で男女共同参画委員会がDEI委員会に名称変更されたことが報告された。名称変更した理由・この名称になった理由について調べてみたが下記①の説明が理解しやすいようだ。
日本では1999年に「男女共同参画社会基本法」が公布・即施行されている。それを受けて多くの学会により男女共同参画委員会等が学会内に作られるようになっていた。そして今回DEI委員会に名称変更されたことになる。
人種差別や男女差別・障碍者差別等は良くない、多様性の受容は社会の存続に必須等と言われるようになって久しいが、現実社会では意識の奥に浸み込んだ無意識の差別は今でも相変わらず無くならない。男女共同参画→DI→DEI と言葉が変わってきているが、かつて医療事故防止委員会→医療安全委員会→医療安全管理委員会(平成10年代)に変わったのも同じような意識変遷の流れであろう。
DEI(DE&I, diversity equity and inclusion)とequity(公平・公正)が加わったのはアメリカが始まりといい、新自由主義やポピュリズムが受け入れられるようになりその後トランプ大統領も当選してあからさまな我田引水が抵抗もなく当たり前になり、Black-lives-Matter(黒人の命は大切だ)等の様々な事件・問題も社会に出てきた以降で、平等という概念の違和感に変わってequityが新規に追加されたのは最近で、未だ4-5年しか経っていないようだ(②)。
そして日本ではLGBT法の成立は昨年で、出来たばかりである。この法律は理念法でLGBTに限らず子供・障碍者・弱者も含むあらゆるマイノリティーの人権を守ることが目的という(③)。
貧困や格差は世代を超えて受け継がれる等と言われて既に久しいが貧困も格差も相変わらず無くならない。かつて1億総中流と言われ世界一安全な国と言われた日本も、今やあらゆる格差が拡がり犯罪多発国に陥っている。将に衣食足りて礼節を知る、である。
今や貧富格差等の格差は益々拡大しかつてノーベル賞も与えられた経済理論のtricle-downは起こらず、優位は自分の実力で勝ち取ったものと勘違いする人の心も変わらない。男女平等とも言いながら同権不平等の実態は変えようもない。そこで出てきたのがequityという言葉のようだ。確かにスタートが違えば比較できないしゴルフのハンディキャップは当たり前に皆受け入れられている。かつて先輩に院長の地位は本人の能力に与えられたものでなく自分の背中に背負う看板なので自分が偉くなったと勘違いしないようにとの心構えを送られたことがあったが、今思えば有難い先輩だった。
①【DE&I】DE&IのEとは何か?いつ頃から、なぜ加わったのか? Takahito Sasaki(佐々木孝仁) 2023年5月21日 https://note.com/takahitosasaki83/n/ndc81307fe2ed 。
②LGBT法(性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律)2023年6月23日公布即日施行 https://www8.cao.go.jp/rikaizoshin/law/pdf/jobun.pdf 。
③内閣府「性的指向・ジェンダーアイデンティティ理解増進」 https://www8.cao.go.jp/rikaizoshin/index.html#law 。
日本呼吸器学会WEB視聴してー ② ― 2024年04月25日
日本呼吸器学会WEB視聴してー ②
<第64回日本呼吸器学会学術講演会2024/4/5-7。会長特別企画7 中枢気道粘液栓がもたらす閉塞性肺疾患病態のパラダイムシフト> をWEB参加で視聴した
はじめボーッと聞いていたが、5人目の小熊剛教授(東海大学)の講演にはっとした。ABPA/ABPMの気道粘液栓のCT値は70と高くHAM(high attenuation mucus高吸収粘液栓)と名付けていた。血液(≒45)はおろか筋組織(≒60位、水=0,骨=1000,空気=-1000,)より高いというのである。ABPA/ABPMという名称も某学会でABPA以外をABPMと定義したので表現をABPMではなくABPA/ABPMとしたとのことであった(これまではABPAはABPMの一部と考える言い方が多かったと思う)。言葉は人によって定義やイメージが微妙に違うことが多く、北岡裕子教授(東京農工大学)が“中枢気道/末梢気道の言葉のイメージが使う人によって違っている印象を受けるがどう考えるか”との質問があり、司会者が戸惑う中で聴衆席から桑平一郎先生?が答えていたのが面白かった。北岡教授は拘りの強い方で若い頃より皆から距離を置かれていたことを思い出した。上記の場合は北岡教授の問いかけに賛成と言っていてその謂れは自分も別の所で言及しているので見てほしいと言っていた(オンライン開催4 Legendから学ぶ呼吸器病学のみらい3 末梢気道病変のみかた~日常診療に活かす呼吸機能検査からのアプローチ~、桑平一郎(総合東京病院呼吸器疾患センター))。