NHKスペシャル「忘れられた戦後補償」をみて2020年08月25日

軍人恩給の格差表
NHKスペシャル「忘れられた戦後補償」。

  NHKのドキュメンタリーは徹底した取材のもとで作るのが多い。またNHKだからこそできる。民間メディアにはなかなか出来ないものだ。ここにNHKの存在意義があり、信頼に値する面でもある。
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-08-15&ch=21&eid=04323&f=46  今回の中身について考えてみた。

  日本においては軍人軍属への補償はされたが民間人には国の財政能力の限界を理由に一切されなかった。一方ドイツやイタリアは軍人民間を問わず差もつけず被害に応じてそれなりに戦後補償を行ったといい、むしろ日本の考え方は異質であったという。

  国の財政能力に限りがあるのも分かるし、この一面だけを見ると仕方ないのではないかとも思う。大部分の国民が当時も仕方ない事だと受容していたし今もしているのではないかと思う。
しかしこのドイツやイタリアと日本の、この対応の違いは何によって生ずるのだろうか、根本部分で何かが違うと違和感を感じる。泥棒にも三分の利というように理屈というものは後でどうにでも付く。そもそもの、この違和感は何か、について考えてみた。

  “戦争で苦しんだのはお前たちだけではない”と民間から補償を求める人々への攻撃もあった。容易に想像できる攻撃である。皆が一様に耐えている一方で軍人恩給は戦後1946年GHQにより廃止されたが1953年に復活してしかも経済成長に伴い加増していったという。軍人恩給も加増も誰も異論はないであろう。

  問題があるとすれば、政府の財政能力に限りがあると言う一方で、軍人恩給は可で民間は不可と区分けし、軍人恩給内部の格差の大きさを問題と思わない政府あるいは官僚とその審議委員会委員の認識の問題である。我田引水に目をつぶる構図が見える。

  図はこのドキュメンタリー映像の一部のハードコピーである。身分に応じて大きな格差をつけている。大きすぎる所にこそ違和感が出るのではないか。東條英機と一兵卒の年俸では17倍の開きがある。財政が厳しいと言いながらこの開きを受容する感覚こそが違和感を感じさせる元と思う。この日本政府の(というより官僚の)考え方は今でも変わらない。何故か分からないが確かに今でもある。ルールを作る時自らに不利になるようなスキームは作らないからだ。必ず抜け穴を作っておく。例えば今でも報奨金等の分配は当たり前のように職務分担に応じて格差をつけて分配する。職位に関係なく均等に分けるという観念がない。異を唱えれば変人扱いされるので末節的なことと取り巻きは受け入れてしまう。

 現代では一般人もこの観念は同じである。最近豊田章男氏と大リーガー鈴木イチロー氏の対談を聞いたが何故章男氏が低年俸(それでも4億?)で甘んじているのか理解できないとイチローも司会者も言っていた。日産のゴーンは年俸10億でも少ないと言った。トヨタも外人副社長は10億を超える。かつてホリエモンが儲けて何が悪いと居直りひんしゅくを買ったことがあったが、確かに個人事業主は本人の勝手なので自由にすればよい。
しかし社会的使命の大きい大会社の社長では報酬はそれなりの控え目さが日本の国民からは暗黙に求められてきているのではないだろうか。かつてのメザシの土光と言われた政府臨調会長の土光敏夫氏の質素なイメージを持つ日本人は少なくないと思う。アメリカ人の観念と日本人の観念の違いである。日本もこの10年日産ゴーンの考え方が当たり前になってきているが、これはグローバル化即ちアメリカ化が差別・格差は当たり前との観念と裏腹である。日本はやはり日本の独自の倫理観で社会を運営すべきと思う。

渋沢栄一の「私利を追わず公益を図る」という姿勢が歓迎される素地が日本にはある。
「衣食足りて礼節を知る」との考え方は昔から日本にある。
社会を成り立たせるには最低限を何処に置くかは大切なことである。資源は有限でもあるので上限もまたあるはずである。その上限と下限をどこまで許容するかまた許容すべきかは国によって違う。これをどう設定するかは社会を構築する上での根本命題である。この根本命題を無視してしまう所に違和感が生じるのであろう。

「ほんのわずかな人々が世界の80%以上の富を保有している」と国連SDGsは言っている。「リオの伝説のスピーチ」で12才の少女が国連環境サミットで「なんで大人たちはシェアしないのか、何でそんなにがめついのか」と一瞬世界を黙らせたこともあった。この感覚は世界共通の素朴な素直な感覚なのであろう。でも実際はそうならない。そして違和感もそこにある。

無力な自分に何ができるか自分はどうあるべきか自問自答の日々ながら、公務員の時には出来なかった報奨金の分配を、職位も常勤も非常勤もパートも区別なく同額を配布するのは夢であったがつい最近わずかな額ながらすることが出来た。