マイルド・サイコパスとはー(私たちの身近にいる人格障害) ― 2025年09月06日
マイルド・サイコパスとはー(私たちの身近にいる人格障害)
(以前書いてもう少し掘り下げようと思って放置していたファイルに気が付いたので取り敢えず忘備録として載せておく。)
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(2025/6/30)マイルド・サイコパスとは
<私たちの身近にいる人格障害、「マイルド・サイコパス」水谷心療内科 水谷雅信 https://www.dr-mizutani.jp/dr_blog/psychopath/ 。>
このブログはサイコパスに係る診療現場での悩みを具体的に教えてくれている点で勉強になる(サイコパスPsychopathは精神病質者でサイコパシーpsychopathyは精神病質を表すという.。広義では精神病質は人格障害の他に統合失調症やうつ等も含むがここでは狭義の人格障害≒パーソナリティー障害を指しているようだ)。
“ ・・・「相手も人の子だからいつかはわかってもらえる」との切ない期待なのですが、サイコパスには全く伝わりません。サイコパスに対して自分の気持ちや考えを伝えても彼らの「認知的共感」だけが得られるだけで、それをかえって悪用されるばかりで、事態は悪化するばかりになります。ハラスメントやストーカー行為はより巧妙になり悪質化してしまいます。・・・ ” これはカールロジャース「2:7:1の法則」にも通ずることである。大部分のヒトは話せば相手も解るはずと思っているのではないだろうか。でも実際はいくら話しても徒労で理解してもらえないことはあり、その点で成程と思う。
でも待てよ、と思った。マイルドと付くと際限なくスペクトラムが広がってしまうリスクがあるし、単なるレッテル貼りに陥ってしまうリスクもあるし、特にステレオタイプの発想をし易いのがヒトなので、そのリスクは大丈夫なのかと逆に思ってしまうのは自分だけであろうか。
医療者としてはまず病気と正常は両極端で次元が異なるということをまず強調しておくべきである。その上での人格障害(サイコパス等)であり神経発達障害(ASD,ADHD,LD等)の捉え方である。特に若者がネガティブなレッテルを自らに貼ることがないように大人は気を配るべきである。
スペクトラムとは正常から極端な異常迄の連続的な捉え方なので、前向きに捉えて特徴を生かそうとポジティブに捉える分には問題ないがネガティブに捉えてしまうととんでもない方向にも行きかねないリスクもある。若者の自殺者が増えてきている現状と無関係ではないと思っている。
専門医視点なので単なるレッテル貼りや差別につながらないで欲しいとの前提でのご意見と思うので念のために調べてみた。このブログではそう言っているようにも思えるけれど、それでも注意しなさいと教えてくれている。医師にとってもそれを見極める能力は基本に備えるべきものなのについつい忘れてしまう。
同じものを見ていても心に映る心象世界は一人ひとり全て皆違うと言ったのは哲学者L.Wittgensteinであるが、「それでも話せば解る筈と思って切ない努力を重ねる」のが心ある普通のヒトである。
大部分はそうだとは思うけれど、そうでない場合も稀に例外があるので、それを見極めなさいと教えてくれている。かつての『他者の靴を履くーアナ―キック・エンパシーのすすめ』(ブレディみかこ著)や高尾美穂Drのカールロジャース「2:7:1の法則」を思い出した。
〇サイコパシー(Psychopathy、精神病質)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%B3%AA 。
〇「精神病質者(サイコパス)とは」 日本医事新報No.4758 (2015年07月04日発行) P.68 https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=3772 。
(広義のサイコパス=精神病質者は人格障害の他に統合失調症やうつ病、双極性障害も含むが、狭義では人格障害≒パーソナリティー障害に限定して使われ易いという。反社会的かどうかについても含む場合と含まない場合があるという。
<なお、神経発達障害(ICD-11及びDSM-5、ASD・ADHD・LDなど)が先天性の脳発達障害と捉えられているのに対して、精神病質は後天性にも生ずるもので、全く違うという。>