これによれば末梢気道という言葉は1968年Macklemらが外径2mmのカテをヒト肺の気道に入れて内圧測定したのに由来し、以来内径2㎜φ以下を末梢気道という表現を使うようになったのが初めとのことである。末梢気道/中枢気道、上気道/下気道等、微妙に使い方が人によって違うこれまでの違和感についてはこの質問が留飲を下げてくれた。呼気ガス測定FINO→FiNOとの慣習表現も然りである(PaO2とPACO2の違いは受け入れられており大文字小文字の違いを区別すべきと今でも思っている。東北大滝島教授らの頃決まった?)。また桑平Drは閉塞気道の末梢がintactと考えると実験上矛盾が出てくるので単一指標のみで病態を判断するのは危険であるとも言って逆に質問もしていたので成程と思った。
いくつかの新鮮表現にも教えられた。ABPA/ABPMのHAMが吸引除去し難いのは腐生付着ゆえだと表現していた。腐生という言葉には、成程と思った。気道粘液栓は昔からmucoid impaction等と表現されていたがその性質が様々であることは臨床現場では良く経験しCT登場で気管支内小塊も見つかるようになってからは特にそうだった。簡単に喀出で消えるものから気管支鏡下で吸引圧を強くしても取り難いものまで様々だった。昔、喘息発作死を経験したDrから“緊張性気胸はないにも係らずアンビュ揉んでも空気が入っていかなかったことが救命処置中にありどうにもならなかったと仲間が言っていたことを、そんなことがあるのかと思って聞いていたことがあった。上述の桑平先生も言っていたことに関連するが、気管支鏡観察で見える範囲には粘液栓が見えなくても末梢気道に粘液栓がびっしり詰まっていることのある症例を自分でも実際経験したことがあった。PaO2/PaCO2比がcross over pointを超え、挿管、レスピレータ管理に移ったが気道内圧が高過ぎ数回に分けて気管支洗浄を行ったことがあった。BALと同じ要領である(正確には気管支肺胞洗浄か?)。救命できたがそのBAL液は特異なものであった。糸くず状の細かいペレット状小塊が無数浮遊して混濁した洗浄液が採れた。顕微鏡で見ると好酸球やSharcot-Leyden結晶の塊だった(0.5x10mm位のペレット状?)、換言すれば好酸球の膿の小塊が無数に回収された。当時そのような報告は見当たらず貴重なプレパラートでいつか症例報告をしなければと思い保存しておいた積りではあったが退職時に捨ててしまったようで探したが見つからなかった。最近は難吸収性の吸入ステロイドとLABA合剤等で喘息死は激減したのであのような症例はもう見られなくなったようだ。好酸球ペレット小塊に注目した報告はその後もなく世界に一つだったかもしれない標本と思っているほど貴重なプレパラートだった(H.2年の症例で論文化はしなかったが症例報告はした?第5回日本アレルギー学会春季臨床集会1993年5月「気管支洗浄により救命し得た気管支喘息重責発作の症例」)。この患者はその後再び重責発作で或る大病院に救急搬送されて内科からICUに移り全麻の麻酔科管理になったが改善不能とのことで内科に戻された。対応に困った主治医が既往歴を知り当院へ連絡してくれて気管支洗浄処置の応援に行ったというおまけがついた。自分の在職中は元気に存命中であったがあの時は地獄を見てきたと本人は後に述懐していた。その後、簡単な論文化がされたが残念ながらそれには好酸球ペレット小塊への注目はなく光顕像は載っていなかった※※(アレルギーの臨床14(1)51-53,1994.)。この好酸球ペレット小塊の所見は末梢細気管支レベルが広汎に閉塞していたことを如実に示しており、見方を変えれば好酸球膿で細気管支レベルが広汎に閉塞されていたための気道内圧上昇であり、細気管支性の窒息病態と言っても良いとも思う。
(※※追記:正確には、糸くず状の細かいペレット状小塊が判る弱拡大写真を示していなかったというべきだった。そのイメージ像はペレット様=キャスト状=細円柱状とも言い換えられる。)
上記の糸くず状の好酸球ペレット小塊は今流にいえばEETosisである。一般的に言われる膿は好中球の死骸であるが、単なる壊死necrosisやアポトーシスapoptosisとは言わず今ではNETosisというようだ(①②)。②によればミトコンドリアDNAが吐き出されEETsが生ずるという考え方があると言っているが之には、はて?と言わざるを得ない(今放映中の朝ドラ虎に翼,寅ちゃんの口癖)。ミトコンドリアDNAと言えばoncocyte(本来のmitochondria-rich-cell、一般的には腫瘍細胞一般とも誤解釈されている?③)の意義・機序は未だに不明だからである。スエヒロタケもHAM+という。スエヒロタケのABPMも1例経験しているが、培養期限を過ぎて放置しておいた培地から生えてきたというので記憶に残っている(これも学会発表のみ行っていた。「スエヒロタケによるアレルギー性気管支肺真菌症の一例」第594回日本内科学会関東地方会,2013,2.8.)
