「教養としての社会保障」をよんで、2018年12月16日

 社会保障とはなにか? 「教養としての社会保障」香取照幸著(2017)を読んで、メモのつもりで書いておく。 日本の2016年度国家財政では公債と言う借金34.4兆円+税収57.6兆円を合わせた国家予算92兆円のうち社会保障費は32兆円でそれは税収の半分以上56%になる。借金34.4兆円のうち10.8兆円は子供世代への借金つけ回しで毎年積み上がり、そのつけ回し借金は平成以降急増し今や1100兆円に積み上った。 一方社会保障費と言う視点では2016年118.3兆円かかっている。国家予算32兆円以外に企業の雇用主負担25兆円(直接税13兆円に加えて)・個人負担30兆円(直接税25兆円に加えて)という直接税より高い保険料等負担55兆円が企業・個人共に加わり更にプラスαして年間118.3兆円の社会保障費が動いているという。その内訳は医療37.9兆円、年金53.8兆円、介護福祉等23.7兆円という。 日本の社会保障制度にかける費用負担割合は国民負担率でみると決して高くはないという。日本42.6%で、アメリカ33.3%、スウェーデン56.9%、フランス67.1%、ドイツ53.2%、イギリス46.5%(いずれも2015年)、借金を含めた潜在的国民負担率も傾向の違いはない。国民負担率と経済成長率との関係もないという。北欧の国々は国民負担率が高くて経済成長率も日本より高く、高い国民負担率が景気の足を引っ張ることもなく、制度への不満も不安も少ないという。社会保障は負担と言うステレオタイプの考え方から脱却すべき時代に入っているという。そういえば医療費亡国論がまかり通った時代があった。実際医療介護保育サービスは雇用を生み出し経済を回し、年金さえも景気を下支えする時代に入っているという。 西欧では貯蓄は老後は使い崩していくが日本の高齢者は貯蓄水準が過剰でしかも墓場まで持っていくという。これは老後への不安のためで有効利用されていない。大企業の過大な内部留保も同じという。社会の安心基盤を構築して将来への過剰な不安を払しょくして安心して暮らせる社会を創ることが社会保障の王道なので、安心基盤の構築は回り道でも有効需要の創出につながり消費効果が生まれるという。北欧社会ではまさかの時の貯蓄が必要ないので高齢者の貯蓄も多くないという。 社会保障制度の意義についてはマクロの視点とミクロの視点ではその乖離があまりにも大きすぎて国民一人一人があるべき姿をイメージできずに総論賛成・各論反対が当然のごとく出てしまう。日本国内においては様々な学者が様々なことを言い、国会では無意味な与野党のやり合いばかりで建設的な結果がなかなか出ない。 日本は超高齢社会の世界の先頭を走り世界はその対応を固唾をのんで密かに注視している。今よりも65才以上の日本の高齢者は2040年に向かって実数が更に急坂上がりに増加して15-64才の生産年齢人口は急速に減少して行く。即ち支える人支えられる人を年齢で分けるステレオタイプの発想ではこの先25年更に急速に悪化して社会保障制度は成り立たなくなることになる。
人口推移1(p101)
人口推移2(p102)
高齢者平均余命は伸びているので2040年を超えて2060年までは65歳以上高齢者の減少は緩やかのために高齢者/生産年齢人口のバランスの急坂上がりの悪化はゆっくりとしか改善しない。2060年以降落ち着き始め2110年の将来推計人口は4300万人で今の1/3になるがそのバランスはやっと落ち着く。但し出生率が上昇する(それでも成人するまでには20年のタイムラグがある)か外国人労働者が増えて生産年齢人口が増えるかすれば変わってくるが、日本文化の消滅危機等様々な別の複雑な問題も新たに出てくる。日本の人口は2110年には1/3になるが世界の人口は1.5~2倍になる。国内においては働ける高齢者は働き女性も子育てしながら働ける環境を創ればそのバランスは改善するし年金の目減りも少なくなり、高齢者の不安を和らげて不安に備えた貯蓄を消費に回せば景気好転にも役立つので、まだまだ悲観することはないという。  そんな世界の趨勢の中で日本の行財政政策をどう舵取りするか、どんな社会をイメージして目標を設定するか、政治家を導く国民一人一人の自覚にかかっている。納得したイメージを設定できれば自ずと将来への不安も和らげられる。幸い年金の積み立て資金は現在130兆円ある。国が潰れない限り年金制度も潰れないという。 この著者はどんな社会を望むかは皆さん一人一人が決めることですよと読者を突き放した言い方をしているが、ポイントはわれわれ一人一人が将来の目指すべき社会の姿のイメージ(理想でなくても)を共有することこそが重要だと言っている。霞が関の渦中であがいたイライラを内に押し込んだような態度だが充分伝わる。将来を真面目に考える高校生や若い政治家にこそ読んでほしい本と思う。 高度成長期で一億総中流社会と言われメザシの土光敏夫が実直な経営者、というイメージの時代に育った自分には、グローバルスタンダードと言ったってアメリカンスタンダードではないか、儲けて何が悪いという成功者の言を聞いて違和感を感じても何も言えない自分がいたり、何で一番じゃなければだめですか二番じゃダメなんですかと言われて返す言葉も見つからない自分がいたり、高額報酬が当たり前という雇われ社長に貢献したのは優秀な社員ではないかと言えない鬱屈した気持ちの自分がいたり、屈折した心の自分にも分かる本であった。