(以前書いてもう少し掘り下げようと思って放置していたファイルに気が付いたので取り敢えず忘備録として載せておく。)
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(2025/6/30)マイルド・サイコパスとは
<私たちの身近にいる人格障害、「マイルド・サイコパス」水谷心療内科 水谷雅信 https://www.dr-mizutani.jp/dr_blog/psychopath/ 。>
このブログはサイコパスに係る診療現場での悩みを具体的に教えてくれている点で勉強になる(サイコパスPsychopathは精神病質者でサイコパシーpsychopathyは精神病質を表すという.。広義では精神病質は人格障害の他に統合失調症やうつ等も含むがここでは狭義の人格障害≒パーソナリティー障害を指しているようだ)。
“ ・・・「相手も人の子だからいつかはわかってもらえる」との切ない期待なのですが、サイコパスには全く伝わりません。サイコパスに対して自分の気持ちや考えを伝えても彼らの「認知的共感」だけが得られるだけで、それをかえって悪用されるばかりで、事態は悪化するばかりになります。ハラスメントやストーカー行為はより巧妙になり悪質化してしまいます。・・・ ” これはカールロジャース「2:7:1の法則」にも通ずることである。大部分のヒトは話せば相手も解るはずと思っているのではないだろうか。でも実際はいくら話しても徒労で理解してもらえないことはあり、その点で成程と思う。
でも待てよ、と思った。マイルドと付くと際限なくスペクトラムが広がってしまうリスクがあるし、単なるレッテル貼りに陥ってしまうリスクもあるし、特にステレオタイプの発想をし易いのがヒトなので、そのリスクは大丈夫なのかと逆に思ってしまうのは自分だけであろうか。
医療者としてはまず病気と正常は両極端で次元が異なるということをまず強調しておくべきである。その上での人格障害(サイコパス等)であり神経発達障害(ASD,ADHD,LD等)の捉え方である。特に若者がネガティブなレッテルを自らに貼ることがないように大人は気を配るべきである。
スペクトラムとは正常から極端な異常迄の連続的な捉え方なので、前向きに捉えて特徴を生かそうとポジティブに捉える分には問題ないがネガティブに捉えてしまうととんでもない方向にも行きかねないリスクもある。若者の自殺者が増えてきている現状と無関係ではないと思っている。
専門医視点なので単なるレッテル貼りや差別につながらないで欲しいとの前提でのご意見と思うので念のために調べてみた。このブログではそう言っているようにも思えるけれど、それでも注意しなさいと教えてくれている。医師にとってもそれを見極める能力は基本に備えるべきものなのについつい忘れてしまう。
同じものを見ていても心に映る心象世界は一人ひとり全て皆違うと言ったのは哲学者L.Wittgensteinであるが、「それでも話せば解る筈と思って切ない努力を重ねる」のが心ある普通のヒトである。
大部分はそうだとは思うけれど、そうでない場合も稀に例外があるので、それを見極めなさいと教えてくれている。かつての『他者の靴を履くーアナ―キック・エンパシーのすすめ』(ブレディみかこ著)や高尾美穂Drのカールロジャース「2:7:1の法則」を思い出した。
〇サイコパシー(Psychopathy、精神病質)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%B3%AA 。
〇「精神病質者(サイコパス)とは」 日本医事新報No.4758 (2015年07月04日発行) P.68 https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=3772 。
(広義のサイコパス=精神病質者は人格障害の他に統合失調症やうつ病、双極性障害も含むが、狭義では人格障害≒パーソナリティー障害に限定して使われ易いという。反社会的かどうかについても含む場合と含まない場合があるという。
<なお、神経発達障害(ICD-11及びDSM-5、ASD・ADHD・LDなど)が先天性の脳発達障害と捉えられているのに対して、精神病質は後天性にも生ずるもので、全く違うという。>
左部蘇和(今井蘇和)の泉岳寺の歌碑について ― 2025年09月11日