末梢気管支が2mmφ以遠を言うのは納得するとしてそのあたりから気管支軟骨も消失するという別の演者からの答えがあり最近のChestでも報告されたと言ったのには、これにもはてっと言わざるを得なかった。日本人の業績には目をくれず西欧のデータのみ重きを置く傾向があると感ずるのは最近のCOVID-19流行初期のマスクすべきか否かにも表れていたことでもあるが、2mmφあたりから軟骨が消失するという意見にはその方面の専門家である北岡先生が意見を言うと期待したが発言はなかった。
かつて日本人の名著と言われた原著「Roentgenologic Anatomy of the Lung」Hideaki Yamashita,M.D. 1978 by IGAKU-SHOIN Ltd Tokyo /New York.では軟骨がなくなる末梢気管支径は0.5mmφ前後と言っていたはずである(写真:絶版になって今は手に入らない、残念である)。気管支径(細気管支径)は病態や吸気位・呼気位で変動するので測定方法によって異なるのは承知としてもそれに言及せずして2mmφが軟骨消失レベルと言い切るのには、はてっと言わざるを得ない。もっとも気管支軟骨があっても無くても2mmφ以遠は全周性※ではなく散在性島状と思われるので気管支径変動を制限するわけではないのは勿論である。もっともEEP(equal pressure point)は病態によって動くので、2㎜φ細径気管支鏡を使って実観察しているDrには是非教えて頂きたいところである。 (※正確には馬蹄形)
(形態学的視点ではなく、軟骨の存在が細気管支レベルの生理学的機能に影響してくる付近が2mmφ付近であろうと言うのならばそれはそうかもしれない)。
①NETosisの説明:東北大学 加齢医学研究所 加齢制御研究部門 基礎加齢研究分野(堀内研究室) https://www2.idac.tohoku.ac.jp/dep/mcb/study-nets.html 。
②EETosisの説明:ア レ ル ギ ー 用 語 解 説シリーズ,EETs/EETosis,アレルギー69(4)271―272,2020. https://www.jstage.jst.go.jp/article/arerugi/69/4/69_271/_pdf 。
③オンコサイトoncocyteの説明:「オンコサイトの糸粒体の電子顕微鏡的観察」片岡隆嗣,耳鼻咽喉科臨床,Supplement34,pp1-30,1989. https://doi.org/10.5631/jibirinsuppl1986.1989.Supplement34_1 。
< Oncocyteの元来の意,即ち=mitochondria-rich cell,の説明:Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Oncocyte 。即ちtumor cellの意だけではない。Oncocyteは未だに解明点の必要ある細胞である。>
④<写真>
<div class="msg-pict"><a href="https://ku-wab.asablo.jp/blog/imgview/2024/04/25/6bce5b.jpg.html"
target="_blank"
onClick="return asablo.expandimage(this,662,956,'https://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2024/04/25/6bce5b.jpg')"><img src="https://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2024/04/25/6bce5a.jpg" alt="Roentgenologic Anatomy of the Lung by Hideaki YAMASHITA 1978. 1st edition" title="Roentgenologic Anatomy of the Lung by Hideaki YAMASHITA 1978. 1st edition" width="300" height="433"></a></div>
※追加:
かつては、重症喘息と難治性喘息は全く別概念だったが今は区別しなくなった。
難治性喘息診断と治療の手引き〔第2版〕2023(日本呼吸器学会版)および、難治性喘息 診断と治療の手引き2019(日本アレルギー学会版)、のどちらも同じような扱いになった。
「難治性/重症喘息の定義は,指針やガイドラインによってそれぞれに違いがあり,統一されたものはなく,時代における標準治療の違いにより,その定義も少しずつ変遷をとげている・・ATS/ERSガイドラインにも合わせ・・難治性喘息と重症喘息をほぼ同義としている・・(アレルギー73(1)11-13, 2024. ガイドラインのワンポイント解説)」、と暴露している。これを進化としているが、これは退歩と言い換えた方が良いと私は思っている。
確かにICS/LABAの吸入薬等の進歩で難治例は減少しているが無くなったわけではないのにもかかわらず世界の学会等指導者層がその難治例を経験しなくなったことによる同義化としか思えない。そもそも難治性喘息はアドレナリンが著効しないが重症喘息の中には死に至るほどの重症であってもアドレナリンが著効する例がある。難治性喘息ではまず著効はしない。かつてβ-blockade-theoryと言われた由縁である。
可能な限りの治療を行っても数週間以上体動困難な程の喘息症状が続きコントロール困難な喘息と、普段日常生活をほぼ普通に送っていた喘息患者が放置すれば死に至るほどの急激な重症喘息発作に陥る場合とでは治療薬に違いが出ることは、昔はあり今もあるはずである。20数年前までは日本アレルギー学会でも発作強度と頻度の組み合わせで重症度分類していたが現在では発作強度・頻度を同列としてそれと治療度の組み合わせでの重症度になっている。重症度を強度・頻度を含む重症度に変更にしたための違いが重症度分類に別世界を生んだ原因のようだ(GINA global initiative for asthma1993が出たことからの変更か?)。この新しい分類が悪いとは勿論言わないが難治性喘息と重症喘息を同義とするのは治療上の問題が出てくる。それは上記の違い等があるからである。また大部分は強度頻度が相関するにしても、頻度が軽度でも高度の重症強度発作リスクありの相関しない例も有るのである。
気管支洗浄してやっと救命し得た上記例は難治性喘息でもあり重症喘息でもあると言える。急激に悪化して意識消失する程の重症喘息発作でも救命回復後に本人に聞くと手元のハンドネブライザーを口にくわえたまでは覚えているがそれ以降は覚えていないというような重症喘息発作は以前には決して稀ではなかったし、アナフィラキシーとの違いがある事も明らかであった。
<第64回日本呼吸器学会学術講演会2024/4/5-7。会長特別企画7 中枢気道粘液栓がもたらす閉塞性肺疾患病態のパラダイムシフト> をWEB参加で視聴した
はじめボーッと聞いていたが、5人目の小熊剛教授(東海大学)の講演にはっとした。ABPA/ABPMの気道粘液栓のCT値は70と高くHAM(high attenuation mucus高吸収粘液栓)と名付けていた。血液(≒45)はおろか筋組織(≒60位、水=0,骨=1000,空気=-1000,)より高いというのである。ABPA/ABPMという名称も某学会でABPA以外をABPMと定義したので表現をABPMではなくABPA/ABPMとしたとのことであった(これまではABPAはABPMの一部と考える言い方が多かったと思う)。言葉は人によって定義やイメージが微妙に違うことが多く、北岡裕子教授(東京農工大学)が“中枢気道/末梢気道の言葉のイメージが使う人によって違っている印象を受けるがどう考えるか”との質問があり、司会者が戸惑う中で聴衆席から桑平一郎先生?が答えていたのが面白かった。北岡教授は拘りの強い方で若い頃より皆から距離を置かれていたことを思い出した。上記の場合は北岡教授の問いかけに賛成と言っていてその謂れは自分も別の所で言及しているので見てほしいと言っていた(オンライン開催4 Legendから学ぶ呼吸器病学のみらい3 末梢気道病変のみかた~日常診療に活かす呼吸機能検査からのアプローチ~、桑平一郎(総合東京病院呼吸器疾患センター))。これによれば末梢気道という言葉は1968年Macklemらが外径2mmのカテをヒト肺の気道に入れて内圧測定したのに由来し、以来内径2㎜φ以下を末梢気道という表現を使うようになったのが初めとのことである。末梢気道/中枢気道、上気道/下気道等、微妙に使い方が人によって違うこれまでの違和感についてはこの質問が留飲を下げてくれた。呼気ガス測定FINO→FiNOとの慣習表現も然りである(PaO2とPACO2の違いは受け入れられており大文字小文字の違いを区別すべきと今でも思っている。東北大滝島教授らの頃決まった?)。また桑平Drは閉塞気道の末梢がintactと考えると実験上矛盾が出てくるので単一指標のみで病態を判断するのは危険であるとも言って逆に質問もしていたので成程と思った。