2025/9/10 アサブロ
左部蘇和(今井蘇和)の泉岳寺の歌碑について
今井善一郎著『炉辺郷談』の復刻版が古本屋で手に入った。初版数が少なく再版希望が多かったための再発行と言う。発行は昭和50年で発行者は北橘村教育委員会(初版は昭和36年)。
左部蘇和(1830-1891)(左部善兵衛寛信俳号三岳の長女で下箱田村今井善兵衛兼明に嫁し今井蘇和となる)の歌碑「風樹碑」 が高輪の泉岳寺にある事を「そわ女三吟」として記している。ここでは善六郎と七次郎を生んだと書かれている。著者の善一郎は今井善兵衛兼明の曾孫と言っている。七次郎は父に無断で東京へ出奔して費用の工面に母の蘇和が父との間で苦労したというが、父も内心お金の心配をしていたことが後に手帳を見て分かったという。蘇和の三句が載っている。
手元の資料では、今井善兵衛兼明と蘇和の子は善六と善平となっているが善六は善六郎で後継の今井善兵衛兼直と思われるが七次郎については記録がないので善平の事か?不明。善兵衛兼直の次男今井恭次郎には館林正田文右衛門の娘が嫁している。左部彦次郎の妻堀越ゆわは正田家の縁戚と娘の大場美夜子は詩集の中で記している。左部善兵衛寛信の兄の佐部斧次良 は初代左部宇作の父でありその初代宇作は左部彦次郎の祖父である。巡り合わせの妙である。
<そわ女三吟>
・春風や空に消えゆく舟のみち(泉岳寺歌碑[風樹碑] ・・左部氏名蘇和子上野利根郡奈良村人左部善兵衛女也善兵衛名寛信号三岳・・)
・飛ぶ蛍 押へてやみのまさりけり
・朝顔や浮世の夢も花こヽろ (辞世の句という)
<div class="msg-pict"><a href="https://ku-wab.asablo.jp/blog/imgview/2025/09/11/7145b5.jpg.html"
target="_blank"
onClick="return asablo.expandimage(this,1622,1021,'https://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2025/09/11/7145b5.jpg')"><img src="https://ku-wab.asablo.jp/blog/img/2025/09/11/7145b4.jpg" alt="『炉辺郷談』の表紙と奥付き" title="『炉辺郷談』の表紙と奥付き" width="300" height="188"></a></div>
左部蘇和(今井蘇和)の泉岳寺の歌碑について
今井善一郎著『炉辺郷談』の復刻版が古本屋で手に入った。初版数が少なく再版希望が多かったための再発行と言う。発行は昭和50年で発行者は北橘村教育委員会(初版は昭和36年)。
左部蘇和(1830-1891)(左部善兵衛寛信俳号三岳の長女で下箱田村今井善兵衛兼明に嫁し今井蘇和となる)の歌碑「風樹碑」 が高輪の泉岳寺にある事を「そわ女三吟」として記している。ここでは善六郎と七次郎を生んだと書かれている。著者の善一郎は今井善兵衛兼明の曾孫と言っている。七次郎は父に無断で東京へ出奔して費用の工面に母の蘇和が父との間で苦労したというが、父も内心お金の心配をしていたことが後に手帳を見て分かったという。蘇和の三句が載っている。
手元の資料では、今井善兵衛兼明と蘇和の子は善六と善平となっているが善六は善六郎で後継の今井善兵衛兼直と思われるが七次郎については記録がないので善平の事か?不明。善兵衛兼直の次男今井恭次郎には館林正田文右衛門の娘が嫁している。左部彦次郎の妻堀越ゆわは正田家の縁戚と娘の大場美夜子は詩集の中で記している。左部善兵衛寛信の兄の佐部斧次良 は初代左部宇作の父でありその初代宇作は左部彦次郎の祖父である。巡り合わせの妙である。
<そわ女三吟>
・春風や空に消えゆく舟のみち(泉岳寺歌碑[風樹碑] ・・左部氏名蘇和子上野利根郡奈良村人左部善兵衛女也善兵衛名寛信号三岳・・)
・飛ぶ蛍 押へてやみのまさりけり
・朝顔や浮世の夢も花こヽろ (辞世の句という)
<div class="msg-pict"><a href="https://ku-wab.asablo.jp/blog/imgview/2025/09/11/7145b5.jpg.html"
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