いくつかの新鮮表現にも教えられた。ABPA/ABPMのHAMが吸引除去し難いのは腐生付着ゆえだと表現していた。腐生という言葉には、成程と思った。気道粘液栓は昔からmucoid impaction等と表現されていたがその性質が様々であることは臨床現場では良く経験しCT登場で気管支内小塊も見つかるようになってからは特にそうだった。簡単に喀出で消えるものから気管支鏡下で吸引圧を強くしても取り難いものまで様々だった。昔、喘息発作死を経験したDrから“緊張性気胸はないにも係らずアンビュ揉んでも空気が入っていかなかったことが救命処置中にありどうにもならなかったと仲間が言っていたことを、そんなことがあるのかと思って聞いていたことがあった。上述の桑平先生も言っていたことに関連するが、気管支鏡観察で見える範囲には粘液栓が見えなくても末梢気道に粘液栓がびっしり詰まっていることのある症例を自分でも実際経験したことがあった。PaO2/PaCO2比がcross over pointを超え、挿管、レスピレータ管理に移ったが気道内圧が高過ぎ数回に分けて気管支洗浄を行ったことがあった。BALと同じ要領である(正確には気管支肺胞洗浄か?)。救命できたがそのBAL液は特異なものであった。糸くず状の細かいペレット状小塊が無数浮遊して混濁した洗浄液が採れた。顕微鏡で見ると好酸球やSharcot-Leyden結晶の塊だった(0.5x10mm位のペレット状?)、換言すれば好酸球の膿の小塊が無数に回収された。当時そのような報告は見当たらず貴重なプレパラートでいつか症例報告をしなければと思い保存しておいた積りではあったが退職時に捨ててしまったようで探したが見つからなかった。最近は難吸収性の吸入ステロイドとLABA合剤等で喘息死は激減したのであのような症例はもう見られなくなったようだ。好酸球ペレット小塊に注目した報告はその後もなく世界に一つだったかもしれない標本と思っているほど貴重なプレパラートだった(H.2年の症例で論文化はしなかったが症例報告はした?第5回日本アレルギー学会春季臨床集会1993年5月「気管支洗浄により救命し得た気管支喘息重責発作の症例」)。この患者はその後再び重責発作で或る大病院に救急搬送されて内科からICUに移り全麻の麻酔科管理になったが改善不能とのことで内科に戻された。対応に困った主治医が既往歴を知り当院へ連絡してくれて気管支洗浄処置の応援に行ったというおまけがついた。自分の在職中は元気に存命中であったがあの時は地獄を見てきたと本人は後に述懐していた。その後、簡単な論文化がされたが残念ながらそれには好酸球ペレット小塊への注目はなく光顕像は載っていなかった※※(アレルギーの臨床14(1)51-53,1994.)。この好酸球ペレット小塊の所見は末梢細気管支レベルが広汎に閉塞していたことを如実に示しており、見方を変えれば好酸球膿で細気管支レベルが広汎に閉塞されていたための気道内圧上昇であり、細気管支性の窒息病態と言っても良いとも思う。
(※※追記:正確には、糸くず状の細かいペレット状小塊が判る弱拡大写真を示していなかったというべきだった。そのイメージ像はペレット様=キャスト状=細円柱状とも言い換えられる。)
上記の糸くず状の好酸球ペレット小塊は今流にいえばEETosisである。一般的に言われる膿は好中球の死骸であるが、単なる壊死necrosisやアポトーシスapoptosisとは言わず今ではNETosisというようだ(①②)。②によればミトコンドリアDNAが吐き出されEETsが生ずるという考え方があると言っているが之には、はて?と言わざるを得ない(今放映中の朝ドラ虎に翼,寅ちゃんの口癖)。ミトコンドリアDNAと言えばoncocyte(本来のmitochondria-rich-cell、一般的には腫瘍細胞一般とも誤解釈されている?③)の意義・機序は未だに不明だからである。スエヒロタケもHAM+という。スエヒロタケのABPMも1例経験しているが、培養期限を過ぎて放置しておいた培地から生えてきたというので記憶に残っている(これも学会発表のみ行っていた。「スエヒロタケによるアレルギー性気管支肺真菌症の一例」第594回日本内科学会関東地方会,2013,2.8.)
末梢気管支が2mmφ以遠を言うのは納得するとしてそのあたりから気管支軟骨も消失するという別の演者からの答えがあり最近のChestでも報告されたと言ったのには、これにもはてっと言わざるを得なかった。日本人の業績には目をくれず西欧のデータのみ重きを置く傾向があると感ずるのは最近のCOVID-19流行初期のマスクすべきか否かにも表れていたことでもあるが、2mmφあたりから軟骨が消失するという意見にはその方面の専門家である北岡先生が意見を言うと期待したが発言はなかった。
かつて日本人の名著と言われた原著「Roentgenologic Anatomy of the Lung」Hideaki Yamashita,M.D. 1978 by IGAKU-SHOIN Ltd Tokyo /New York.では軟骨がなくなる末梢気管支径は0.5mmφ前後と言っていたはずである(写真:絶版になって今は手に入らない、残念である)。気管支径(細気管支径)は病態や吸気位・呼気位で変動するので測定方法によって異なるのは承知としてもそれに言及せずして2mmφが軟骨消失レベルと言い切るのには、はてっと言わざるを得ない。もっとも気管支軟骨があっても無くても2mmφ以遠は全周性※ではなく散在性島状と思われるので気管支径変動を制限するわけではないのは勿論である。もっともEEP(equal pressure point)は病態によって動くので、2㎜φ細径気管支鏡を使って実観察しているDrには是非教えて頂きたいところである。 (※正確には馬蹄形)
(形態学的視点ではなく、軟骨の存在が細気管支レベルの生理学的機能に影響してくる付近が2mmφ付近であろうと言うのならばそれはそうかもしれない)。
①NETosisの説明:東北大学 加齢医学研究所 加齢制御研究部門 基礎加齢研究分野(堀内研究室) https://www2.idac.tohoku.ac.jp/dep/mcb/study-nets.html 。
②EETosisの説明:ア レ ル ギ ー 用 語 解 説シリーズ,EETs/EETosis,アレルギー69(4)271―272,2020. https://www.jstage.jst.go.jp/article/arerugi/69/4/69_271/_pdf 。
③オンコサイトoncocyteの説明:「オンコサイトの糸粒体の電子顕微鏡的観察」片岡隆嗣,耳鼻咽喉科臨床,Supplement34,pp1-30,1989. https://doi.org/10.5631/jibirinsuppl1986.1989.Supplement34_1 。
< Oncocyteの元来の意,即ち=mitochondria-rich cell,の説明:Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Oncocyte 。即ちtumor cellの意だけではない。Oncocyteは未だに解明点の必要ある細胞である。>
④<写真>
<div class="msg-pict"><a href="https://ku-wab.asablo.jp/blog/imgview/2024/04/25/6bce5b.jpg.html"
target="_blank"
onClick="return asablo.expandimage(this,662,956,'https://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2024/04/25/6bce5b.jpg')"><img src="https://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2024/04/25/6bce5a.jpg" alt="Roentgenologic Anatomy of the Lung by Hideaki YAMASHITA 1978. 1st edition" title="Roentgenologic Anatomy of the Lung by Hideaki YAMASHITA 1978. 1st edition" width="300" height="433"></a></div>
※追加:
かつては、重症喘息と難治性喘息は全く別概念だったが今は区別しなくなった。
難治性喘息診断と治療の手引き〔第2版〕2023(日本呼吸器学会版)および、難治性喘息 診断と治療の手引き2019(日本アレルギー学会版)、のどちらも同じような扱いになった。
「難治性/重症喘息の定義は,指針やガイドラインによってそれぞれに違いがあり,統一されたものはなく,時代における標準治療の違いにより,その定義も少しずつ変遷をとげている・・ATS/ERSガイドラインにも合わせ・・難治性喘息と重症喘息をほぼ同義としている・・(アレルギー73(1)11-13, 2024. ガイドラインのワンポイント解説)」、と暴露している。これを進化としているが、これは退歩と言い換えた方が良いと私は思っている。
確かにICS/LABAの吸入薬等の進歩で難治例は減少しているが無くなったわけではないのにもかかわらず世界の学会等指導者層がその難治例を経験しなくなったことによる同義化としか思えない。そもそも難治性喘息はアドレナリンが著効しないが重症喘息の中には死に至るほどの重症であってもアドレナリンが著効する例がある。難治性喘息ではまず著効はしない。かつてβ-blockade-theoryと言われた由縁である。
可能な限りの治療を行っても数週間以上体動困難な程の喘息症状が続きコントロール困難な喘息と、普段日常生活をほぼ普通に送っていた喘息患者が放置すれば死に至るほどの急激な重症喘息発作に陥る場合とでは治療薬に違いが出ることは、昔はあり今もあるはずである。20数年前までは日本アレルギー学会でも発作強度と頻度の組み合わせで重症度分類していたが現在では発作強度・頻度を同列としてそれと治療度の組み合わせでの重症度になっている。重症度を強度・頻度を含む重症度に変更にしたための違いが重症度分類に別世界を生んだ原因のようだ(GINA global initiative for asthma1993が出たことからの変更か?)。この新しい分類が悪いとは勿論言わないが難治性喘息と重症喘息を同義とするのは治療上の問題が出てくる。それは上記の違い等があるからである。また大部分は強度頻度が相関するにしても、頻度が軽度でも高度の重症強度発作リスクありの相関しない例も有るのである。
気管支洗浄してやっと救命し得た上記例は難治性喘息でもあり重症喘息でもあると言える。急激に悪化して意識消失する程の重症喘息発作でも救命回復後に本人に聞くと手元のハンドネブライザーを口にくわえたまでは覚えているがそれ以降は覚えていないというような重症喘息発作は以前には決して稀ではなかったし、アナフィラキシーとの違いがある事も明らかであった。
日本呼吸器学会WEB視聴してー ③ ― 2024年04月30日
日本呼吸器学会WEB視聴してー ③
<第64回日本呼吸器学会学術講演会2024/4/5-7。招待講演1 睡眠の謎に挑む~原理の追求から社会実装まで~(講師:柳沢正史、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構、4月5日8:30AM~) をWEB参加で視聴した
この招待講演は面白かったので、Webでもう一度聞こうと思っていて保留のままにしていたら本日(2024/4/30)NHKテレビのあさイチで柳沢正史先生が登場して、睡眠特集を行っていた(あさイチ ぐっすり寝たい!睡眠改善SP[総合] 2024年04月30日 午前8:15 ~ 午前9:55 (1時間40分))。実用的な話だったので気持ちが覚めて学会の方の再視聴はやめることにした。そして遥か昔高校生の頃にどう生きるべきか、体のコントロールはどうすべきか、夜眠るべきか昼眠るべきか何時間眠るべきか、食事は何回採るべきか、口の中に手を入れて嘔吐してみたり等たわいもないことでも本人にとっては深刻だったことに悩んで沖ヨガ、催眠術、睡眠等にのめり込んでいた頃を思い出した。
<ぐっすり寝たい!睡眠改善SP 初回放送日:2024年4月30日 https://www.nhk.jp/p/asaichi/ts/KV93JMQRY8/episode/te/MYXNZQVNV1/ 。>
<第64回日本呼吸器学会学術講演会2024/4/5-7。招待講演1 睡眠の謎に挑む~原理の追求から社会実装まで~(講師:柳沢正史、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構、4月5日8:30AM~) をWEB参加で視聴した
この招待講演は面白かったので、Webでもう一度聞こうと思っていて保留のままにしていたら本日(2024/4/30)NHKテレビのあさイチで柳沢正史先生が登場して、睡眠特集を行っていた(あさイチ ぐっすり寝たい!睡眠改善SP[総合] 2024年04月30日 午前8:15 ~ 午前9:55 (1時間40分))。実用的な話だったので気持ちが覚めて学会の方の再視聴はやめることにした。そして遥か昔高校生の頃にどう生きるべきか、体のコントロールはどうすべきか、夜眠るべきか昼眠るべきか何時間眠るべきか、食事は何回採るべきか、口の中に手を入れて嘔吐してみたり等たわいもないことでも本人にとっては深刻だったことに悩んで沖ヨガ、催眠術、睡眠等にのめり込んでいた頃を思い出した。
<ぐっすり寝たい!睡眠改善SP 初回放送日:2024年4月30日 https://www.nhk.jp/p/asaichi/ts/KV93JMQRY8/episode/te/MYXNZQVNV1/ 。>
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